2011.4.12(火)快晴
鬼伝説を一旦締めくくる前に有安のや神さまと藤元善右衛門氏のお墓を見てみたいと思っていた。行こうかなという度に雪が降って4月になってしまった。今日はいつもどおり木の切り出しに行ったのだが、あまりにも良い天気なので愛車初恋号を出してきて有安に行くことにした。途中上林禅寺の桜を見たりして有安に向かう。
上林禅寺の見事な桜、明日明後日が見頃かな。
3時には到着し、有安の道を辿る。や神様っていったってどこにあるか解らない、道端で畑仕事をしておられるご婦人に尋ねる。
「や神さまってどこですか?」
「そこやで」
「いやあ、思ったより小さいですねえ」
「いっとき盗まれそうになったんやで」
「それでコンクリートで固めてるんですか、それにしても罰当たりな話ですねえ。ところで善右衛門さんの子孫の家というのはどこですか?」
「うちやで」
これがや神さまだ。
てな調子で運良く善右衛門さんの子孫というお家の方に出合うことができた。や神さまは道の脇の畑の側にそれとなく鎮座されている。ちょっと変わった形の石の神さまである。大唐内の甘酒講のことや、善右衛門さんは弓の名人で山の上から悪人を弓で射た話など既に見聞きした話をひとしきり聞いて、お墓に行く。
お墓の位置は藤元さんに聞いたとおり、有安地域の集合墓の奥の小高い丘の上にあった。伝説ではこのお墓の位置からや神さまの位置にいる悪人を弓で射たと言うことだ。物理的にはかなり無理があろうかと思われるが、あり得ないことはないという微妙な距離だ。お墓は二基分のスペースがあり、藤元さんによると一基は奥さまのものだということだ。石塔は一基のみがあり、かなり古い時代のもののようだ。
藤元善右衛門氏のお墓、隣は奥様のお墓だとか。
今はこの小高い丘も植林に覆われて薄暗く気味悪いところだが、植林がなされていない時分には一帯を見おろす随分気持ちの良い所だったであろうと思う。帰りに墓地を通過すると、藤元家のお墓は二箇所である。既になくなっている墓地も二箇所ほど見受けられるが、藤元七家には足らない。
こんなことを考えているともう少し聞きたいことがあるので再度藤元家に寄る。
つづく(大唐内のこと(43)は2011.3.27)
【作業日誌 4/12】
木樵八回目
今日のじょん:これだーれだ?藤元さんちのコロちゃんやったけ、13才の老犬である。お年寄り好きのじょんは仲良しになれるかも、、、。