2011.4.27(水)曇、雨
伝説中に現れる、というよりは主人公の藤元善右衛門といわれる人物について、今のところこの人物について書かれた文書なるものは確認できない。確認できたものは氏の墓なるもの、氏が残したと言われる鏃、氏が射たという悪人の遺跡と言われるや神さま、そして弓の名人と言われる口伝である。
大蜘蛛伝説が麻呂子親王や聖徳太子の時代の出来事を反映しているとしたら、善右衛門氏はその事件とは無関係だと思われる。墓の形式について詳しくは無いのだが、善右衛門氏の墓というのはもう少し時代が下がると思えるし、鏃も鏑矢があるのはもっと後の時代だと思うわけである。善右衛門という名前にしたって飛鳥や天平の時代らしくはないだろう。この辺の処は調査研究すれば明らかに出来ることだが、今のところは想像の域を出ることはない。
ただ、善右衛門氏は藤元株の先祖として実在はしただろうと思うし、武士の出で、弓の名人であっただろうことは想像に難くない。弓の名人として著名であっただけに説話としての大蜘蛛退治の主人公として採用され、聖神社の祭神として祀られたのではあるまいか。
ただ、大唐内と藤元善右衛門氏を結ぶ大きな理由があるはずである。それは日下部の部民が有安から出陣し、大唐内の産鉄の原住民を追放し大唐内に居住することとなったのではないだろうか。大唐内の入口に有安谷という地名が残っていること、大唐内の氏神ともいえる聖神社に有安の祖先である善右衛門氏が祀られていること、甘酒講といって毎年藤元七家を招いて祭礼を行っていることは、大唐内の住民の本貫の地が有安なのではないかと思わせるのである。
大唐内(左)と有安(右)を結ぶものは、伝説のストーリーだけでは無いような気がする。
そう解釈すると、大唐内の住民は有安の藤元善右衛門氏の大蜘蛛退治の恩を忘れないで毎年講を開いているということが素直に理解できるのである。つづく
今日のじょん:今日はかみさんが一日留守でおとーと二人で店番をしていた。夕方になり暗くなってきたら、心なしかしょぼんとしているようで、時々おかーを探しているように見えて不憫になる。こちらも心配になるころに車の音がして、帰ってきた。もう脱兎のごとく玄関に飛び出し、ちぎれんばかりに尾を振る様子には思わず嫉妬してしまう。