2011.4.13(水)快晴
藤元家には先祖のものといわれる鏃が保管されている。是非拝見したいと言っていたので、用意していただいていた。
「藤元株の株元はこのうちに当たるのですか」
「そうです、藤元家七家の株元です」
「お墓は二基のみだったのですが」
「後の五軒は古井にありますが一軒はもう出ておられてありません」
「藤元善右衛門さんは弓の名人ということですが、武士の出やったんですかねえ」
「それはわかりません、平家の落人かもしれんねえ」
「善右衛門さんのお話はなにか書いたものがあるのですか」
「いえ、なにもありません」
「そうすると口伝えで伝えられてきたんですねえ。」
「甘酒講には今でも呼ばれて行かれるんでしょう」
「十月の講には藤元家から二軒ずつよばれるんやけど、結構大変なんやで」
「上林のお墓はよく家毎にあるんですが、ここはまとまってありますねえ。昔は家毎やったんですかねえ」
「家毎には無かったですよ」
「お墓の下の所に椿の木なんかが植わってますが、杜ということは言いませんでしたか」
「いやー、聞かないねえ」
などと聞きたいことは聞いたと思うが、後で井戸堀のことを聞くのを忘れたことに気づく。
鏃は普通のものと鏑矢のものがあり、もし善右衛門さんの持ち物であったら、善右衛門さんは武士であろう。猟師が鏑矢などを使うはずもないからだ。ただ神事に使うという可能性は否定できない。金属の年代測定などできれば、時代が特定できるのだが、そんなことも出来ないし、むしろお墓の方はその形状などから時代が特定できるかもしれない。
遠く離れた大唐内の地との古い交流、大唐内の神社に祀られるということを考えても、大唐内大蜘蛛退治伝説の裏には歴史的なおおきな事件があるものと感じさせられた有安訪問だった。
府道から有安を望む。
【作業日誌 4/13】
薪割り
草刈り1回目
今日のじょん:今月のじょんカレ。桜と犬はアングルがとりにくくいい写真が出来ない。上林の風景には防獣の柵が必ず入り絵にならない。