晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 聖徳太子と鉄の王朝 4/9

2011-04-09 | 雨読

2011.4.9(土)曇

 上林の古代を探るとき、日本の歴史だけを紐解いても探り得ない。半島、大陸とのかかわりが大きく影響している。それは大陸や半島への出港地は九州になるようだが、日本への到着地は丹後であり若狭であることだ。海外からの交通が海路のみで動力のない時代には潮の流れ、風の方向が唯一の頼りである。それらの寄港地は北九州から若狭までの日本海沿岸が考えられるが、その目的地が飛鳥であり奈良であったなら丹後、若狭というのは最も濃厚な可能性のある寄港地である。そういった意味で古代の日本と朝鮮の係わりを理解しない限り丹後、若狭、ひいては上林の古代も理解できないのではないかと思う。
 「聖徳太子と鉄の王朝」上垣外健一著、角川選書、平成7年初版、定価1,300円、購入価504円
 外国の歴史を学ぶためにその国の歴史書を読んでも退屈なばかりで身に付かない。この本のタイトルや副題の「高句麗からよみとく飛鳥」なんてのは半島の古代を知るに恰好の教材である。日本の建国、その後の政権の確立にとって最も重要な物は鉄であったろうと確信する。その鉄、原料としての鉄をめぐってのやりとりで半島各国の消長、歴史をみると大変解りやすい。ただ各国の歴史的事件だけを追っても知識とはなっても理解はできないのだ。そういった意味で大変参考になった書であるが、後半、特に聖徳太子の登場する場面では鉄の話は出てこなくて、仏教の事ばかりとなる。「鉄の王朝」というよりは「仏教の王朝」となっている。
 聖徳太子の創建と言われる君尾山光明寺が上林の地にあることについて、なにかヒントになることは出てこないかと思いつつ読んでいたが、高句麗からの使節の飛鳥へのルートに鍵があるかも知れない。本ルートは敦賀から琵琶湖の塩津に抜ける塩津街道、あるいは小浜から熊川、高島に抜けるルートをとり、琵琶湖を航路で大津に渡り、宇治、木津を経て飛鳥に向かったものだろう。そしてもう一つ、丹後半島から丹波、山城と陸路で繋ぐルートも考えられるとある。
 上林がそのルート上にあったとしたら、使節団を迎える施設として光明寺が考えられないかなあと想像する次第だ。Img_2650
本書における半島の歴史については、日本書紀などを元にしたいわゆる日本から見た半島であるので、次に韓国文化院監修の写真の二冊を読むことにした。

 【作業日誌 4/9】
Img_2646 
Img_2647Img_2648






ガーデンシェッド、内装完成、物品搬入
芝生草引き
薪割り

今日のじょん:夜中の吠えについては今まで理由が確定できず、「何が来てるんやろ」と不可解であったが、ここに来てようやく確定してきた。近所の工場で女性のかん高い声がするときと隣のチコが鳴いているときである。イノシシなど動物が来ているときは吠えないで唸る。解ってみれば単純なものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする