晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

続・大野 4/2

2011-04-04 | 歴史・民俗

2011.4.2(土)曇

 手元に「日本地名ルーツ辞典」という辞典がある。福井県、岐阜県、大分県の大野について掲載されているが、いずれも文字通り大きい野であるという説明だ。大小は相対的なものだから一概に言えないが、それだけに大きい野原だから大野だというのは納得いかない。柳田国男も「地名の研究」の中で、上記三つの大野について、「そうして今風の大きな野はないのであって、これを平地に接した山の側面、麓つづきぐらいに解しなければ意味がとれないのみか云々」と書いている。
また、山間の狭隘な地に大野がいくらでもあることをどのように説明するのか、私はこのことを常々考えてきた。
 前回紹介したオオ氏に由来する地名もいくつかあるようだ。於部郷、多、意宇郡、飫富郷、於保などなどの地名があるが極一部の地名であり、無数にある大野には直接繋がらないようだ。
 そんな時先日読んだ「京都北山を歩く(3)」(雨読2011,2,26参照)のなかで著者澤潔氏は美山町の大野について、「もともと大野といわれるほどのさして大きな野ではないのだが」と書いておられ、次の文章を書いておられる。私はこの文をうまく理解できないので、原文のまま紹介しよう。
 大野という地名は各地にあるが、出雲族との係わりのある処があって要注意の地名である。大字樫原にある大原神社の境内社川上社にスサノオ命を祀っているのが気にかかる。拙著『丹後半島の旅』(上)の大野(いま丹後大宮町)のところでも述べたが、スサノオに係わる出雲族の源流を規定するのはむずかしい。しかしその主流をなすものを、新羅系や高句麗系の北方渡来人と南方海人族との混血による氏族と考えるのは、そう突飛なことではあるまい。」
 そしてこの出雲族の主流がオウ族であり、出雲東部の意宇川(おうがわ)の流域を拠点として熊野大神を奉斎した、というのだ。
 さてここでいうオオ族が産鉄族オオ氏と同じものなのか、今一度「東国の古代・産鉄族オオ氏の軌跡」を読み直さなければならないが、このなかにはあまり出雲というのは出てこなかったように憶えている。Img_0272
 
大野ダム。ダムが出来て道路など整備されたことと思うが、それ以前の湖底の地域は谷の深い、山里であったろうと想像している。


 いずれにしても大野、大原が単純に大きな野原とは言えないようだ。
 大原と樫原、大野の関係は大原に由良川から直接文化が導入されたことを思わせる。大原神社が樫原から大原に移った理由は何だろう。古代の氏族、あるいはその末裔が移動し同時にまたは後日祭神が移動したと考えることはできないだろうか。そうなると澤氏が「西丹波秘境の旅」で言われているように、大原の文化が由良川から土師川、川合川を遡って大原に到着したとは言えない。由良川から大簾川を遡り、直接大原に導入されたのではないだろうか。峠越し文化論である。

【作業日誌 3/2】
ガーデンシェッド、フラワーポット掛け、ドア飾り物取り付け
薪整理Img_2587

ミスターウーノがダンプで雑木を持ってきてくれた。


今日のじょん:東北の地震から日がたつにつれて動物ネタのニュースが流れるようになってきた。がれきの中から救出されたり、漂流していたところを救出されたり、保護先で飼い主と再会したり、涙を誘うものばかりである。ペットショップの方が100匹以上の被災犬を預かっているニュースがあったが、食料などはどうしているのかなと心配になる。人に対する義援金はあってもペットに対する義援金はないもんなあ。普段大儲けしているペット関連会社も食料の支援しろよなあ。

コメント
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