2014.7.7(月)雨、曇り
日本三奇というものがある。何か解らない奇妙なものの代表と言うところだろうか。宮城県塩竈神社の鉄製大塩釜、宮崎県高千穂霧島神社の銅製天の逆鉾、そして今回の主役兵庫県高砂市生石(おうしこ)神社の石の宝殿と呼ばれるものである。日本三景と違って誰もが知っているというものでは無く、わたし自身も本書を読むまで知らなかったことである。この内訪れたとこがあるのは霧島神社のみであるが、逆鉾の事は見聞きしなかった。(逆鉾は高千穂山頂にある)また、塩竈神社の塩釜についてはすでに雨読で紹介している「鉄の文化史」(新日本製鐵編)の中で科学的に解説されている論文「塩釜と鉄」(村上正祥)に登場していた。4基の鋳鉄製塩釜が祀られているが、一体何が奇なのか解らない。鉄のばかでかい製品(直径147.6など)の製法が奇なのか、それとも用途が奇なのか。
石の宝殿が奇なのはすぐに理解できる。御神体である500トンにも及ぶ石造物が一体何なのかが解らないのである。その謎を解こうとするのが本書である。
「日本史の謎・石宝殿」(間壁忠彦、間壁葭子)六興出版 昭和58年四刷(53年初版) 古書
見開きにある謎の巨岩、石宝殿
著者の間壁ご夫妻(と思うのだが)は倉敷考古館の館長と学芸員という肩書きである。発刊当時のことだから現在は代わられているかも知れないが、実にユニークな博物館である。展示物は個人的にコツコツ集められたもののようで、そのすべてが手書きで解りやすく説明してある。海外のものも含めいろんな分野の遺物が展示してあり一日中居ても楽しい博物館である。公開されている論文もユニークな視点で書かれているものが多く、学術論文はどうもと思われる方も、気軽に考古の世界に入り込めそうである。
倉敷なら誰でも訪れる地にある倉敷考古館、橋向こうの蔵の建物。
手書きの説明がとても身近に感じる。
JR山陽本線加古川の次が宝殿駅である。これが石宝殿に由来するとは知っている方は少ないだろう。宝殿駅から1,5Kmほど西に行くと石宝殿がある。(石乃宝殿、石の宝殿とも記されるが以下石宝殿と記す)
石宝殿を知ったのは実は穴虫地名の調査からである。姫路市大塩に穴虫があることは知っていたが、以前は穴虫は西に夕日が沈むところというような意味合いで調べていた。つまり穴虫の東には歴史的に重要な集落や施設がある理屈になる。日岡神社、日岡御陵など太陽に関係ありそうな地名の施設もあるがどうもしっくりこない。ところがもっと手前にある石宝殿というのは一体何だろうという魅力があった。つづく
【今日のじょん】鹿ネットを張り巡らして、とりあえず谷からの侵入は無くなった。ところが隣家との間の獣道は連日連夜新しい足跡がついて、盛んに通行しているらしい。ここまではっきり通行の跡が残っているのだが、その実態が解らない。鹿の足跡は川側から山側にのみついている。よく見ると府道を渡ってきているようなのだが、府道に出るまでのルートが解らない。府道では例年何匹もの鹿が交通事故に遭っている。多分府道を渡ってきているのだろうが、府道までの痕跡が無い。不思議なことだ。
この部分は登りの足跡ばかり、歩道の縁石に爪痕あり、川から来ているのは確かなんだが、、、。