孟浩然(日本語読み:もう こうねん689年-740年)は、唐(盛唐)の代表的な詩人。名は浩、字は浩然と言われる。襄州・襄陽県(現在の湖北省襄陽市襄州区)の出身。若い頃から節義を重んじ、人の患難を救うなどの行いがあった。
若い頃から各地を放浪し、義侠の振る舞いで人々と交流した。また後漢の龐徳公や後年の皮日休(ひ じつきゅう、)は、詩人・革命的社会派の学者)。ゆかりの襄陽の鹿門山に隠棲したこともあった。玄宗の世となってから長安に赴き仕官しようとするが、科挙に及第していないのでかなわなかった。しかしながら、孟浩然を気に入った韓朝宗との約束をすっぽかして朝廷への推薦をだめにしたり、いざ玄宗の前に出ても不平不満を詩にして玄宗を怒らせるなど、立身出世には関心が薄かったようにもみえる。
孟浩然の詩は広く知れ渡り、王維・李白・張九齢らと親しく交際した(李白には「黄鶴樓送孟浩然之廣陵」という作品があります)。740年、背中にできものがあって調子の悪かった孟浩然は、訪ねてきた王昌齢を歓待するあまり容態を悪化させて亡くなってしまいました。
自然を題材にした詩が評価されており、詩のなかに人生の愁いと超俗とを行き来する心情を詠みこんでいる。日本では五言絶句「春暁」が特に有名である。詩の特徴から王維と孟浩然は「王孟」と並称された。『孟浩然集』がある。
『春暁(春眠暁を覚えず)』春 眠 不 覚 暁 春眠暁を覚えず しゅんみんあかつきをおぼえず処 処 聞 啼 鳥 処処啼鳥を聞く しょしょていちょうをきく夜 来 風 雨 声 夜来風雨の声 やらいふううのこえ 花 落 知 多 少 花落つること知んぬ多少ぞ はなおつることしんぬたしょうぞ春の眠りは心地がよく、夜が明けるのも気づかないほどです。あちらこちらから鳥のさえずりが聞こえてきます。そういえば昨夜は風雨の音がしていたな。いったいどれほどの花が散ったことでしょうか。
あと一つ。って他にはないのかね?。「春暁」があまりに有名なので他の詩を知らなさ過ぎる。
臨洞庭上張丞相 孟浩然
八 月 湖 水 平 秋八月、洞庭湖の水は平らに、どこまでも続き、
涵 虚 混 太 淸 はるかな水平線では大空をその中にひたして、空と水とが一つにまざりあっている。
氣 蒸 雲 夢 澤 雲夢の沼沢地からは雲霧が立ちのぼり、
波 撼 岳 陽 城 湖の波は岳陽の町もゆらぐかと思うばかりに打ちよせる。
欲 濟 無 舟 楫 この湖をわたりたいと思えば、舟は一つもない。
端 居 恥 聖 明 だがここにじっとしているだけでは、天子の明らかな徳に対して、申しわけない次第だ。何とかして仕官の道を求め、天子をたすけて太平の政治に参与したい。
坐 観 垂 釣 者 そう思いながら、ふと湖のふちに釣糸を垂れている人の姿を見ては、
徒 有 羨 魚 情 私の心にも、むなしい望みではあるが、魚を=仕官を求めようとする気持がおこってくる。
旧暦の8月洞庭湖の水は満々とみなぎり、水平線の彼方と、天の一番高い大空ととけあい一つになっている。
立ちのぼる水気は、雲夢の大湿地帯までわたって立ちこめ、打ちよせる波は、洞庭湖の東北にある岳陽城をゆり動かしている。
湖水を濟(わた)ろうとしても舟や楫(かい)もない、(政治を補ける任につき、役人になって働きたいが引立ててくれる者もない)何もせず聖天子の治めておられる太平の世にぼんやりとしている事を恥ずかしく思うばかりである。
ここに坐って湖水に釣りをしている人を見ていると、自分も魚が欲しいと羨む気持がわいてくる。(希望を抱くだけで何もしないよりは、仕事をするべく仕官したい気持がわいてくる)
仕官を求めていたという事は、「忠義の義侠の士」という事だね。でも世間(宮中)は孟浩然の気持ちとは裏腹だったんだね。
人は自分の考える理想と世の中とではギャップがあり、それを承知してズレを解消するんですが、人それぞれ、捉え方が違う。ある人は絶望して隠遁生活するだろうし、ある人は出世して自分の理想を実現しようとするかもしれないし、途中から賄賂や保身から人を貶めるような人間になるかも知れないね。