ほんとの意味での「協働」が始まったと感じています。 そして、協働するってことは、けっこういろいろと大変なことなんだとも感じています。
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協働
「協働」という言葉が出てきたのは10年ほど前だっただろうか?
「新しい公共」「創り出す公共」という言葉が現れたのも同じ頃だっただろうか?
「きょうどう」は、普通は共同(2人以上の者が力を合わせること、あるいは同じ資格で関ること)、協同(ともに心と力を合わせ助け合って仕事をする)と書くが、「協働」なる言葉は、まだまだ世間一般的な普通名詞ではないだろう。かなりNPO業界用語・・・?
広辞苑を引くと、協働は英語のCooperation,Collaboration・協力して働くこと、とある。
前者は、コープ、「生活協同組合」を連想させるので、生協の英語名はCooperationが入っているのだろう(間違っていたらごめんなさい)。しかし、心の動きに対する繊細な表現がおおざっぱな英語がわざわざ使い分けているところをみると、CooperationイコールCollaboraionではなさそうだ。 にも関わらずNPO業界人は、「コラボレーション」と日本語的に簡単に使ってしまう人が多いように思う。私も横文字で表現しないが、きょうどうイコール協働として、話していることが多い。
コラボレーション(Collaboration)は、かなり西洋的な概念であるのに、その深い意味を日本社会に住む人はあまり考えていなかった。それなのに一人歩きを初めていたようだ。
行政(業界)に「協働」という言葉が現れて来たのは、やはり10年ほど前だったと思う。阪神淡路大震災で行政の公共機能が上手に働かず、行政だけでは公共が果たせない事態があり、民間と行政が協力しあう仕組みについて考える時、この新しい日本語「協働」が民間側から現れたように思う。しかし、今やこの言葉に関して言えば、行政用語としてお役人さん達の業界の方が一般社会より先に定着しつつあるように感じる。
国の会議に出ると、「新たなる公共」という言葉が霞が関の官僚達から聞かれるようになったことに驚かされる。と同時に、公共の「責任」を誰が取るのかいう大命題を突きつけられていると感じる。「協働」は市民(Citizen・公共性の形成に自律的、自発的に参加する国民)が参画しないと形成されない。この市民感覚が養われて来なかった日本の社会は、大きな曲がり角に今ある。
協働はたやすいことではない、しかし「協働」なくしては、日本の社会はない。
(季刊ねおす原稿)
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協働
「協働」という言葉が出てきたのは10年ほど前だっただろうか?
「新しい公共」「創り出す公共」という言葉が現れたのも同じ頃だっただろうか?
「きょうどう」は、普通は共同(2人以上の者が力を合わせること、あるいは同じ資格で関ること)、協同(ともに心と力を合わせ助け合って仕事をする)と書くが、「協働」なる言葉は、まだまだ世間一般的な普通名詞ではないだろう。かなりNPO業界用語・・・?
広辞苑を引くと、協働は英語のCooperation,Collaboration・協力して働くこと、とある。
前者は、コープ、「生活協同組合」を連想させるので、生協の英語名はCooperationが入っているのだろう(間違っていたらごめんなさい)。しかし、心の動きに対する繊細な表現がおおざっぱな英語がわざわざ使い分けているところをみると、CooperationイコールCollaboraionではなさそうだ。 にも関わらずNPO業界人は、「コラボレーション」と日本語的に簡単に使ってしまう人が多いように思う。私も横文字で表現しないが、きょうどうイコール協働として、話していることが多い。
コラボレーション(Collaboration)は、かなり西洋的な概念であるのに、その深い意味を日本社会に住む人はあまり考えていなかった。それなのに一人歩きを初めていたようだ。
行政(業界)に「協働」という言葉が現れて来たのは、やはり10年ほど前だったと思う。阪神淡路大震災で行政の公共機能が上手に働かず、行政だけでは公共が果たせない事態があり、民間と行政が協力しあう仕組みについて考える時、この新しい日本語「協働」が民間側から現れたように思う。しかし、今やこの言葉に関して言えば、行政用語としてお役人さん達の業界の方が一般社会より先に定着しつつあるように感じる。
国の会議に出ると、「新たなる公共」という言葉が霞が関の官僚達から聞かれるようになったことに驚かされる。と同時に、公共の「責任」を誰が取るのかいう大命題を突きつけられていると感じる。「協働」は市民(Citizen・公共性の形成に自律的、自発的に参加する国民)が参画しないと形成されない。この市民感覚が養われて来なかった日本の社会は、大きな曲がり角に今ある。
協働はたやすいことではない、しかし「協働」なくしては、日本の社会はない。
(季刊ねおす原稿)