2011.12.10(土)曇、晴れ
農耕が発達すると、原始原野であったところを切り開いて野生動物を追い出したことは事実です。しかしそのことを否定するなら、日本列島は未開の原野であって、獣害だの動物愛護だのと言っている人間自体が存在していないこととなります。
田口氏は狩猟と農耕はわかちがたい絆で結ばれていて、人間が山の自然を守っていた過去にはそれぞれのバランスが保たれていたと言っておられます。
獣害はそのバランスが崩れていることから起きています。つまり、野生動物を山に追い上げていた「人間の営み」が退潮しているということです。
ネットの向こうにネットあり。
ネット脇に何キロも続く獣道は人間と獣の最前線を思わせる。
現在我がじょんのび村の周囲にはあらゆる野生動物が徘徊しています。イノシシ、シカ、サル、アライグマ、アナグマ、イタチ、タヌキ、キツネ、ヌートリア、ノウサギそしてクマの形跡もあります。北は谷と山、西は家、南は道路、東は空き家となっています。
家の裏はだれも入らない山、おっとそこにサル発見。
境をなすものは北の一部に防獣ネット、東の畑に防獣ネットがあるのみです。要するに獣達を防御する囲いは無いに等しい状態です。獣達は昼間でも目視できる状態なのですが、その境から入ってくることはありません。それは皆無ということではなく、不在の際に猿が大根や椎茸を狙って来たこともありますし、夜中にのり面を猪に掘られたこともありました。しかし獣達が凌駕している北面の山、東の空き家とは雲泥の差があります。隣の家の屋根は猿たちの遊び場になっていますし、裏庭は猪の餌場と化しています。彼らは今のところわたしの家の敷地には入ってきません。
ここは全面イノシシに掘り起こされています。向こうの建物は我が家。
氏の言われる「人間の営み」の圧力というものが如実に現れています。問題は個人の家ではなく、村全体のことなのです。
氏は熊を追っていた犬も今や愛玩犬と化し、山菜まで安価な中国から輸入していると「人間の営み」が自然から撤退している事に警鐘を鳴らしています。
自然の中で、人が占めていたエリアが空いてきた。そのためクマなどの野生動物が、空っぽになった里に下りてくるようになりました。と氏は説いています。単純なこの言葉の中にこそ獣害対策の根本があるのではないでしょうか。
この新聞記事はじょんのびに置いておきます。意識のある方は見てください。
【作業日誌 12/10】
杉皮むき
今日のじょん:じょん語録57で鍋猫じょんを紹介したのだが、違う意味での鍋猫じょんを発見した。お昼はねだりに来ないのだが、なぜか夕べの残りの鍋を炊いてると寄ってくるのだ。やっぱ冬は鍋がいいねえ。
鍋の時は背後霊のように寄ってくる。