2011.4.5(火)快晴
能書きが多くて肝心なことを書くことが出来なかったので、引き続いて鉄滓について紹介したい。
発見したのは4月4日朝、発見場所は上林川右岸堤防念道橋西20m北側斜面溝附近である。昨年末よりイノシシによる掘り起こし被害があり、掘り起こされた岩石などを観察していたのだが、従来の斜面で発見、土や苔に覆われていた。
この堤防は昭和28年水害(28水と呼ぶ)後に造られたものだが、表面の土砂岩石は上林川河原と同様のものである。28水までは今のような高い堤防はなく、水害時には水面は府道まで届いたということである。水が引いた後には田畑には土砂、砂利が堆積し、堤防が完成した際その土砂が使われたものと思われる。田畑にはいまだにその時の砂利、小石が多く、耕作されている所は堤防沿いに多くの小石が集めて捨てられている。こういった情況から、この鉄滓は元々この地にあったとは考えられず、28水の際に上流から流されてきたものと考えるべきだろう。
発見はこの左下斜面。
さてこの鉄滓と思われる小石について考察してみたい。大きさは縦横5cm程度の板状で色は灰褐色、表面に大小の気泡の跡と思われる小穴や溝状の穴がある。比重は測っていないが、軽石のように軽くはなく、鉱石のように特に重くは感じられない。磁性は弱く、フェライト磁石ではほとんど反応しない、ネオジム磁石でようやく付着する程度だ。一部鉄の結晶と思われるものが付着している箇所があり、茶色の錆が生じている。この部分の磁性は強力だ。
昨日の写真の反対側、右下に鉄の結晶がある。
鉄滓であるか否かはインターネットで画像を検索して比較したわけだが、色合い、形状、気泡跡の様子など考慮して、本物だろうと判断したわけである。このグーグル検索画面で島根県邑南町で採取されたものなどはうり二つである。
ただしこの検索画面は要注意である。3月24日に紹介した鉄滓もどきの石について同様の写真が掲載されていたので、「やはりあれも鉄滓だったのか」とドキドキしながら詳細を見ると、「晴徨雨読」につながった。なーんだこのブログが紹介されていたのか。鉄滓の文字と画像があれば自動的に紹介されるようだ。つまり「鉄滓でない」と書いても紹介されるので要注意である。
今回のものは間違いないと思うのだが、これが古代のものかどうかは別問題である。畑口川流域清水の鋳物遺跡から流れてきたものである可能性もある。そうなるとそう古い時代のものとはならない。このことについては後日記すことにして、念道以奥にたたらがあったということは証明される事だし、近世のものであったとしても古代にたたら製鉄が存在したという可能性は考えられるものだろう。
今日のじょん:今日はじょん君一日お留守番していたので様子がわからない。結構気が張って疲れたみたい。おとーとおかーは京都行ってやした。もう桜咲いてんだぜ、驚き。