2011.4.4(月)晴
上林谷が古代の産鉄の谷であることを地名や神社、民俗習慣や伝説などから模索し続けている。しかし常に不安に思っていることは、いくら状況証拠を集めても産鉄がなされていたという証明にはならないということだ。最終的には物的証拠を見つけないことには徒労に帰すのではという不安である。
では物的証拠とはなんだろう。最も決定的なものはたたら跡であろう。これは動かしがたい証拠であり、その場所も確定できるし、年代も科学的な方法で測定可能だろう。次が鉄滓や羽口などのたたらに付属する遺物である。鉄滓というのはカナクソと呼ばれるもので、文字通りたたら製鉄の際にできる滓である。羽口というのはふいごから空気を送るところの吹き出し口のことである。
こういうものを発見するということはやみくもに探しても見つかるものではない。いろんな状況証拠からおおまかな地域を特定し、たたらの位置を予想しなければならない。自然の風を使ういわゆる野たたらならそれなりの風の吹くところ、また一般に南東向きの斜面などと条件がある。そして砂鉄八里に炭三里といって、近くに豊富な
山林資源を必要としている。大炭の材料は松、栗、槇が良質と言われているのでそれらが見あたらないところが、たたら場の候補とも言えよう。
それにしても発見は困難だろう、ひょっとしたら一生かかっても無理かもしれない。そこで一昨年から河原で鉱石探しをすることにした。磁石を片手にやみくもに石にあてて反応するものを探すのだ。そうするとあるはあるは、種類は五種類ぐらいだけど、数は無数にある。これ等が砕かれて砂鉄になるのかなあ、あるいはそのままたたらに使えるのかもしれない。中には鉄と同じぐらい磁石に反応するものもある。これ等を集めて実際にたたら製鉄をしてみたら、ひとつの証拠になるかもしれない。
もう一つは各地の砂を採取して、砂鉄の割合を出してみることである。この作業は進んでいないが、各谷の割合を出してみれば有力候補が出てくるかもしれない。
そんな観察を毎朝していたところ、意外にも念道の堤防で鉄滓を発見したのだ。 つづく
【作業日誌 4/4】
じゃがいも植え付け準備
今日のじょん:おとーが河原や堤防で鉱石探ししている間じーっと待っている。発見した鉄滓はじょんと念道橋の間、堤防の左斜面である。