2011.4.17(日)曇
予想通り鬼の岩屋は発見できなかった。この風化した砂利に埋まって しまったのだろう。こういうふうに風化した地形には憶えがある。昨秋の廃村宝尾探訪の折、村から日置峠にトラバースする道は将にこの通りだった。通行困難な状態でもあったので尾根道を行ったぐらいだ。おそらく同様の地質だったのではあるまいか。
日置峠へのトラバース道。
さて家本さんに聞いた鬼の岩屋に関する言い伝えである。それは明治の頃、蚕種の貯蔵に使用すべく鬼の岩屋を村人達が調査した。深い洞窟に一体何者がいるか解らないので、竹を割ったものをつないで奥へ奥へ入れていったと言うことだ。何に突き当たるかと思いながら送っていくと、妙な震動が伝わってきたと言うことだ。その震動があたかも蛇が興奮したときに尻尾を震わせるような感じだったので、大蛇がいると言って逃げ出し、貯蔵庫の話は立ち消えになったということだ。
この話は大蛇がいるというのは別として、村人が蚕種の貯蔵庫にしようとしたことは事実だと思う。蚕種(蚕の卵)を作るには一定の温度が必要で、こういった岩穴を利用することが有効であったそうだ。自転車旅行で宮城県白石市の小原の材木岩を訪れたとき蚕種貯蔵用の風穴が当時の姿に再現され展示されていた。小原の材木岩は規模の大きな安山岩の柱状節理で、サントラ岩と基本的に同質の地質である。こういうところでは風穴が出来やすく、内部の気温が一定なので温度調節の困難な時代に蚕種貯蔵庫としては誰もが考えついたことなのだろう。
小原の材木岩と風穴氷室の中。(2006.10.26)
鬼の岩屋は見つけることが出来なかったが、おそらくこういった風穴なのだろう。
もう少し丹波側に回り込んで尾根を降りると大唐内に降りられるが、トラックが置いてあるので、尾根を右手に見ながら手前の小尾根を下ってゆく。鹿の食害で熊笹や下草が総て無くなり異様な姿になっている。馬酔木の木だけが食べられることなく緑の葉を茂らせているのが不気味な感じだ。途中黒文字を教えて貰ったり、炭焼釜の跡を見つけたりしながら下っていくと、行きがけに休憩したマタンの出合いに飛び出した。
炭焼釜跡は4,5箇所あった。結構最近まで焼かれていたようだ。
林道終点着 11:39
つづく
【作業日誌 4/17】
薪割り
今日のじょん:最近なにか主張している風が見える。例えば散歩時に立ち止まって、別の道に行くような主張をするのだ。行きたい方に行ってやると凄く喜んでいるようだし、無視して真っ直ぐゆくと何か嫌々付いてきてるようだ。写真は散歩が終わって家に入ろうとするとき、もっと遊んでいたいよと言ってるところ。