「晩秋の磐梯高原と会津への旅」 中編:会津さざえ堂と東山温泉向瀧

「前編:磐梯高原と諸橋近代美術館」から続きます。磐梯高原と会津若松へ行って来ました。



猪苗代駅から磐越西線の快速に乗り、蛇行を繰り返す電車の揺れに身を任せていると、約30分ほどで会津若松駅につきました。



すでに15時頃となっていた上、市内の観光は翌日を予定していたので、まずは宿泊先の東山温泉へのバスルートの途中に位置する飯盛山へ行くことにしました。



会津若松駅からほぼ真東にある飯盛山は、戊辰戦争の際、会津藩の武家の男子による白虎隊が自死した地として知られていて、白虎隊十九士の墓が築かれています。また山のふもとには土産屋が並んでいて、人影こそまばらだったものの、観光地の様相も呈していました。



私が飯盛山で特に見学したかったのは、山の中腹に位置する重要文化財「旧正宗寺三匝堂」、通称「会津さざえ堂」でした。



会津さざえ堂は1796年、当時飯盛山にあった正宗寺の僧、郁堂が考案した六角三層のお堂で、一方通行の二重螺旋構造にて上下に行き来するという、世界でも珍しい建築として知られています。



正面の唐破風の入口を抜けると、右回りに螺旋状のスロープが続いていて、頂上には太鼓橋があり、それを越えると今度は下りのスロープが続いて背面の出口に達するように作られていました。



江戸時代においては二重螺旋の通路に沿って西国三十三観音像が安置されていて、参拝者は一度入ることでお参りを終えたことになるという、庶民のための身近な巡礼の建物として使われていました。



ともかく外観と内観ともに特異な作りをしていて、堂内には数多くの千住札が貼られていました。なおスロープには手すりと滑り止めがありましたが、傾斜はややきついため、見学に当たってはなるべく履きやすい靴の方が良いかもしれません。



そして同じく飯盛山に位置し、鬱蒼とした緑に覆われた白虎隊十九士の墓をお参りした後は、山を降り、再びバスにて宿泊先の東山温泉へと向かいました。



白虎隊は同地にて鶴ヶ城が黒煙に包まれているのを見て落城したと錯覚し、命を落としたと伝えられていますが、西日が差し込んだ黄昏時の会津市街を望みながら少年たちの最後を思うと、どこか胸がつまるものを感じました。



さてこの日の宿にしたのは同温泉でも屈指の歴史を誇る老舗旅館「向瀧」で、ちょうど東山温泉駅バス停から湯川を挟んだすぐの場所に建っていました。



向瀧は「きつね湯」と呼ばれた会津藩士の保養所を前身としていて、明治維新ののちに藩から平田家が受け継いで温泉宿として営業を続け、いまでは6代目を数えるに至りました。ただどういう経緯で平田家が譲り受けたのかについては詳しく分かっていないそうです。



ちょうど川と崖地の間の傾斜のある場所に位置していて、純和風の建物が中庭を囲むようにして連なっていました。建物は明治6年の創業以来、増改築を繰り返していて、特に昭和の初期に行われた大普請では多くの宮大工が腕を振いました。また1996年には国の文化財保護法改正に基づき、登録有形文化財に登録されました。



傾斜地を利用した建物ゆえか、館内の廊下には至るところに階段があり、明治から昭和にかけての建築年代の異なる書院造や数寄屋造り風の部屋が続いていました。



中庭を正面に望むすみれの間に案内していただき、客室でチェックインを行い、抹茶と手作りの羊羹をいただくと、早速温泉を楽しむことにしました。



向瀧には宿の発祥の由来である伝統的な「きつね湯」とシャワー設備が整った現代的な「さるの湯」、それに3つの小さな貸切風呂「蔦の湯」、「瓢の湯」、「鈴の湯」があります。



最もレトロな趣きであるのは「きつね湯」で、動力を使っていないという45度ほどの熱めのお湯が自然にこんこんと湧き出ていました。なお向瀧ではすべての浴槽が源泉かけ流しで、お湯は透明でクセがなく体に程よく馴染むように滑らかでした。硫酸塩泉で疲労回復に効果があるとされています。



一方の「さるの湯」は大理石製の広めの湯船が置かれていて、窓からは樹木も望むことができました。向瀧には温泉宿にて定番の露天風呂がありませんが、最も自然を感じられるのは「さるの湯」かもしれません。なおお風呂へは夜中も入浴することが可能でした。(翌朝9時半まで)



向瀧ではすべてのプランが朝夕食ともお部屋で提供され、温泉を堪能すると夕食の時間がやって来ました。料理は会津産の地鶏や牛肉、それに長茄子やりんごなど土地の食材にこだわった郷土料理で、食前酒から前菜、焼物、煮物、揚げ物、汁、ご飯、デザートなど、かなりボリュームがありました。(写真はその一部です。)



特に鯉やにしん、ますなどを素材とした魚料理がメインとなっていて、臭みのない鯉のお刺身や程よく山椒が効いたにしん漬けも香りだっていました。



またホタテの貝柱で出汁をとった会津伝統のこづゆも、薄味の加減が絶妙で、野菜の旨味が口いっぱいに広がりました。



一連の郷土料理で最大の名物が会津藩に由来するという伝統の「鯉の甘煮」でした。実にこぶしよりも大きな鯉の煮物で、1メートル近くの鯉を約5等分したのち、醤油や砂糖で長時間煮たものでした。ともかく想像以上に大きく、すべて食べられるか心もとありませんでしたが、ご飯と合わせつつ、最後はお茶漬けにしていただきました。ただ鯉の甘煮は食べきれなくとも真空パックにして持ち帰ることが可能で、実際にも宿の方によれば大半の方がお土産にされるとのことでした。



夜の中庭の景色も大変に風情があるのではないでしょうか。冬は30センチほど雪が積もり、ろうそくでライトアップされるため、それを目当てに宿泊される方も少なくないそうです。



一晩あけて「きつね湯」にて体を温め、炊き立ての美味しいコシヒカリなどによる朝ごはんを部屋でいただくと、いつしかチェックアウトの時間を迎えていました。なお昨晩の夕食でもコシヒカリをいただきましたが、ともに会津産であるものの、朝と夕で採れた地域を替えることで、味に変化をつけているとのことでした。確かに夕食のコシヒカリはおかずに馴染むように比較的さっぱりしていた一方、朝食は腹持ちが良さそうな甘くもちもちとした食感でした。



バスが発車するまで少し時間があったため、宿の方に部屋と同様に文化財である大広間を案内してもらいました。寺院建築などに用いられる格天井を特徴とした広間で、松を描いた舞台を有し、天井部分には会津の桐の一枚板が貼られていました。



大変に風格のある広間でしたが、現在の会津にてこれほど大きな桐の一枚板を得ることは難しいため、もはや当地の素材にて改めて造ることは叶いません。それこそ増改築を繰り返した客間と同様に貴重な文化財といえそうです。



古い建物ゆえに年季が入っているのは当然ながら、客間も廊下も含めてガラスや床はぴかぴかに磨かれ、どれほど手入れに注意を払い努力しているのかがよく分かりました。また宿を大切にしながら、自然体でかつ親切に接してくれたスタッフの方の振る舞いにも心を打たれました。



長い歴史を有する温泉の余韻を感じつつ、宿の方が手を振って見送ってくれる中を東山温泉駅バス停へと歩き、バスにて会津若松市の中心部へと向かいました。



「後編:鶴ヶ城と会津若松のレトロな街歩き」へと続きます。

「会津さざえ堂」
拝観時間:8:15~日没(4月~11月)、9:00~16:00(12月~3月)
拝観料:大人400円、大学・高校生300円、小学・中学生200円。
住所:福島県会津若松市一箕町八幡滝沢155
交通:JR線会津若松駅よりまちなか周遊バス「あかべぇ」、もしくは「ハイカラさん」に乗車し「飯盛山下」下車、徒歩5分。

「会津東山温泉 向瀧」
住所:福島県会津若松市東山町大字湯本字川向200
交通:JR線会津若松駅よりまちなか周遊バス「あかべぇ」、もしくは「ハイカラさん」に乗車し「東山温泉駅」下車、徒歩1分。
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