晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(44) 鬼伝説 4/12

2011-04-13 | 歴史・民俗

2011.4.12(火)快晴

 鬼伝説を一旦締めくくる前に有安のや神さまと藤元善右衛門氏のお墓を見てみたいと思っていた。行こうかなという度に雪が降って4月になってしまった。今日はいつもどおり木の切り出しに行ったのだが、あまりにも良い天気なので愛車初恋号を出してきて有安に行くことにした。途中上林禅寺の桜を見たりして有安に向かう。Img_2670

上林禅寺の見事な桜、明日明後日が見頃かな。


 3時には到着し、有安の道を辿る。や神様っていったってどこにあるか解らない、道端で畑仕事をしておられるご婦人に尋ねる。
「や神さまってどこですか?」
「そこやで」
「いやあ、思ったより小さいですねえ」
「いっとき盗まれそうになったんやで」
「それでコンクリートで固めてるんですか、それにしても罰当たりな話ですねえ。ところで善右衛門さんの子孫の家というのはどこですか?」
「うちやで」
Img_2674 これがや神さまだ。



 てな調子で運良く善右衛門さんの子孫というお家の方に出合うことができた。や神さまは道の脇の畑の側にそれとなく鎮座されている。ちょっと変わった形の石の神さまである。大唐内の甘酒講のことや、善右衛門さんは弓の名人で山の上から悪人を弓で射た話など既に見聞きした話をひとしきり聞いて、お墓に行く。
 お墓の位置は藤元さんに聞いたとおり、有安地域の集合墓の奥の小高い丘の上にあった。伝説ではこのお墓の位置からや神さまの位置にいる悪人を弓で射たと言うことだ。物理的にはかなり無理があろうかと思われるが、あり得ないことはないという微妙な距離だ。お墓は二基分のスペースがあり、藤元さんによると一基は奥さまのものだということだ。石塔は一基のみがあり、かなり古い時代のもののようだ。Img_2679 Img_2678
 
藤元善右衛門氏のお墓、隣は奥様のお墓だとか。


 今はこの小高い丘も植林に覆われて薄暗く気味悪いところだが、植林がなされていない時分には一帯を見おろす随分気持ちの良い所だったであろうと思う。帰りに墓地を通過すると、藤元家のお墓は二箇所である。既になくなっている墓地も二箇所ほど見受けられるが、藤元七家には足らない。
 こんなことを考えているともう少し聞きたいことがあるので再度藤元家に寄る。
つづく(大唐内のこと(43)は2011.3.27)

【作業日誌 4/12】
木樵八回目

今日のじょん:これだーれだ?藤元さんちのコロちゃんやったけ、13才の老犬である。お年寄り好きのじょんは仲良しになれるかも、、、。Img_2682 Img_2683

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コメント感謝 4/11

2011-04-13 | 日記・エッセイ・コラム

2011.4.11(月)曇

 当ブログに対して真摯なコメントを頂いている。実は歴史、民俗に関するものについてはもっともっと批判や反論を頂きたいと願っている。というのは古代の歴史や地名に関することなどは思いをめぐらせて一定の仮説は立てることが出来ても、それを検証するということは困難であるばかりか、事実を立証することはタイムマシンでも発明されない限り無理なことだろう。そうなると重要なのは他の人の意見ではないだろうか。一般的に認められる説がそれが事実であるか否かは別として正論なのだろうと思うのだ。そういう意味では私の誠に頼りない説についてご意見ご批判を頂くのはこの上なくありがたいことだと思っている。従っていただいたご意見については誠実にお応えすべきだと考えている。
 「異端の書」(2011.2.4参照)についてのビヨリさんのコメントについて
丹後風土記残欠についてここまで書いたら、なんらかの反応はあるだろうなあと予想していたら、しっかりと長文でコメント頂いて感謝している。神学の例まで書いていただいて、かつては解らなかったが歴史の進歩により偽書であることが解ってきたということを解りやすく説明していただいたものと思う。ただ私が書いた意図というのは、加藤氏が論文に書かれているように二つの根拠のみを持って偽書とみなして史料的価値がまるでないものとしていいものなのかということであって、偽書というなら個々の記事についてその矛盾を示していただきたいということだ。でないと”
「田造」「高橋」の偽造がある以上、「残欠」全文が疑惑のベールで覆われている。”というのは理解しがたい。
 歴史的な文書というのは古代の事柄についてはそれが記述されるのは、時代が下がってのことであるのは当然だし、それまで口伝であったものが文章化されるということだろう。古事記をみてもそのとおりである。そこで偽書というのはどういうものなのか。例えば神社の由来や故事を書いたとして、取材先がまるっきりインチキなことをしゃっべっていたらどうなのだろう。筆者が取材も何もせず、ある種の意図をもって空想やでっち上げで書いたとしたらどうなんだろう。
 例えば今日ではフィクションとノンフィクションがある。歴史小説でもドラマ化されるとますます史実とは遠くなる。こういうジャンルが過去ににもあったとしたらどうだろう。基本的に歴史的文書は正しくて、婉曲であっても史実に基づいているものではないかという考えが私たちの根底にあるからこそ、この書は偽物だとかあの書はインチキだという事象がでてくるのかもしれない。
 東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)なんてフィクションとして読んだら、その辺の下手な小説よりよほどおもしろいぜ。

【作業日誌 4/11】
薪割り

今日のじょん:おとーの石探しに辟易している。それでも今日はなんか新しいものを発見したみたいだ。Img_2654

 
 

 

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