2012.6.15(金)曇
鍾乳石らしきものを見つけて、「すず」が俄然脚光を浴びてきた。ただ、鍾乳石=すずという図式はお目にかかったことはない、つまり本邦初公開の説である。
もちろんそれは確信のあるものでなく、いつもの思いつきの延長と考えてもらって良いものなんだが、真実というものは意外なところに意外な形で存在するものでもあるし、またかっという気持で読んで頂いたらよろしい。
府内唯一の本格的鍾乳洞は京丹波町(旧瑞穂町)の質志(しづし)にある。今でこそ料金を払ってライト、階段付の洞内に入るようだが、わたしたちが子供の頃はまるで探検であった。第一その入口を探すのが大変だった。山中には幾つもの鍾乳洞があり、試しに入ってみてもすぐに行き止まりになる。諦めかけた頃に本物にぶつかり、ずり落ちるように入ったら、もの凄いドームに驚いた憶えがある。これで終わりかと思ったら、上部に洞窟が続き、枝道がいくつか分かれていた。一つひとつ確かめながら本洞を行くと遂に縦穴となってしまった。現在階段が付けられている縦穴である。
既に鍾乳石などは取られた後で何も無かったが、わたしの兄の時代にはまだまだ有ったようで、立派な鍾乳石が持ち帰られており、庭に転がっていたのを憶えている。話がそれてしまったが、「しづし」という奇妙な地名は一体何を表すのだろうか。シズが清水の意味があるというのだから清水の湧いているところという風に取れば、かつて鍾乳洞の近くに名水が出ていたことを思えばつじつまが合う。しかし何か鍾乳洞、石灰岩と関連があるのではないかと考えていた。
大原神社の下にあるお釜と呼ばれる石灰岩の河辺、質志の鍾乳洞と繋がっているという伝説がある。
そんな時小浜の帰り道、福井県道1号線に父子(ちちし)というこれまた妙な地名を見つけた。その隣の野尻は江戸時代に大規模な銅山があったというので興味があったのだが、父子は知らなかった。後に父子について調べてみると、江戸時代からの石灰岩の大産地で、窯場で焼いて石灰(いしばい)を生産していたそうだ。最盛期には佐分利川畔に軌道を走らせ河口まで運んでいたそうだ。そして興味あることは、かつては「静志」「静石」と書かれていたそうである。父子には静志神社(しずしじんじゃ)という古い神社もあり、質志=静志=父子といえよう。そうなるとこれ等に共通する事柄は石灰岩であり、「シズ、シヅ」という言葉が石灰岩、鍾乳石を指すのではと考えられる。
福井県道1号線沿いに父子の入口がある。
古代地名語源辞典では「シヅ」は「垂る(しだる)」の意味で地形としては傾斜地や崖と書いている。例えば雫(しづく)などは垂れるという意味をあてればぴたりだと思われる。
質、静に垂れるという意味があれば、志、子は石と考えれば「垂れる石」という意味になり、それは鍾乳石そのものではないか。
ちなみに小浜海浜公園は父子海岸と呼ばれ、地質を調べると石灰岩の層が存在する。
京都近郊なら左京区静市静原(しずはら)町なんてのはどうだろう。シズのオンパレードなんだが、「北山を歩く」(澤潔著)では清水説で、静原=清水原というふうに書いている。まあこれが一般的な解釈なんだろうが、地質としてはレンズ状に石灰岩の帯があると言われている。鞍馬山のガイドなど見ていると石灰岩がかなり現れており、庭石などにも相当使われているようだ。つづく
今日のじょん:清和園さんで小犬が生まれたというので見に行く。五匹生まれたようで、声を掛けたら佃に一匹、福知山に一匹と嫁ぎ先が決まった。田中さんが新聞などに載せる段取りをされているようなのでおいおい行き先が決まるだろう。それまでに見とかなくちゃあってんでじょんの注射の行きしなに立ち寄る。いやはや小犬ってこんなに可愛いんだ。おとーちゃんもおかーちゃんも一緒に居て、おとーちゃんはサチのおとーちゃんらしい、柄も眼もそっくりだ。おかーちゃんはラブだろう、べっぴんさんである。わたしたちには吠えないが、じょんに吠えているようで、車の中に置いておく。
おとーとおかー。