高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

なぜ、やまに登る(登った)のか・・・

2023-01-12 12:27:27 | コラム風味

人生振り返りシリーズ

自叙伝のようなブックレットを作ってくれるというので、古い写真を求められたのですが、そんなのあるかなあ・・と、古いアルバムを引っ張り出したら、岩登りにのぼせていた当時の写真がありました。

これは、利尻山の西大壁の中央稜だったかなあ、積雪期に登り、頂上直下のローソク岩前での記念撮影(左がアタシ)写真です。

20代、特に大学生時代は、社会人山岳会の札幌山岳会に所属していて岩登りに傾注していました。利尻は積雪期(とはいえほぼゴールデンウィーク)、夏と年に2度は出かけていました。

夏には西大壁にある青い壁という大岩壁の第二登を狙って先輩とでかけたことがありました。ルート中盤のハング(岩がせり出している場所)で、先輩が飛んで(滑落)して、宙吊りになり救出したことがありました。お互いにケガはなかったので、その後も完登を目指したのですが、アタシの握力が尽きて、握ったハンマーが手から離れない(手が開かない)というアクシデントで敗退。 3月には暴風雪に遭遇し、下山中に雪崩に流されて埋まったこともありました。

岩登りは北アルプスにも10日間くらい友人と3人と遠征し、涸沢にテントを張り、毎日のように滝谷、奥白又、屏風岩などをロッククライミングしました。さすがに5級ルートは無理でしたが、そのギリギリくらいのグレードであれば、落ちる気はしなかったなあ・・。

なんで、あんな危険な遊びをしていたんだろか・・・。

しかし、その過信のゆえに、冬の小樽赤岩の東大壁北大ルートの3ピッチだったか、小さなハングの乗っ越の時、目の前のハーケンが抜けて飛んだ、その下のハーケン(岩の隙間に打ち付けてカラビナという輪をかけてロープを通し滑落時に制動をかけて安全を確保する釘みたいなもの)も、ピンピンと二本も抜けたが、幸いにも三本目が効いて、岩に叩きつけられて止まった)。膝の下を大きくケガしたのですが、なんとか下山(というよりも大小の岩が積み重なっている斜面のガレ場を登り返す)を止血した足を引きずってほぼ自力で)して、テント場へついた。(この時、すぐに病院に運んでもらえるとアタシは安心したが、先輩が「紅茶のんで一息しよう・・」と言った時は、気絶しそうになったなあ)

映画にもなったマンガ「神々の山稜」は、エベレストの南壁登はんを目指す登山家の話、小説「還るべきところ」も心臓ペースメーカーを埋め込んでいるのにヒマラヤをめざしはじめ遭難してしまう会社社長の話なのですが、それほどまでの大それた登山はしていなくとも、その描かれる情景は容易・リアルに想像できるので、山登りをしなくなった今でものめり込めました。

あの頃は、実際に仲間を山で何人も失った。今日隣で一緒に飲んで、別々の山にでかけて、その彼は帰らず遭難死したりもしました。山で失った仲間、知人は指折り数えられます・・。

イギリスの登山家マロリーは、エベレスト初登頂を目指しましたが帰らぬ人となりました。彼は「なぜ山に登るのか」と問われ「そこに山があるから」という有名な言葉を残していますが、 今、アタシが、「なぜ山に登ったか」と問われれば、

その時は、思いも感じもせずにやっていましたが、「生きている実感がリアルに体感できること」が面白かったんだろうと、写真を見て思いましたがな・・・。

 

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