2011.4.20(水)雨後曇
上林の歴史をたどるとき、それが例え一寒村の小さな集落に限ることであっても古代にあっては日本全体の権力構造の形成と拮抗する東アジアの各国の情勢が関連してくることが解った。丹後、若狭は古代の日本の玄関口である。奥座敷である飛鳥や奈良に通う道筋である丹波や近江は上がりかまちとでもいおうか。「大唐内のこと」を書き始めて、これは大変な処なんだという認識がプレッシャーとなっている。特に古代の遺跡は少ないか、もしくは調査されておらず、表層文化の遺産というものも無い状態で、この地の歴史を探るためには、民俗文化への憧憬と日本とそれを取り巻く諸国の歴史的認識が重要なファクターとなろう。
「民俗学からみた古代の韓国と日本」直江広治他、韓国文化院監修、学生社発行、1998,12初版、定価1、200円、購入価200円
古代の日本に最も影響を与えたのは朝鮮半島諸国だろう。政治、文化、人物、宗教、産業あらゆるものが影響を及ぼしているのだが、その半島の歴史情勢については私たちは何とも無知である。ヨーロッパや中国について詳しくても朝鮮半島についてはどうもと言う方も多いのではないだろうか。近くて遠い国、朝鮮半島の諸国の古代については私自身も皆無の状態である。
いきなり専門的な本を読んでも身に付かない。この本は韓国大使館文化院が開催されている文化講座の講演をとりまとめて冊子にされたもので、内容が大変解りやすい。古代の日本と韓国シリーズ13冊の中から手始めに、本書と「古代の高句麗と日本」の二冊を購入した。
このうち二冊を読破。
本書の内容は日韓の比較民俗学といったところか。
おもしろいと思ったのは日本では右手が東の方位を示すが、韓国では西を示すということだ。朝鮮半島では文化が北方から南に移動してきたと考えられるので、お腹は南を向いているということだ。日本は文化の終着駅である。北からの文化を受け止めてきたから、お腹は北を向いているということだろうか。
【作業日誌 4/20】
薪割り
濡れると赤くなる切り口、一体何の木だこれ?
今日のじょん:肛門腺から出血があったということで抗生剤を飲まされた。そのせいか、狂犬病注射のせいか、レインコートのせいか、ユキちゃんのせいか解らないのだけど朝には嘔吐して、すこぶる元気がない。薬やストレスならそのうち治るだろうが、ユキちゃんの場合は草津の湯でも治らないので困ったものだ。
元気がねーぜ、おとーのとこで吐かんといてや。