2011.12.16(金)曇、雪
話の筋がだんだん大栗峠から遠のいているかのように思われるでしょうが、大栗峠志古田道の謎を解く鍵は「右弓削 左京道」の石碑を発見することにあると思います。そんな意味で可能性は少ないだろうけど志古田、弓削間の尾根の峠道を探っているのです。
峠を弓削に降りて、上林川沿いを探索に行きました、丁度市の水道の施設が新設されたところです。川沿いに古い道の痕跡でも無いだろうかと見てみましたが、ブッシュで確認は出来ませんでした。志古田、弓削間の通行は通ってきた峠が濃厚のようです。
後ほど知ったことですが、志古田、弓削間の峠の北には二つの小ピークがあり、かつて弓削城と呼ばれる山城があったそうです。土塁や掘切など残っているそうです。
弓削の中程には「丹波志」に湯ノワク古跡と書かれている薬師堂があり、環流丘陵の丸山には秋葉神社があります。今回時間が無かったので位置を確認しただけですが、いづれゆっくり訪問したいところです。
志古田への帰りは上林川を渡って府道沿いに歩いたのですが、峠道に比してなんと遠いことか、徒歩である限り峠道が如何に合理的かよく解ります。
帰り道では丸山腰の大乗院の石碑を見に行きました。年号が彫ってあるのですが、苔などの都合でよく読み取れません。文久のようにも思えるのですが、拓本の技術が必要だと思いました。大乗院については一向に何か解らないのですが、次に行こうとしている第二の鞍部方面を向いているのが妙に気になりました。
次の探索は石碑の向いている、あの鞍部。
【作業日誌 12/16】
白樫剪定
今日のじょん:雪の中で昨年みたいにパクパク遊ぶかなあと思ったら、シラッとしておりやした。なんじゃ。