2011.4.14(木)快晴
4月12日、有安の帰りに志古田による。なにしろ我が家の野菜はサーキさんのハウスからの支給に頼っているような状態だから、素通りするわけにいかない。そのハウスの野菜はすっかり片づけられて、主役の万願寺唐辛子に代わっている。野菜作りも本業となると大変だなあと感じる。ハウスも今でこそ暖かくて心地よいが、夏になると暑そうだ。私も学校出てすぐはハウスの中でメロンの受粉などしていたがあの暑さには閉口した。今日はニラと紅苔菜を頂いた。紅苔菜は中国野菜でおひたしにすると大変美味しい。
さて志古田といえば繞谷丘陵(じょうこくきゅうりょう)である。環流丘陵ともいい、そのほうが解りやすいかと思うが、河川の蛇行によって取り残された丘陵のことをいう。上林川にはいくつかのこの地形が見られるが、志古田、弓削、古城山のものは規模も大きく形もはっきりしていて上林の特徴的な風景となっている。浸食されずに取り残された丘陵だから硬い地質なのかと思いがちだが、近づいて見ると赤い粘土質の土で柔らかそうである。古城山も赤土の崩れているところがあったりして同じような地質らしい。ということは硬い地質だから残ったのではなく、流路の加減で残ったということかもしれない。
志古田の繞谷丘陵、上林川はかつては志古田の集落のところを蛇行していたのだ。
志古田の繞谷丘陵は林になっており、上林川側に小さな祠がある。これについては聞き漏らしてしまったが、村の側には共同墓地がある。この地は両墓制じゃ無いのかなと思ったが、聞くとかつてばらばらにあったお墓を一箇所にまとめたということだった。かなり古そうな石碑もあり、もともと墓地であったような気もする。その墓地の入口の処に「大乗院」と書かれた大きな石碑がある。年号等も書いてあるようだが、よく読めない。いろんな説があるそうだが、やはりかつて寺院があったとみるのが妥当だと思われる。志古田には薬師というところや、寺庭という地名があるそうだがはたして関連があるや否や。
この丘から村の方を望むとなだらかに開けた集落とそのむこうに和知との境をなす山々が見える。里には桜、山にはこぶしが咲き誇り、なんとものどかで開放感のある風景である。府道から志古田を見ると、繞谷丘陵が立ちふさがって威圧感と閉塞感を覚えるのだが実は志古田に入ってしまうとまったく逆の感じで、別世界に来たように思えるのだ。
【作業日誌 4/14】
薪割り
道具収納棚作り
今日のじょん:居間で過ごすことが多くなって、床が傷ついていけない。ジョイントマットをひいてやるとそこでくつろいでいる。