2011.4.15(金)曇、雨
丸山は小唐内(こがらち)の奥にある若丹国境稜線上の545mの山である。この山は国土地理院の地図で見ても山名もなく、545の標高が載っているだけの若丹国境稜線上の小ピークである。ところがこの山にはサントラ岩という柱状節理の岩があり、古文書にも登場する重要な山なのである。登場する文書によって呼び名が違い、サントウ山、サントラ山、三俵山、イモリガ嶽、生守山、猪ノ森岳などと様々である。丸山というのは丹波側の人が現在でも呼んでいる名前である。稜線上の小さなこの山がこれほどまでに様々に呼ばれているというのは、この山が重要な地位を占めていると言えるだろう。その一つは若狭と丹波を結ぶ古代の幹線道路だということだ。丹波というのはその先に都、つまり京都、奈良、飛鳥をひかえているということである。「丹波負笈録」に「三俵山は海上目当ての山なり」とある。つまり海を航行する船から方位などを定めるための目印の山ということである。青葉山や三国岳など高くて顕著な山が他にあるのだが、この小ピークが目印の山となっているのは、やはりサントラ岩がよほど目立った存在だったのだろう。そしてもう一つは生守村(いもりむら)という村が稜線上に存在し、室町頃に廃村になったという説があることだ。
小唐内(こがらち)からの丸山、特異な山容だ。
この村は一体何のために存在し、どうして廃村となったのか、これはロマンでありまたミステリーでもある。どうしてもこの山に行ってみたくて、昨年渡辺さんや西田さんにお願いしていたところ、冬は大雪となり、やっと今回実現したのである。
午後から出発の予定が天候の都合で午前中となり、布団の中にいた私は大慌てで準備し、老富会館に向かう。会館には桜井さんを加えた三人が既に待っておられて、軽トラで小唐内に向かう。小唐内の家本さんがガイドをしてくれると言うことだ。
ミツマタの群生と残雪。
林道の終点に軽トラを置き、谷沿いの道を登ってゆく。よく整備された杉林の中を登ってゆくが、その杉の大きさに驚く。中には戦前のものもあるそうだ。ミツマタが自生しており薄い黄色の花が満開である。ところどころに雪が残っており、この冬の雪の多さを思わせる。2mは積もったなあと家本さんは言っておられた。やがて谷は二股になり、その出合いで休憩する。
林道終点発 8:40
二股着 9:06
つづく
【作業日誌 4/15】
道具収納棚作り
今日のじょん:おとーは山へ、おかーは買い物に出かけ、夜は二人とも桜井さん宅へ夜桜を見に行き、じょんは留守番ばかりでややいぢけ気味。
茅葺きの家に桜がぴったり、また濁酒がぴったり、てなわけで宿酔。