晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(48) 丸山に登る(3) 4/17

2011-04-17 | 歴史・民俗

2011.4.17(日)曇

 予想通り鬼の岩屋は発見できなかった。この風化した砂利に埋まって しまったのだろう。こういうふうに風化した地形には憶えがある。昨秋の廃村宝尾探訪の折、村から日置峠にトラバースする道は将にこの通りだった。通行困難な状態でもあったので尾根道を行ったぐらいだ。おそらく同様の地質だったのではあるまいか。Img_1698
 
日置峠へのトラバース道。


 さて家本さんに聞いた鬼の岩屋に関する言い伝えである。それは明治の頃、蚕種の貯蔵に使用すべく鬼の岩屋を村人達が調査した。深い洞窟に一体何者がいるか解らないので、竹を割ったものをつないで奥へ奥へ入れていったと言うことだ。何に突き当たるかと思いながら送っていくと、妙な震動が伝わってきたと言うことだ。その震動があたかも蛇が興奮したときに尻尾を震わせるような感じだったので、大蛇がいると言って逃げ出し、貯蔵庫の話は立ち消えになったということだ。
 この話は大蛇がいるというのは別として、村人が蚕種の貯蔵庫にしようとしたことは事実だと思う。蚕種(蚕の卵)を作るには一定の温度が必要で、こういった岩穴を利用することが有効であったそうだ。自転車旅行で宮城県白石市の小原の材木岩を訪れたとき蚕種貯蔵用の風穴が当時の姿に再現され展示されていた。小原の材木岩は規模の大きな安山岩の柱状節理で、サントラ岩と基本的に同質の地質である。こういうところでは風穴が出来やすく、内部の気温が一定なので温度調節の困難な時代に蚕種貯蔵庫としては誰もが考えついたことなのだろう。Img_1446 Img_1449

小原の材木岩と風穴氷室の中。(2006.10.26)


 鬼の岩屋は見つけることが出来なかったが、おそらくこういった風穴なのだろう。
もう少し丹波側に回り込んで尾根を降りると大唐内に降りられるが、トラックが置いてあるので、尾根を右手に見ながら手前の小尾根を下ってゆく。鹿の食害で熊笹や下草が総て無くなり異様な姿になっている。馬酔木の木だけが食べられることなく緑の葉を茂らせているのが不気味な感じだ。途中黒文字を教えて貰ったり、炭焼釜の跡を見つけたりしながら下っていくと、行きがけに休憩したマタンの出合いに飛び出した。Img_2733

炭焼釜跡は4,5箇所あった。結構最近まで焼かれていたようだ。


林道終点着 11:39
つづく

【作業日誌 4/17】
薪割り

今日のじょん:最近なにか主張している風が見える。例えば散歩時に立ち止まって、別の道に行くような主張をするのだ。行きたい方に行ってやると凄く喜んでいるようだし、無視して真っ直ぐゆくと何か嫌々付いてきてるようだ。写真は散歩が終わって家に入ろうとするとき、もっと遊んでいたいよと言ってるところ。Img_2762

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大唐内のこと(47) 丸山に登る(2) 4/16

2011-04-17 | 歴史・民俗

2011.4.16(土)曇、雨

  さてこの二股、左側の谷の方がきれいで水量も多いが、河床を見ると右が低くて本流である。家本さんに支流の名を聞くと、「マタンやで」という応えである。どんな字を書くのか聞いたがそれは解らないということだった。タンは谷のことだがマとは何だろう。大江山、奥北原の先にタタラ跡の北原遺跡がある、この谷は魔谷(またに)と呼ばれ、鉄滓や炉の跡が出たという。またその鉱滓の原料は砂鉄でなく鉄鉱で二酸化チタンの多い品位の低いものだそうだ。マタンの名を聞いたときこの大江山のタタラの谷を思い出した。
Img_2719
 マタン出合い、気持ちの良い場所だ。

 さて、休憩の後本谷を詰めてゆく、谷筋からツメの様相になってきたかと思えば峠に飛び出した。ここが交通の要所猪鼻峠である。峠道は若狭側に下っており、その先で市茅野からの道と合し、関屋川を下り関屋に至る。老富の方々は子供の頃にこの峠を越えて若狭に海水浴に行ったそうだ。若狭ではお寺などに泊まって、いわゆる臨海学校というものである。Img_2720 Img_2722
 
猪鼻峠、若狭側は杉木立の間から関屋、青鄕方面が望まれる。


 私たちは国境稜線を北西に進み、丸山を目指す。風化した石の斜面となってきて、本来の道は解らなくなる。家元さんがサントラ岩は若狭側だといわれるので、思い思いに東側に回り込んでゆくが、足下は悪く、傾斜はきつくて結構危ない。灌木から灌木へ綱渡り的にトラバースし、それらしい岩壁にたどり着く。西田さんと私とで「これですかねえ」と決めつけて、写真を撮り節理のかけらを採取する。節理と言っても思ったほどはっきりしておらず、半信半疑という感じだ。その時下の方から声がかかり、「こっちらしいで」ということだ。全員集合して休憩する。その岩壁は先程より規模は小さく、節理も同様にはっきりしていない。Img_2727 Img_2724

若狭側に回り込んだところの岩壁とその下部やや丹波側の岩壁。いまいち節理がはっきりしていない。


  一応このあたりの岩壁をサントラ岩であることとし、鬼の岩屋探しに行く。鬼の岩屋についてはこれも「丹波負笈録」に二つの鬼の穴として記録がある。丹波の側にあり、入口は四尺許、二里許奥に入りて戸口有りなどと書かれている。
 二里も入ってまだ奥があるというのはともかく、四尺ばかりの入口というのは頷ける。家本さんはかつてこの鬼の岩屋を見たことがあると言うことだったが、かなり土砂に埋まって入口も狸の穴ぐらいということで、おそらく今では埋まってしまっているだろう。そしてもう一つこの鬼の岩屋に関するおもしろい言い伝えを聞かせてもらった。つづくImg_2730

丹波側は風化した砂利の急斜面である、木々の合間から三国岳が見える。


マタン出合発 9:15
猪鼻峠着   9:36
サントラ岩、鬼の岩屋探索 ~10:20
 
【作業日誌 4/16】
薪割り

今日のじょん:じょん語録(58)えー声~
救急車が走るとウヲ~ンと吠える。チコもヘイヘイも吠えるので賑やかい事だ。通り過ぎると吠え止むのだが、「えー声~」と言ってやると何度でも吠える。これはおもしろい。Img_2753

えー声~。

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