2014.7.4(金)曇り、雨
穴蒸し火葬説の問題点の一つは、焼くということが蒸すと表されるかということである。国語辞典、漢和辞典、古語辞典、方言辞典、民俗学辞典、日本史辞典、語源辞典、古代地名辞典などあらゆる辞典を駆使して調べたが、焼くことが蒸すとは表現されない。
穴虫研究を始める以前から気になっていた神社がある。丹後や越前にある大虫、小虫神社である。鉱山民俗学者を名乗る若尾五雄氏が、「焼いて蒸気化した水銀を碗で覆って滴るものをとる蒸留法であるが、その窯神のことではないか。則ち大蒸、小蒸のことだ。」(黄金と百足)と書いている。
なんとも若尾氏らしい大胆な発想ではあるが、古代水銀の産地だけに可能性のある説かもしれない。火葬の場合も遺体を燃やしてしまうのではなく、骨を残し、その骨を大切に祀るのだから水銀の蒸留と同じように考えられまいか。
火葬を蒸すと表現するとしたら、この一点しかないだろうと思う。
もう一つの問題点は、地方に数多く存在する穴虫についてである。八世紀に仏教の普及とともに天皇、僧、上流階級に火葬の習慣が広まったとしても、地方においてはやはり土葬が一般的であったと考えられる。国分寺や国衙の近隣では国策として火葬が行われたかも知れないが、地方の山間部に存在する穴虫が火葬場を意味するとは考えにくいのである。
亀岡市千代川の穴虫(左)は国衙推定地、河原林の穴虫(右)は国分寺に隣接する。
ただ、穴虫地名はそう多いものではない。何鹿郡には1ヶ所、天田郡にはまだ見つかっていない。そして桑田郡の2ヶ所は国分寺、国衙の近隣であるし、与謝郡も国分寺の近くに見つかっている。これらの近くの遺跡からカマド墳や火葬骨が出るようなら、穴蒸し火葬説も浮上してくることだろう。
つづく
【今日のじょん】昨晩のことである、わたしが風呂に入っていると「お父さんキツネやで」とかみさんの声。センサライトが点いたので窓から外を見ると、じょんぐらいのキツネが通り過ぎたという。精悍な身体と大きな尻尾でキツネとわかったそうだ。どおりで夜な夜な現れる割には野菜畑が荒らされないわけだ。アライグマやアナグマなら胡瓜やトマトがやられるはずだから、、、。明るい時に何度も目撃されているのでキツネが生存していることも承知済みだ。ネットの画像情報で先日の糞を調べるとやはりキツネのようである。鶏など飼っていない我が家では、直接の害は起こらないがエキノコックスなどの感染が犬、人間とも不安要素になる。
堤防の道で未熟の大きなトマトの食いさしを見つける。アライグマかアナグマかヌートリアってとこか。水嶋さんの畑は立派なネットを張られたが、しっかり破られている。畝にも足跡がこのとおり。