晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

上林の両墓制(2) 志古田-2 7/29 

2014-07-29 | 歴史・民俗

2014.7.29(火)快晴

 綾部高校研究紀要第二輯(しゅう)(昭和30年)に磯貝勇氏の「丹波地方及びその周辺における両墓制について」という論文がある。
 磯貝勇氏は綾部高等学校の前身の一つである綾部工業学校の校長として赴任してこられた方で、理系の方であるが民俗学に興味を持たれ、綾部在住時に多くの論文を書かれている。その研究をまとめられた「丹波の話」(昭和31年東書房発行)は綾部市を中心に民俗学的研究の集大成で実に優れた本である。
 綾部高校研究紀要第二輯は綾部市立図書館、綾部高校図書館に聞いても在庫がなく、府立資料館で複写させてもらった。この地方の両墓制に関する論文の中で特に科学的、論理的な調査をされていて、最も信頼できるものなので、本稿の中でも調査のベースとして使わせていただくことにする。(以下磯貝論文と記する)
 さてその磯貝論文の中に、「大乗院」の石碑についての記述がある。
 この石碑は還流丘陵(川の蛇行により取り残された丘状の地形、志古田、弓削、古城山など上林川には随所に見られる)である丸山の麓に在るのだが、一体何を表すのか解らなくて不思議に思っていた石碑である。郷土史などの文献にも現れず、人に聞いても今一つ要領を得ないものだった。
 石碑には「大乗院 文政六年末ノ十一月 世話人利衛門」とあるようだ。院というぐらいだから元々寺院でもあったのかと思ったが、磯貝論文の内容は意外なものだった。
P1030266


謎の大乗院の石碑
 
「昔、この志古田の通称木ノ下という所に寺があってそこに悪僧がいたが、これを桜の木に登らせてこれを鉄砲で打ちころしたが、これを供養したものであると伝承されている。」(ママ)
 かつて寺があったという部分だけは予想通りだが、後の話は随分物騒な話である。庄のや神さまの伝承といい、この地方では僧が随分と悪者になっているようだ。ずいぶんと悪い僧がこの地域に実際に居たのかも知れない。それにしても桜の木に登らせて鉄砲で撃ち殺すとはなんとも凄惨な事態である。そのうえそこまでして殺さねばならないほど悪い僧を、後に供養するというのもつじつまの合わない話でもある。
 伝承なんてそんなものと言われればそれまでだが、この立派な石碑は現実に存在するものだし、手間も費用もかかっているものである。従ってもう少し現実的ないわれがあるのではないかと思っている。この件については文献や聞き取りの調査を進めたい。つづく

【今日のじょん】今まで種の使い回しをしてきたゴーヤだが、あまりに成長が悪いので今年は新しい苗を3本買ってきた。順調に育ち、実も美味しくいただいているのだが、どうも蔓と葉の成長が悪い。ゴーヤのカーテンにならないのだ。この部分は朝日が強烈で、カーテンにならないとじょんが暑くてたまらないのだ。P1030504
 

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