針外し/爺さんの独り言。役にたたない情報ばかり。

自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

王維の別荘「輞川」(もうせん)って何処?。

2022-03-13 07:41:09 | 漢詩・古典・エトセトラ

未だ、未完成のまま、アップしてしまいました。改めて書き直します。気が付いてみると「投稿」状態になってました。前の「お詫び投稿」は消しますんでよろしくね。

 王維の「輞川」にある別荘って何処ら辺にあるのかな?と思いチョックラグーグルアースで調べてみました。 王維は盛唐の詩人。現在の山西省の人。詩だけでなく画、書、音楽にも長けていました。31歳の時に長安の東南約50キロの山奥にある「輞川荘」という別荘を購入します。
  
 地図では西安になってますが、広い意味で西安の中に(外れに)長安があります。

そこで、友人の裴迪(はいてき)と別荘内の景勝を詠んだ詩が『輞川集』(もうせんしゅう)と言う名前で、まとめられています。今日の詩は、その別荘のほぼ中央にある欹湖(いこ)の岸辺の水の上に建っている建物「臨湖亭」があります。当時の軽舸とは船のことで、船でお客さんを臨湖亭に招いたようです。

       

上客、大切なお客さんなのでしょう。軒は日本語なら軒(のき)ですが、ここでは、窓の手すり。お客さんをお酒でもてなす。湖上にある臨湖亭から周りを見回すと四面、つまり辺り一面、芙蓉が開いていると詠っています。当時、芙蓉は蓮の花を指しました。

      
   この絵が本来の屋敷の姿なんでしょうね。ネットに絵が載ってましたが多少修復しました。

 大切なというか、大好きな人をお客さんとして迎えて、湖上でお酒を楽しむ。辺りは満開の蓮の花。湖を渡る涼やかな風と、王維のうれしい気持ちが伝わってきます。時の皇帝より良い暮らししてたんですかね?。

 
今は昔の面影は無いのかも知れませんが、公園として残っているのかも。

 
しかし、規模が違いますね。日本の岩崎邸とかのレベルとは遠くかけ離れています。詩を朗詠しても誰も聞いてはいないなんて事になりますね。当時の模様を描いた画集がありますが、これを見て想像するしかありません。

      
今の風景と対比してみるのも、想像力を膨らまして面白いかも知れません。

      
今の中国へは「ヒョイヒョイ」とはいけませんからせいぜい文献さがして、行った気分になるんですね。

コメント
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