「日本美術院の足跡を訪ねて〜五浦への旅」 後編:六角堂・五浦岬公園

「前編:茨城県天心記念五浦美術館」に続きます。日本美術院のゆかりの地、北茨城の五浦へ行ってきました。

「日本美術院の足跡を訪ねて〜五浦への旅」 前編:茨城県天心記念五浦美術館(はろるど)



天心記念五浦美術館から記念公園を経由して、天心遺跡、つまり茨城大学五浦美術文化研究所へは、ゆっくり歩いて15分ほどでした。途中、ホテルや民宿が立ち並んでいましたが、人影はほぼ皆無で、車のみが往来していました。実際、五浦へのアクセスは、車がメインのようでした。


「茨城大学五浦美術文化研究所」入口の「長屋門」。杉皮を竹で押さえた屋根が特徴的です。

1913年に天心が没すると、旧天心邸、六角堂、長屋門からなる天心遺跡は、しばらく遺族の住まいとして使われました。そして1942年に天心偉績顕彰会が管理を引き受けると、1955年に茨城大学へ寄贈され、茨城大学五浦美術文化研究所として整備されました。現在は広く一般に公開されています。


「茨城大学五浦美術文化研究所」敷地内。

風情のある長屋門が待ち構えていました。天心の時代から建ち、管理室や受付として利用されている施設で、2003年には旧天心邸や当時の六角堂と並び、国の登録有形文化財に指定されました。


「天心記念館」建物入口。

敷地内は高い松林で覆われていて、門のすぐ左手には、天心に関した資料を公開する天心記念館がありました。1963年に建てられた施設で、中には平櫛田中の「五浦釣人」や「岡倉天心先生像」、それに天心の釣舟の「龍王丸」などの資料が展示されていました。


「旧天心邸」。天心の没後、改築が繰り返され、当初の半分ほどの建坪しか残っていません。

そして左手に海岸を望みながら坂を下ると、まさに天心の住まいであった旧天心邸が姿を見せました。元来、天心は、五浦で古い料亭を住まいとしていたものの、その建材を用いて自邸を建てました。また当初は62坪あり、後に拡張されたものの、天心が没すると、書斎や浴室の一部が撤去されました。



旧天心邸の前には小さな芝生の庭がありました。そこからも海を望め、岩を砕く波音も絶えず聞こえてきました。なお天心は、ここにボストンから取り寄せた芝を植え、洋風の庭を築いたとも言われています。


「六角堂」。戦後の解体修理で「観瀾亭」の棟札が発見され、正式な名が判明しました。

さらに海岸へ降りると、天心自身が築き、観瀾亭と呼んだ六角堂が姿を見せました。海の際の岩の上に建つ朱塗りの小さな楼閣で、ここで天心は瞑想に耽り、また釣り糸を垂らしました。


「六角堂」を上から見る。

建物は、中国の草堂を参照したとされるものの、屋根の宝珠は仏堂のようで、内部は茶室の役割も兼ねられていました。中国、インド、日本の伝統思想が、一つの建物で表現されていると考えられています。(諸説あります。)



しかし六角堂は創建当時のものではありません。かの東日本大震災です。五浦を襲った大津波は六角堂を飲み込み、台座部分のみを残して、無残にも建物の全てを破壊してしまいました。さらに津波は六角堂を超え、旧天心邸のある庭園まで到達し、邸宅の廊下の直下にまで水が達しました。結果的に津波の遡上高は、10メートルにも及びました。



現在の六角堂は震災から一年後に再建されたものです。「観瀾亭」とは、大波を見るための東屋を意味するそうですが、まさか自らの堂が津波で消失するとは、天心も思いもつかなかったのではないでしょうか。崖の入り組んだ地形もあり、五浦は茨城県内でも特に津波が高かったそうですが、災害の恐ろしさを改めて感じました。


五浦岬公園から「六角堂」を眺める。

さて茨城大学五浦美術文化研究所を見学したのちは、五浦海岸や六角堂を一望出来る五浦岬公園へと向かいました。ちょうど六角堂のある大五浦の南側の小五浦にある岬の公園で、六角堂からはアップダウンのある小道を歩いて、約10分強かかりました。


映画「天心」のオープンセット

五浦岬公園では、2013年の映画「天心」のオープンセットが公開されていました。「日本美術院研究所」を復元していて、内部では大観や春草などの人形で、映画のワンシーンを再現していました。制作の様子もよく伝わるのではないでしょうか。


オープンセットの内部。観光案内のパンフレットなどもありました。

さらにパネルなども多数並んでいて、係の方もおられ、映画や日本美術院について説明して下さいました。またセットの見学には料金はかかりませんが、火・水・木曜日が定休日の上、荒天時には公開しない場合もあるそうです。お出かけの際は、あらかじめ市の観光協会へ問い合わせておくのも良さそうです。


五浦岬公園。五浦海岸のほぼ南端に位置します。

朝10時頃に大津港へ着き、茨城県立天心記念五浦美術館、そして旧天心邸や六角堂からなる茨城大学五浦美術文化研究所、さらに五浦岬公園を歩いて回ると、ゆうに昼時を過ぎていました。

なお今回の北茨城への旅に際しては、gooいまトピのyamasanさんの記事を参考にさせていただきました。ありがとうございました。

日本美術の聖地・五浦へ
https://ima.goo.ne.jp/column/article/5715.html

最後に余談ですが、山種美術館で見た、横山大観の「蓬莱山」(「日本画の挑戦者たち」に展示中。会期:9月15日〜11月11日。)が五浦の景観と重なりました。


横山大観「蓬莱山」 昭和14年頃 山種美術館 *特別内覧会時に許可を得て撮影。

晩年の作品ではありますが、切り立つ崖や高い松林など、若き大観が見た景色が僅かにでも反映しているのでしょうか。どうしても五浦の光景を思い出してなりませんでした。



半日で巡る五浦への旅。ここに日本美術院の画家の創作の原点があるのかもしれません。

「茨城大学五浦美術文化研究所」(長屋門・旧天心邸・六角堂)
休館:月曜日。
 *月曜日が祝日の場合は翌日休館。年末年始(12月29日〜1月3日)。
時間:8:30〜17:30(4月~9月)、8:30〜17:00(10月、2月、3月)、8:30~16:30(11月~1月)
 *入場は閉館の30分前まで。
料金:一般300円。中学生以下無料。
 *20名以上の団体、及び70歳以上は200円。
住所:茨城県北茨城市大津町五浦727-2
交通:JR線大津港駅よりタクシー約10〜12分。火・木・金曜のみ市巡回バスあり。
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