高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

義経神社

2010-09-15 13:49:17 | コラム風味

北海道平取町にある義経神社。ずっと気になっていたのですが、時間があったので立ち寄りました。

義経伝説の地です。江戸時代末期の探検家 近藤重蔵がこの地に訪れた時に、アイヌが刀や甲冑をカムイとして崇めていたのに出会い、それがかなり昔から続いていたと聞き、これと義経を結びつけたらしいです。 判官からとって、ハンガンカムイという伝承も地元にあります。

静内にも「判官公園」という地名が残る伝説があります。義経本人が北に流れてきたのかは定かではありませんが、少なくとも源頼朝に追われた義経軍の落人が北海道に来たんだろうなあ。

私は、義経その者が、北方系民族だったのではないかと思っています。
頼朝と血がつながった兄弟ではないと推察しています。 確固とした史料や見識があるわけではありませんが・・・。

北方系(東国)民族は、大和朝廷でもかなりの勢力があったことはわかっていますし、現天皇につながる系列は漢民族系と言われています。律令制度が確立してゆく過程で、北方系のオリジナルな日本列島の民族は次々に「日本」に組み込まれていったのです。

義経は、北方系民族から養子として、政略的に源氏に来たんじゃないかなあ。

しかし、あまりに活躍し、朝廷から官位までもらってしまったので、頼朝が恐れた・・・

奥州藤原氏も北方系民族?

でなければ、時の鎌倉幕府と戦をしてまで、義経を護らんでしょう。

源平絵巻で、義経が持つ弓は短いんです。小柄だったという説もありますが、他の源氏の武将の弓はもっと大きい。 北方系の弓は短いんですね。

義経の活躍と伝承は、事実が時の政権(鎌倉幕府)によってかなり作り話とされて、後世に伝わっているんじゃあないかなあ・・と疑っております。

と・・、しばし 義経神社の境内で ひとり、歴史を空想する私でした。
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