晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(46) 丸山に登る(1) 4/15

2011-04-16 | 歴史・民俗

2011.4.15(金)曇、雨

 丸山は小唐内(こがらち)の奥にある若丹国境稜線上の545mの山である。この山は国土地理院の地図で見ても山名もなく、545の標高が載っているだけの若丹国境稜線上の小ピークである。ところがこの山にはサントラ岩という柱状節理の岩があり、古文書にも登場する重要な山なのである。登場する文書によって呼び名が違い、サントウ山、サントラ山、三俵山、イモリガ嶽、生守山、猪ノ森岳などと様々である。丸山というのは丹波側の人が現在でも呼んでいる名前である。稜線上の小さなこの山がこれほどまでに様々に呼ばれているというのは、この山が重要な地位を占めていると言えるだろう。その一つは若狭と丹波を結ぶ古代の幹線道路だということだ。丹波というのはその先に都、つまり京都、奈良、飛鳥をひかえているということである。「丹波負笈録」に「三俵山は海上目当ての山なり」とある。つまり海を航行する船から方位などを定めるための目印の山ということである。青葉山や三国岳など高くて顕著な山が他にあるのだが、この小ピークが目印の山となっているのは、やはりサントラ岩がよほど目立った存在だったのだろう。そしてもう一つは生守村(いもりむら)という村が稜線上に存在し、室町頃に廃村になったという説があることだ。Img_2714
 
小唐内(こがらち)からの丸山、特異な山容だ。


 この村は一体何のために存在し、どうして廃村となったのか、これはロマンでありまたミステリーでもある。どうしてもこの山に行ってみたくて、昨年渡辺さんや西田さんにお願いしていたところ、冬は大雪となり、やっと今回実現したのである。
 午後から出発の予定が天候の都合で午前中となり、布団の中にいた私は大慌てで準備し、老富会館に向かう。会館には桜井さんを加えた三人が既に待っておられて、軽トラで小唐内に向かう。小唐内の家本さんがガイドをしてくれると言うことだ。Img_2718 Img_2715
 
ミツマタの群生と残雪。


 林道の終点に軽トラを置き、谷沿いの道を登ってゆく。よく整備された杉林の中を登ってゆくが、その杉の大きさに驚く。中には戦前のものもあるそうだ。ミツマタが自生しており薄い黄色の花が満開である。ところどころに雪が残っており、この冬の雪の多さを思わせる。2mは積もったなあと家本さんは言っておられた。やがて谷は二股になり、その出合いで休憩する。
林道終点発 8:40
二股着    9:06
つづく

【作業日誌 4/15】
道具収納棚作り

今日のじょん:おとーは山へ、おかーは買い物に出かけ、夜は二人とも桜井さん宅へ夜桜を見に行き、じょんは留守番ばかりでややいぢけ気味。057

茅葺きの家に桜がぴったり、また濁酒がぴったり、てなわけで宿酔。

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上林探訪 志古田 4/14

2011-04-16 | 日記・エッセイ・コラム

2011.4.14(木)快晴

 4月12日、有安の帰りに志古田による。なにしろ我が家の野菜はサーキさんのハウスからの支給に頼っているような状態だから、素通りするわけにいかない。そのハウスの野菜はすっかり片づけられて、主役の万願寺唐辛子に代わっている。野菜作りも本業となると大変だなあと感じる。ハウスも今でこそ暖かくて心地よいが、夏になると暑そうだ。私も学校出てすぐはハウスの中でメロンの受粉などしていたがあの暑さには閉口した。今日はニラと紅苔菜を頂いた。紅苔菜は中国野菜でおひたしにすると大変美味しい。
 さて志古田といえば繞谷丘陵(じょうこくきゅうりょう)である。環流丘陵ともいい、そのほうが解りやすいかと思うが、河川の蛇行によって取り残された丘陵のことをいう。上林川にはいくつかのこの地形が見られるが、志古田、弓削、古城山のものは規模も大きく形もはっきりしていて上林の特徴的な風景となっている。浸食されずに取り残された丘陵だから硬い地質なのかと思いがちだが、近づいて見ると赤い粘土質の土で柔らかそうである。古城山も赤土の崩れているところがあったりして同じような地質らしい。ということは硬い地質だから残ったのではなく、流路の加減で残ったということかもしれない。Img_4177
 

志古田の繞谷丘陵、上林川はかつては志古田の集落のところを蛇行していたのだ。

 志古田の繞谷丘陵は林になっており、上林川側に小さな祠がある。これについては聞き漏らしてしまったが、村の側には共同墓地がある。この地は両墓制じゃ無いのかなと思ったが、聞くとかつてばらばらにあったお墓を一箇所にまとめたということだった。かなり古そうな石碑もあり、もともと墓地であったような気もする。その墓地の入口の処に「大乗院」と書かれた大きな石碑がある。年号等も書いてあるようだが、よく読めない。いろんな説があるそうだが、やはりかつて寺院があったとみるのが妥当だと思われる。志古田には薬師というところや、寺庭という地名があるそうだがはたして関連があるや否や。Img_2691 Img_2692
 この丘から村の方を望むとなだらかに開けた集落とそのむこうに和知との境をなす山々が見える。里には桜、山にはこぶしが咲き誇り、なんとものどかで開放感のある風景である。府道から志古田を見ると、繞谷丘陵が立ちふさがって威圧感と閉塞感を覚えるのだが実は志古田に入ってしまうとまったく逆の感じで、別世界に来たように思えるのだ。Img_2694





【作業日誌 4/14】
薪割り
道具収納棚作り

今日のじょん:居間で過ごすことが多くなって、床が傷ついていけない。ジョイントマットをひいてやるとそこでくつろいでいる。Img_2707

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