晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

ウッドデッキ奮戦記(5) 12/16

2012-12-18 | DIY

2012.12.16(日)曇

 トラブル発生、根太の角材が曲がっているのは先日紹介済みだが、コンクリートで固定した沓石に問題が起こった。P1030509
 



右から二本目は見るからに曲がっている、しかも上下にも反っているのでたちが悪い。

 総ての沓石を固定し、根太取り付けの準備をしようとしたとき、規準の根太に水平を取ったはずの沓石が少しずつ沈んでいるのだ。しかも沓石そのものも少し斜めになっている。コンクリートが固まる間にその重さで沈んだようだ。
 実はそんなことの起きないように、村上さんの指導よろしく地面はバラスを敷いてしっかり突き固め、コンクリートにもしっかりバラスを入れて堅めに練って対処したのだが、いくつか問題があったようだ。
 そのひとつが固まる時間である。村上さんは真夏の暑い時期の工事であったので、ものの数時間で固まったそうだ。それがいまや陽は当たらず、温度は低くおまけに途中で雨が降ったりで固まるのに丸一日近くかかったようだ。その間に沓石の重さで沈んだようだ。P1030510
 



一番右が規準列、二番目三番目の手前から二個ずつにスペーサーが必要。

 もうひとつは連日の雨が穴の部分に溜まり、水抜きをしたのだがある程度残っており、そのままコンクリートを入れたので堅めの調整にもかかわらず軟らかくなったものだ。
 そして高さ調整をコンクリートの量でしたものだから、量の多い所ほど沈みが大きいようだ。
 沈み込みの大きさは最大25mm、最低7mm程である。スペーサーを咬まして調節するしかないが、厚いものは板でよいが薄いものは板では腐ってしまいそうだ。腐蝕しないようなプラスチック板や金属板がないか探すが、サイズのあったものは無さそうだ。しかも沓石が微妙に傾いているので、厚さも均一ではまずい。
結局5mmと2mmのゴム板を使うことにした。ゴムだと厚さの微調整が出来そうだからだ。
 幸い、沓石に直接根太を乗せるのは6個であり、そのうち2個は規準の列で設置済みなので実際スペーサーを入れるのは4個のみである。
 残りの9個のうち1個は規準列で設置済み、8個は柱を立てるので、柱の長さで調節できるわけだ。ただ、柱の長さやカット面の傾斜が総て違うのでかなり複雑な作業が強いられる。
 ウッドデッキなど単純で簡単と高を括っていたが、これはこれでなかなか困難なものがある。
 

【晴徨雨読】138日目(2006.12.16)田辺連泊
旅行中最安値の宿がみかん茶屋である。一泊1900円。もっとも沖縄北谷のネコハウスは工事中で1,500円(通常2,000円)、名護市のビーチバムパラダイスはトレーラーハウスで1,500円だった。Img_2244 Img_2441 Img_2472





みかん茶屋、ネコハウス別館、ビーチバムパラダイス


【今日のじょん】:どーもすいやせん。
「じょんが”どーもすいません”して寝てるで」というから見てみると、いやいや成る程。P1030511
 

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シデの山地名考(7) すずゆわ 12/15

2012-12-16 | 上林地名考

2012.12.15(土)曇
 シデの山地名考(6)は2011.7.5参照

 すずゆわの写真を見て一部鍾乳石と勘違いした、いわゆるすずゆわ事件以来、
スズ=シズ=鍾乳石を追究してそれらしい地名のところを調べたが、シズが鍾乳石を表すという確証は得られなかった。
P1010939



山稜からはすずゆわはよく見えない。鍾乳石かと見誤った問題の写真。


 全国方言辞典で、スズ、シズに共通する言葉が清水、清水の湧き出るところ、である。主に東北地方の方言のようだがこれだとすずゆわにも質志にも共通する。
 すずゆわは3,40mのチャートで出来た大岩だが、鳥垣渓谷の右股の源頭にあり、清水の湧き出るところと解釈も可能である。現実に岩壁の所から湧き出ている様子は無いのだが源頭の岩という意味で付けられたのかも知れない。
 津波被害の大きかった南三陸町志津川(しづかわ)も清水に由来する地名と言われている。(日本地名ルーツ辞典)
 スズという読みかたでは石川県の珠洲市(すずし)、三重県の鈴鹿市が有名だが、こちらは清水という意味では無さそうである。
 珠洲市は能登半島の先端の市であり、観光のシンボル見附島を見れば誰でも知っていると思う。”すず”は方言辞典では稲の穂、わら、”すずき”はわらを木に結い上げたもの、掛け稲をすることなどとある。
 珠洲市の須々神社の鎮座する山が鈴ヶ岳であり、「稲積」の意味があって珠洲市の由来になっているという。(古代地名語源辞典)地図で調べるとこのような山は見当たらず、どうやら須々神社奥宮の山伏山(172m)のことのようだ。ところがこの奥宮のあるところは狼煙町というところであり、かつて灯台の役をする灯明堂があったという。狼煙(のろし)の古訓がススミというそうで、珠洲の語源となったとも書かれている。(ルーツ辞典)
 先般シデ山に登った際に、光明寺では葬式が営まれたりする際に狼煙を上げていたという話を聞いた。丁度光明寺の川向かいとなる高台のすずゆわで連絡用の狼煙が上げられたとしても不思議では無い。すずゆわの上部に狼煙の跡でもあったとしたら事件である。P1030437 Img_2250





【今日のじょん】:夕べは雨風が激しかった。じょんも怖がってるやろなと思っていたら、朝起きるときっちりゴミ箱荒らしをやっていた。荒らしといっても可愛いものでティッシュなどちょろっと掘り出すだけだが、なかなか面白い現象ではある。P1030508



 
 

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ウッドデッキ奮戦記(4) 12/14

2012-12-15 | DIY

2012.12.14(金)晴れのち雨 
 ウッドデッキ奮戦記(3)は2012.12.3

 本来ならトレーニング日の定休日なんだけど、そんなこと言ってられない。降雪によって予定が遅れていることもあるが、次の降雪が来たらおそらく作業は来春までできそうにないという焦燥感に襲われる。
 前回の奮戦記(3)からは支柱15個のうち5個を固定しており、残りを本日に仕上げたいと思っていた。P1030500

朝の気温-2℃、バシバシに凍っているが今日やっるっきゃない。
 


 9個分は先に整地と砂利入れが済んでおり、そのうち4個はコンクリートで固定、1個は杉丸太ボルト留めの用意が出来ている。
 水糸で直角を出したり、水盛りして水平を出した水糸は雪で緩んでしまい、何の役にも立たない。一からやる気も起きないし、そんな余裕も無い。手作りの大きな直角定規と水準器で沓石を固定して行く。5個を固定したところでコンクリートが無くなってお終い。残り5個なんだが穴を掘ったり、バラスを入れたりの準備が出来ていないので、その準備をして今日は日暮れとなってしまった。P1030501
 
プラ船も氷漬け、大丈夫かなあ。見えているのは杉丸太支柱、ボルトで固定出来るようにした。



 とまあ文にすれば面白くも何ともないのだが、実はこの作業が一番気を使うし大変なのである。最初に位置決めをしておいてもコンクリートを置いたら元の位置が判らなくなる。水平もその都度取っていかなければならない。今から思えば水糸を地面に張るべきであった。高さはともかく、位置決めだけは確実にできるだろう。コンクリートに糸が埋まったところでどうってことは無いだろうから。
 それともうひとつ判らないことがある。例えばA列とB列の根太を水平にし、B列とC列を水平にして、A、B、C列で水平を取るとこれが水平でないのは一体何だろう。どうも、根太の角材がグリーン材で反ったり捻れたりしているのが原因らしいが、実際に床板を張るときにはどうすれば良いのだろう。どれかを削って調節するのかなあ、まあその時考えよう。

 【晴徨雨読】136日目(2006.12.14)川湯温泉~白浜
 天気はよろしくないようだがこれ以上川湯温泉にいても仕方が無い。雨濡れ覚悟でスタートする。スタート時は降っていなかったが、30分もしないうちに降り始め、一日中降り続けた。篭坂峠以来の雨中行軍で白浜に入る頃には電話のボタンが押せないほど手足が凍えてしまった。しかし着けばそこは温泉場、KKR保養所の職員さんも親切にして頂き、すぐに回復。温泉はいいねえ。Img_2219
 
熊野古道の一部をバイクで走る。


 あこがれの﨑の湯にも入れ、真っ暗で雨のしたたる海岸風呂に入るのは最高、今だから言うが誰もいなくなった﨑の湯でおしっこしたくなり、トイレに行くのも面倒で、太平洋に向かって放尿した。豪快且つ気持ち良かった~。Img_2230 

﨑の湯さんごめんなさい。



【今日のじょん】:新しい侵入者
 霜が降りたイカルガ郡の橋に新しい足跡がある。どーも犬のようだが、土の上にも発見。我が家に侵入した犬は過去には三犬、そのうちチコはいなくなったので、残るは二犬なんだが、山の小動物かもしれない。P1030503P1030506




 そのうちうんPを発見、これは飼い犬のものである。P1030505 
 

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雪解ける 12/13

2012-12-13 | 日記・エッセイ・コラム

2012.12.13(木)快晴

 降雪の後というのはスカッと晴れるのが定番だが、グズグズと2,3日が過ぎた。ようやく移動性の高気圧が来て、好天となった。雪のために中断していたウッドデッキの作業を再開すべく張り切ってみたが、コンクリーを打つべく支柱の穴には雪解けの水がすっかり溜まって、作業を進められない。P1030493
 



水の溜まる穴と溜まらない穴がある、地層の関係だろうか。

 やむなく水抜きの溝を掘って乾くのを待ち他の作業をする。沓石を使わず杉丸太を使った部分にボルトナットの穴を開ける。座金の部分を鑿で彫ってさてボルトナットを通そうとするが、手持ちのものは短いか長すぎるかで使えない。
 杉丸太を削って合わすのもしゃくに障ると思っていたところ、アンカーボルトが出てきた。サイズを見るとこれがぴったり、捨てる神あらば拾う神ありだ。P1030492
 
右の奥の支柱は杉丸太を使っている。


 
 ウッドデッキについては今日できることはこれだけ、明日も天気は持ちそうなのでコンクリート打ちは明日にしよう。
 てなわけで気になっていた薪割りをする。城山でもらった桜の根元を今切らないと乾燥したら切れなくなる。そしてもうひとつ気になっているマキタのチエンソーを使ってみる。グリーンのチエンソーが調子が良いのでそちらばかり使い、マキタのチエンソーは一年近く使っていない。道具というのはどうしてもそういう風になりがちなんだが、エンジンものは使わなければ使わないほど調子が悪くなる。
 はたしてエンジンはプスンとも言わない。プラグを取り出すが、湿りもなければ汚れも無い。形だけサンドペーパーで磨き、ウェスで拭いて取り付ける。それでも一向にかからない、昨年も諦めて農協に持ち込んだものだ。今年も諦めかけた頃、ボボッという音がする。これでしめたものだ、チョークを戻し2,3回引くとしっかりかかった。なんか凄い得したような気分になる。
 さっそく桜の大木を切り始めるが、すこぶるよく切れる。どうも研ぎに出したところだったみたいだ、力を入れること無く刃が進んで行く。
 ところがエンジンの調子だけはよろしくない、負担を掛けると止まってしまったり、何でも無いときに止まったりする。何が悪いのか判らないけど、それなりにだましだまし使うのも面白い。
 20cmぐらいの厚さになった桜を斧で割る。節があるので要領がいる、それも楽しみだ。こういう根元のブロックは乾燥するととても火持ちのよい燃料となる。P1030491
 



 こうやって薪が貯まっていくのはすこぶる気持ちがよい。
 雪が解けて次の積雪までに山の道は空くだろうか。まだまだコナラやアベマキなどいい木が沢山残っているのだ。

【晴徨雨読】135日目川湯温泉
 天のため川湯に停滞、宿でブログを書き、仙人風呂に浸かる。小説家みたいで優雅な一日だ。Img_2209


川全体が温泉になっている仙人風呂。


【今日のじょん】:本文中の写真多く、お休み。 

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百鬼夜行 12/12

2012-12-12 | 日記・エッセイ・コラム

2012.12.12(水)曇、雪、雨

 積雪から二日目の朝、天気は回復したわけで無いけれど雪は随分少なくなっている。じょんを連れて表に出ると、そこいら中を嗅ぎ回る。しかしそれはいつものことで変わりないのだが、今日違うのは何を嗅いでいるのか判ることである。
 縄文文化が寒い東北や北海道に根付いたことは縄文文化が狩猟文化であったことだ。狩猟は雪のあるところの文化なのだ。雪原の上に残る足跡こそ狩猟に必要なファクターなのだ。
 じょんは猟犬の血を引くものでは無いけれど、テリトリーを守るという以外に、やはり獲物を追うというDNAが残っているのだと思う。毎日毎日飽きること無く侵入者の匂いを嗅ぎ廻っているのだ。
 今日はじょんに敬意を表して徹底的に侵入者の追跡をしてみようと思う。日本政府もたまにはこういうことしてもらいたいものだ。
 P1030481    

ドッグランど予定地に足跡発見、犬と同じ様な形だ。



P1030482_2
土を掘り返しているのは、モグラやミミズを狙っているのか。



P1030483
足跡は谷に消えているが、向こう岸に飛び移った様子は無い。 
 

 
P1030485
府道に出ると隣地との境の林道に同じ足跡。



P1030486
じょんのび谷方面と山に分かれている。



P1030487
やがて堰堤の下に消えている。向こう岸に飛び移ったとしたら凄い跳躍力だ。


P1030488
堰堤上の畑跡には鹿の足跡が、、。


考察:庭に侵入しているのは山に棲息している小動物、キツネ、タヌキ、イタチなどで肉食系か、これ等は過去に目撃している。アライグマも目撃しているがこれは家などに住み着いている。ノウサギもいるが足跡がちと違うようだ。
 足跡が谷に消えているのは向こう岸の山の斜面を通路にしているのだろうか。
 鹿は川のものと山のものが居る。今年一度畑に侵入したのは川の鹿と思われる。山の鹿は何度も目撃しているが一頭である。
 いずれにしても夜の間、百鬼夜行が繰り返されているわけだ。雪の無いときでもじょんが嗅ぎ回っているのは、いつも侵入されているということだろう。

【晴徨雨読】134日目(2006.12.12)熊野~川湯温泉
この日は
花の窟、熊野速玉大社、熊野本宮大社とお参りをしたが、心に残ったのは熊野川の景観である。川も数多く見てきたが、この川が一番いい。しかも平忠度のゆかりの地であるというのも走っていて知ったことである。Img_2192
 
 
熊野川は何でも無いところが美しい。


 さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな
 志賀の都は天智天皇の志賀宮であり、山桜は長等山の桜のことで、強の者であり、また文人であったようだ。

【作業日誌 12/12】
薪割り

【今日のじょん】:本文に登場。 

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別所探訪(44) 近江-5  12/11

2012-12-11 | 歴史・民俗

2012.12.11(火) 曇

 都市部や住宅地での探訪が如何に困難か思い知らされた。新しく居住した人がその地の過去のことを知っている人はまず居ない。今まで田舎の田圃や山ばかり廻っていたので、人気が無いという苦労はしたが、とにかく人が居ればなにがしかの情報は得られるのである。例えば本人が他所から嫁いだ人であって知らないことであっても、知っている誰かを紹介してくれたりする。
 そんなわけで今回の近江膳所訪問は目的地に辿り着くこと無く終わったが、その後の調査でいろんなことが判った。P1030407
 




富士見台の別所山はこの付近かと見当を付けていたが、まるで違っていた。新興住宅地では遺跡など探すのが難しい。

 柴田弘武氏は、「別所は蝦夷俘囚の移配地で、その理由は産鉄など金属生産に従事させるため」という説を立てられ、「別所地名事典」で621ヶ所の別所を調査され、その説が実証されたとしている。十数年にわたりこれだけの別所を悉皆調査され、膨大な事典にまとめ上げられたことは驚異的なことと思う。その内容は多岐にわたっているので総てを見ることは不可能だが、一部を見て、また近隣の別所を調べて、その地が金属関連地であることは間違いないように思える。ただ、俘囚の移配地であるという証拠は一向に出てこないのである。
 これだけの偉業を成し遂げられた氏に対して異論を唱えるというものでも無いし、その根拠も立場も無いわけだが、わたしは「別所」というのは金属に関連する、金属を産出する土地という意味なのではないかと考えている。つまり”ベツ”にそういう意味があって、別所は本所に対するものでもないし、別府、別保、その他のベツ地名も金属に関係するものではないかと思っている。ただし、アイヌ語の別、ペッ、pet=川は別ものである。
 別府、別保などの地名に対しては「別符をもって指定された保で、社寺の封米を担当したもの」(地名の語源)、追加開墾地(柳田国男)などが定説となっている。しかしそれらの地をみると、定説の根拠は見えてこないばかりか、金属関連地の事実が出てくるのである。
 今回富士見台の別所山、別所谷を訪ねようとしたのはそれらの地が金属関連地でないかという想いと別保という地名である。
 奇しくも「別所地名事典」で本来の別所以外の別所地名、石山寺別所、上田上牧町の別所橋そして今回の富士見台別所山と示された三ヶ所が金属関連地ではないかという思いがするのである。
 近江の別所は大変興味深いのだが、大津市民病院に来ることは無くなった。次に近江に足を運べるのは何時になるだろう。今回近江-5まで書いたがその続きは何年先になるか判らないので、ひとまづ終わりにしておこう。P1030427




帰り道、古書店で見つけた大津絵。

【晴徨雨読】133日目(2006.12.11)古里~熊野
2012年のこの日は白い雪に埋もれていると言うのに、熊野路を走ったこの日はバイクパンツに半袖ジャージだ。日本で最も雨の多い地帯なのにスカ天で、ラッキーといえばラッキーなのだが、またしてもガス欠走行をしてしまった。とにかく地方には店が無い。地元の人は一体どこで食糧を買っているのだろう。まさか自給自足ではあるまいに。そんな日に限って景色もよく、天気も良い。だからこそお菓子の行動食ではつまらないと油断してしまったのだ。Img_2127





海沿いの道は距離は出るが景色は最高。

沖縄のところでまた書くだろうが、沖縄の共同店というのは各村に必ずあって何でも揃う、最高のシステムだと思う。

【作業日誌 12/11】
土器、岩石、鉄滓標本箱作製
雪かき

【今日のじょん】:じょんの上林雪情報(睦合町念道周辺、8:30現)

P1030471
P1030475



積雪はこんな感じ。 救急車出動も増加気味、え~声してるとこ。P1030477 P1030479




天気はこんな感じ。道はこんな感じ。


  

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別所探訪(43) 近江-4 12/10

2012-12-11 | 歴史・民俗

2012.12.10(月)雪 1℃ 17時積雪24cm

 時間も無くなって御用池から相模川に沿って下る。相模川なんて謂われもありそうだが今のところは解らない。結局別所山も別所谷も別所池も別保鉱山も平尾の奥のマンガン鉱山も目にすること無くこの日は終わってしまった。P1030426




相模川、御用池(池ノ内町)方面をふりかえる。

 帰宅後これ等の位置や内容を調べることとなった。別所山、別所谷は大津市の「大津のかんきょう宝箱」というサイトでその位置が判った。別所山は滋賀病院の裏手で富士見台43と番地まで確定できる。「別所とは本寺の周辺に建てられた修業道場で、滋賀病院の裏手にある別所山、別所谷の地名は、この地に別所があったことを今に伝えています。後白河天皇がこの地に国分寺の別所を建てたと言われています。」
 「別所地名事典」では、「大津市富士見台の、かつて国分尼寺・清徳寺・光源寺などのあった山も別所山(124m)と呼ばれ、そこにある池も別所池と呼ばれている。」とある。氏の調査された文献が何かは解らないが、清徳寺、光源寺という寺院についてもよく解らない。ただ氏が示されている別所池の位置は上記別所山とは随分離れている。
 富士見台にお住まいの桜井さんに別所池の位置につて依頼していたところ、どうやら判明しているようなのでお会いするのを楽しみにしている。
 次に別保鉱山であるが、「滋賀県琵琶湖南東地域マンガン鉱床」(高瀬博、物部長進)昭和30年3月調査という論文を見つけた。この時期に別保鉱山は休止しており、焼野鉱山は稼働している。地元の方に聞いても、焼野鉱山についてはご存じだったが別保鉱山については知らないというのはこの辺の事情かも知れない。この地域のマンガン鉱床の特徴や各鉱山の鉱床や坑道図まで詳しく書かれているが、位置については膳所駅南方2,7Kmとあるだけだ。もちろん営業としてはマンガンを採鉱していたわけだが、他の情報では銅、泥鉄鉱、藍鉄鉱などの鉱石が発見されているという。
 鳴滝鉱山、別保鉱山、焼野鉱山と大津市の南の山は鉱山帯である。すべてマンガン鉱山だが鉄、銅、他の鉱石が採取されているので、古代においてこれ等の採鉱がなされていたかもしれない。
 また「鉄と銅の生産の歴史」佐々木稔編に興味あることが記されていた。
 「国分寺・国分尼寺跡からは、鍛冶工房の遺構や鉄関連遺物が検出されることがあって、工房では寺院の建立・改修時に鋼製の建築資材(釘や鎹のような)を製作したのではないかと考えられている。さらに銅に関係した炉跡が見つかった例もある。」というものだ。
 富士見町の別所山は国分尼寺跡ということだ。ここでそういった遺物が発見されたかどうかは解らないが、可能性はあるのではないだろうか。つづく

【晴徨雨読】132日目(2006.12.10)志摩~古里
 伊勢から那智勝浦までは行ったことの無い地域だったので、もう少しじっくり走るべきだったと思う。志摩で停滞していたので何となくガンガン走ってしまった。下調べもしていないからか、興味あるところも見つからなかった。こういう走りをしていると風景が印象に残らない。何のために旅をしているのか解らなくなってしまう。Img_2117





道中案内板見るのだが、面白そうなところが見つからない。

【作業日誌 12/10】雪かき、庭木レスキュー

【今日のじょん】:初積雪で憂鬱になっているのにじょんだけはすこぶる元気だ。やっぱり雪が好きなんだ。歌の通りに庭駆け回っている。
朝は5,6cmでたいしたことなかったんだが、一日中降り続けて夕方には24cmの積雪となった。P1030460 P1030467




朝はこんくらい、夕はホワイトクリスマス。

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寒すぎるぜ 12/9

2012-12-09 | 日記・エッセイ・コラム

2012.12.9(日)晴れ、曇、雪 朝-4℃

 北日本では大雪の情報が伝わっているが、じょんのび村では作日が初雪でチラリと降った。積もるかと思ったが朝には何事も無く晴れて、山に薪取りに行くこととなる。P1030452
 
丹後半島はさぞかし真っ白かと思いきや、雲で見えなかった。



 ところが気温は強烈で朝の気温ー4℃で今季最低記録、作日が-2℃なので一気に更新というところだ。
 晴れていた空もやがて暗くなり夕方には横なぐりの雪となった。えらい早い雪やなあと思い、昨年のブログを見てみると、昨年の初雪は12月9日、つまり今日なのだ。P1030449 P1030448




寒い朝が明けた、氷もびっしり。


 ところが違うのは気温で、昨年は2℃で今季最低と書いている。今日は-4℃で今季最低である。いかに今回の寒波が強烈かがわかる。
 昨年は17日にまとまった雪が降り、一度解けてクリスマスあたりから降っては解けてを繰り返し1月24日辺りから根雪になってしまった。
 そういう意味ではまだまだ降ったり解けたりが続くと思うのだけど、雪の準備があまりにも出来ていないのが気になる。とりあえず明日はスタッドレスタイヤに替えよう。
【晴徨雨読】131日目(2006.12.9)伊勢志摩YH連泊
 日中冷たい雨で連泊とする。自転車の整備とブログの記事作りで夕飯以外どこにも出かけていないので、写真もなければ記事も無い。本文でのこの日の記事はYH考という随想になっている。一般に若者が裕福になって、YHを使うような貧乏旅行をしなくなったと思いがちだが、逆に若者が貧しくて旅行なんぞにしてられないというのが大方の見方らしい。考えさせられるねえ。Img_4958





これは多分旧の滑床のYHだと思う。(2007.3.30)40数年前初めての旅で泊まったところ。食器洗い、ミーティング、布団の上げ下げなど最もYHらしいYHだった。淋しい限りである。

【作業日誌】
薪の切り出し

【今日のじょん】:あごのせじょん
ごぞんじあごのせじょんだが、このあとが問題である。サークルから出してきた枕やゴジラなどを片づけることはしない。P1030456
 自分で出したもの、散らかした物を片付けることができればこれはもうTV出演ものである。かみさんが苦労して教えているが、初めて自分で片付けることが出来た。イヤイヤ天才ですぞ。
 

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別所探訪(42) 近江-3  12/8

2012-12-08 | 歴史・民俗

2012.12.8(土)曇、雨、雪

 別所探訪(41)は2012.12.6参照

 今回ネオジウム磁石を用意していた、少なくとも磁鉄鉱を含む岩石があるか否かは判断できるだろうというものだが、御用池の湖畔では磁石に反応する岩石は無かった。砂の中で磁石を左右すると黒い砂鉄がしっかり着いてくる。しかしそれが砂鉄が豊富であるとか貧弱であるとかの判断ができるものではない。ある程度の砂を採取して砂鉄の濃度を比較できるようなプログラムを作ってみたいとは考えているのだが、、。
 御用池を後にして道を進む、植林のところで道は左右に分かれるが、植林の方はゲートがあって鍵がかかっているので左の道を進む。目指す堰堤が近づいてくると、左手に山小屋が見えてくる。P1030424
P1030423 



右にゲートの道がある、廃鉱へはここを入る。
本道を行くと左手山中に山小屋がある。


 「膳所の山辺を愛する会」という会が運営しているようだ、案内板や遊歩道などもあって、会の基地的な場所なんだろうが、目の前の資材置き場はロケーション的にイマイチという感がする。目的の廃鉱はどうやらその向こうの谷にあるようだ。こちらからは行けそうに無いので先程の分岐に戻ろうとするが、山手の祠が気になる。新しそうな鉄の柵があって、ここの会が作られたお堂かなと思ったが石造りの祠は古い物のようだ。登っていって確認すると地蔵さまでは無くて、「大山住神」とあるようだ。P1030422 P1030420




山小屋の先に祠がある。祠の真向かいの谷が廃鉱のある谷のようだ。

 祠の材質は御影石のようでそう古くは無さそうだ。しかしこの地に古くから大山住神が祀られていたことは予想される。向かいの谷にマンガン鉱を探った人物は、平尾の地名と大山住神の祠を根拠にして探鉱したと思うのだ。その理由は後回しにして、先を急ごう。
 先程のゲートに戻り、その脇から入って行く。周りが植林のせいか何か不気味だ。周囲に目を配りながら進むと、谷の入口の少し手前の道の脇に大きめの白い発泡スチロールの箱が眼に入る。これはドキリとした、こういった都市近郊の林道などではよく犬猫を捨てるとんでもない輩が居るのだ。気味悪いなあと思いつつ進んで行くと、今度は本当に肝を潰した。道の脇に茶色い毛の物体が倒れていて、その半分近くが食い荒らされたのだろうか赤い内臓を曝しているのだ。信仰心の無いわたしだが、こういうときは手を合わせて思わず「南無阿弥陀仏」と声が出るものだ。大きさからすると鹿、猪の類かもしれないが、白い箱がやけに気になる。獣の屍などしょっちゅう見かけるのだが、こうも生々しいのは初めてだ。
 情けない話だが、目を向けることもそれ以上進むことも出来なかった。きびすを返して元来た道を足早に戻ると、来るときは気がつかなかったが20cmぐらいの骨にまだ赤い肉片の付いたものが落ちている。野犬にでも食い荒らされたのだろうか、地獄のような光景が思い起こされて堪らなかった。つづく

【晴徨雨読】130日目(2006.12.8)常滑~伊勢
 名古屋の街中走行を忌避して伊勢湾を船で渡るのは正解だったと思う。もう京都まで都会を走ることは無い、というよりは都会を避けて帰れるわけだ。47都道府県総てを自転車で通過するという目標はあるが、東京や大阪は実に端っこをかじるだけで済ませている。
 伊勢に着くと何か帰ってきたような気がして、旅をしているというような気がしない。車なら数時間で京都に帰れるところだが、これから12日間まだ旅を続けることとなる。Img_2095




中部国際空港って常滑にあるの知ってた?

【今日のじょん】:じょん君ジャガイモを食す。
霜が降って葉が枯れてしまったのでジャガイモを収穫する。小さいかなと思っていたら結構大きくなっており、豊作豊作。ニシユタカとアンデスレッドを作ったのだが、春植と違って皮が薄くておいしそう。P1030349P1030441




おとといまで青々としていたのだが、、、(11,24の写真)
それでも豊作でよしとしょ。


 鍬で傷ついたものを台所に置いておいたので食卓に上がるかなと思っていたら、一向に見えなかった。じょんのフードにはでかい塊が入っており、どうもじょんが最初に食したようだ。まっいいか。

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冬来たりなば、忙しい 12/7

2012-12-08 | 日記・エッセイ・コラム

2012.12.7(金)晴れ

 放射冷却のせいで朝の気温がぐっと下がった。今冬で一番の冷え込みである。しかし体感温度というのは温度だけでは決まらず、作日のように風が吹いていたり、雨が降る日の方が寒いものである。
 植物は温度に敏感で、見ている間に桐の葉が落ちて行く。遅くに植えたためかいつまでも青々としていたジャガイモの葉が一気に黒く萎れてしまった。これは霜のせいかもしれない。こうなったら芋の大小にかかわらず掘り起こさねばならない。P1030434 P1030435
 


 
芝生は茶色になり、桐の葉は一気に落ちた。


 さて今日の仕事は、椎茸のホダ木を取りに行くこと、ウッドデッキの基礎のコンクリートを打ち始めることである。どちらも雪が降れば出来なくなってしまうからだ。普通なら下旬まで雪は積もらないが、今年は早そうだ。丹後からはもう積雪のニュースも伝わっている。P1030436
 



 よ~く目を凝らすと雪をかぶった丹後半島が見える。

 そういえば植木の雪囲いもしてやらなあかんなあ。薪割りも片付けんなんし、桜の根っこも早く切らないと切れなくなってしまう。
P1030440  



今日の収穫、じっかんさんと山分け。

 雪が降るなら、スタッドレスにも替えなきゃいかんし、雪ハネも買っとかなきゃいかん。
 雪の無いところなら不必要な苦労がどっさりあるのは、それはそれで楽しいのかも知れない。それにしてもあと三週間積もらないように、、、などと願ってしまう。

【晴徨雨読】129日目(2006.12.7)岡崎~常滑
 長い旅行中何かが刺さってパンクしたというのは2回だけである。初回は積丹半島で工事中の釘を踏む。二回目がこの日、工場地帯で金属片を踏んだ。ただバルブが破損したことが3回ばかりあったが、これはチューブの欠陥であることが判明した。メーカーからしこたま代用品を頂き、いまだに使っている。最も旅行前半はハブダイナモを使っていて、リムの径が広まっておりタイヤ交換に恐ろしく苦労した。これはホイール組み立てのミスだと思っている。
 この日の問題はチューブを替えても少ししたら空気が減り、宿で空気を入れ再度減っていたら交換すべしとしたが正常でそのまま後半戦ももつことになった。これは謎である。Img_0227




前輪のハブにダイナモが着いている。ホイールは欠陥、後半戦には使わなかった。ダイナモも走っていないと着かないというのはすこぶる不便。

【今日のじょん】:本文の写真に登場のためお休み。

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別所探訪(41) 近江-2 12/6

2012-12-07 | 歴史・民俗

2012.12.6(木)曇

 別所池とは、「別所地名事典」の略図では市民温水プールに行くところの高速道路の北側の調整池を指しているようだが、定かでは無い。
 とにかく周囲は新しい家ばかりで、昔の地名など聞いても解らない。新池の近くの大きな屋敷で作業をしている方に訪ねてみる。別所山も別所池も知らないと言うことだった。予想どおり戦前からお住まいの所であっていろんな話を聞く。
 一番知りたかった、別保鉱山なんだが、これも解らないと言うことだ。しかし平尾のマンガン鉱山のことはよくご存じだった。膳所平尾の御用池の奥に堰堤があって、その下の右手の谷にマンガン坑があるということだ。戦時中に掘られたが、あまり出なかったのですぐに廃鉱になったということだ。焼野の鉱山のことなども知っておられたのに、地元の別保鉱山については知らないという事だった。
 畑もしておられるが、山で炭も焼いておられるとのこと、頼もしい方だった。
 後で解ったことだが、別所山とは滋賀病院の裏手にあるところで(富士見台43)別所谷という地名もあるそうだ。さすれば別所池もそちらの方にあるのが順当だが、現存しているとしたら、別所山の北、茶臼山公園下の小さな池かもしれない。
 そんなわけでどうやら見当違いのところをうろうろしていたようだ。しかも市民温水プールの北にある尾根が別所山かなあと山の中までうろついてみた。高速道路の脇の道を大津方面に歩いていると、陸橋がありその尾根に行くことが出来るのだ。雑木と竹の山で、木々の間から先程の調整池付近の住宅が見える。深い落ち葉で地面は見えず、どのような地形かも解らない。P1030406
P1030414  



この調整池が別所池かと思っていたがどうも違うようだ。右は調整池の西の尾根の内部。

 別所池、別所山、別保鉱山は諦めて、平尾町の奥にあるというマンガン坑跡を探検に行く。
 高速道路脇の道から集落の間を抜けて行くと左手に仙台池が見える。集落が途切れるとこのあたりでは最も大きい御用池が現れる。この地域にある多くの池はほとんどが人工の池で農業用水として近世に築かれたようである。御用池も江戸時代に膳所藩の肝いりで作られたので御用池というそうだ。御用池のところから道は地道となり、音羽山へつながるハイキング道となっている。P1030416
 



御用池の脇のハイキング道。音羽山や牛尾観音方面に行けるそうだ。

 御用池の上流側のところへ降りる道があったので湖畔に降りてみる。主に由良川、土師川上流の岩石しか見ていないので、このあたりがどのようなものか興味がある。
かつて比良山系や田上の山々によく登っており、その印象は風化した花崗岩である。つまり中丹の塩基性の岩石とは真反対のものである。御用池に登ってくる間にも、道の脇に掘り出された花崗岩らしき岩石がごろごろしている。
 しかし相模川という御用池をめぐる川には、比良の谷を歩くような顕著な花崗岩の景色は無かった。つづくP1030418 P1030417

 


御用池の上流部分と岩石



【晴徨雨読】128日目(2006.12.6)豊橋~岡崎
東海道五十三次は白須賀の次が二川(ふたがわ)で、吉田、御油(ごゆ)、赤坂、藤川、岡崎と続く。吉田とは豊橋のことで、このあたりは宿がひしめいている感じである。1号線を通ったので各宿を巡ったことだろうと思っていたら、東海道は並行している県道374号線辺りを走っていたようだ。道理で御油の松並木とか宿場町の様子に行き当たらなかった。知っていれば殺風景な国道など走らずに、街道巡りをしたのにと悔しがっている。Img_2085




道標の通り、国道一号=東海道ではないのだ。



【今日のじょん】:じょ~んはこたつで丸くなる
寒がりやのかみさんがのいた途端にやってきてホットカーペットの上で丸くなっている。オマエハカ?P1030431

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別所探訪(40) 近江(1) 12/5

2012-12-06 | 歴史・民俗

2012.12.5(水)曇

 古代の歴史、金属の歴史を追っていると、近江は丹波の比ではないほど濃厚だ。鉄滓や製鉄遺跡の出土、金属地名、伝承、説話も実に濃厚に分布している。「別所地名事典」を見ても丹波8ヶ所、17ページ、近江15ヶ所、53ページと量、内容とも段違いである。読んでいると是非現地に行ってみたくなるのだが、なかなか機会が得られない。今回かみさんの大津市民病院の診察に付き合ったついでに少しの時間を得ることが出来た。
 近隣の別所は圓城寺町と石山寺辺町の二ヶ所である。いずれも三井寺、石山寺の歴史的な寺院の近隣である。石山寺辺町の方が少し近いかなと思って、「別所地名事典」を熟読する。実際に鉄滓も多く発見されており、寺辺村別所(現、大平二丁目)では90cmもの銅鐸が発見されているという。地名も金属地名の研究者なら泣いて喜びそうな、芋川、桜峠、多羅川などの他、大平(おおひら)、平津(ひらつ)などのヒラ地名も関連があるのではないかと思っている。
 「別所地名事典」の石山寺辺町の記事を読んでいると、石山寺別所荒痛薬師堂、富士見台の別所山、別所池、大津市上田上牧町にある別所橋のことが書かれている。よくぞここまで調べられたかと思うが、それらの別所地名が寺辺町別所とどう関係するのかについては書かれていない。氏は自説の展開とは無関係だとしてこれ等の調査をされなかったのだろうか。別所が俘囚移配の地であり、金属産出に関連する地であると主張されているのだから、その地が大字小字になっていなくても調査して欲しいと読者としては思うわけである。
 それならばこの三ヶ所を先に調べてみようと考えた。それはこの三ヶ所には鉱山であったり、製鉄遺跡の近辺であったりと金属関連地域であることははっきりしているのだが、やはり「別(べつ)=金属」ではないだろうかという想いがそうさせるわけだが、なによりも膳所と石山の間にある別保(べっぽ)という地名が気になったからでもある。
P1030405



 膳所の駅から国道1号線を南に歩いて行くと、湖城が丘、秋葉台、富士見台という風に新しい分譲地らしき名のバス停が続く。富士見台交番といったろうか新しそうな交番によって道を聞く。目的は別所山、別所池である。もちろん現行の地番表示にはないので不明であり、支所や古い農家に連絡して聞いてもらったが解らなかった。もっとも「別所地名事典」の略図で大体の見当は付けていたので、お礼を言って交番を出る。つづくP1030411




富士見台の名のいわれはこれ、近江富士(三上山)が見えるから。

【晴徨雨読】127日目(2006.12.5)伊良湖~豊橋
腰痛で歩くのは苦痛なんだが、自転車を漕ぐのは一向に問題ないのをご存じだろうか。座っているために腰への負担が少ないのだろう。ただし乗り降りが大変である。それと何時どこでグキっと来ないかと不安で堪らない。そんな日に限って立ち寄りたいところが出てくるのだが、行こうかという気分にならない。とにかく走って豊橋に着き、ビジネスホテルの湯船に薬用バブをしこたま入れて治療する。
 豊橋市高師町は高師小僧が発見された所で有名である。高師小僧とは鉄分を含んだ地下水が水生植物の根に団塊状に沈着したもので、ここ高師原で最初に発見されたようだ。現地に行けばどこかで見られると思ったがかなわず、実際に見るのは5年後となった。P1000286




高師小僧、真ん中の根の部分が穴になっている。

【今日のじょん】:今朝は6時半に起きて7時には散歩をしている。出合う車も人もいつもと違って新鮮だ。驚いたことに念道の小学生は7時に家を出ているのだ。じょんのびではみんな寝てる時間である。薄暗い上林川を写真に納めたが、出来上がってみると暗さが出ない。P1030403

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柿の葉ずし 12/4

2012-12-04 | 日記・エッセイ・コラム

2012.12.4(火)曇

 木枯らしが吹いていよいよ本格的な冬が来た。師走に入って日の過ぎるのが早く感じる。年内にあれもやらんならん、これもやらんならんと思うとやたらプレッシャーを感じるのだが、今日できることは明日にまわそう、今年出来ることは来年にまわそうと考えれば良いかと思う。正月たって、人間が勝手に付けた時間の区切りで、実際に何かが新しくなるというものではない。
 といってもやはり気ぜわしいものである。ただ年賀状を止めて3年目、これだけで随分気持が楽になるものである。
 さて昨日今日は楽しみがある。佐々木さんに柿の葉ずしを頂いたのだ。
 柿の葉ずしには思い出がある。今から30年ほど前、夏になれば大台ヶ原に沢登りや岩登りに出かけていた。下市から169号線、県道224号線と走るのだが、今と違って恐ろしいほど細くて険しい道を走っていた。今ではどこだか解らないのだけど、凄く山の高い所にある、茶店に必ず寄っていた。そしてそこで柿の葉ずしを買って、お茶を頂くのが常であった。
P1030402



 柿の葉ずしを食べるのも初めてであったし、この美味しい食べ物は工場で大量生産されるのでは無く、各家庭で作られるのも知った。茶店のおばさん、おばあちゃんかもしれないが、世間話をするのが楽しみでもあった。中でも印象に残っているのは伊勢湾台風の話である。眼下に小さく見える川筋が増水のため店の近くまで上がってきたという、俄に信じられない話なのだが未曾有の大災害であったことには違いない。
 以来奈良に行く度に、あるいは近くの店であっても柿の葉ずしがあれば買って食するのだが、あの味は無いのである。
 つまり、おばちゃんの店の柿の葉ずしが美味かったということではなく、大台に行くときはこの店に寄るという楽しみが、その味を忘れられなくさせたのではないだろうか。
 上林に店を開いたとき、あのおばちゃんの店を目標にした。上林に行ったら、上林を通ったらじょんのびに寄るのが楽しみという店にしたいと思っている。

【晴徨雨読】126日目(2006.12.4)伊良湖滞在
 旅行中何度か腰痛に襲われたが、この日の腰痛が最もきつかった。風呂上がりに鏡に映った自分を見ると、腰のところで見事に曲がっているのだ、曲がってるったって前後でなく横に曲がっている。伊良湖のホテルはロケーションもよく、食事も美味しいのだが、お風呂だけは温泉でなく、妙に寒い。設備は立派なんだけどお湯はなぜか温まらないのだ。これは腰痛には参った。Img_2057


ホテルから恋路ヶ浜




【作業日誌 12/4】
薪割り、ウッドデッキ基礎作り

【今日のじょん】:じょんのレインコートはあやバスカラー
あやバスとじょんのレインコートは同じ配色で、なんとか並んでいるところを写真に納めたいと思っている。ところが雨は毎日降るわけでは無いし、バスだって1時間に一本だから散歩時間とうまく合うわけでも無い。今朝もあっという間に綾部行きが通りすぎ、諦めてたら反対から来てしまった。間に合うわけ無いが、とりあえず一緒の画面におさまった。P1030399

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ウッドデッキ奮戦記(3) 12/3

2012-12-04 | DIY

2012.12.3(月)曇


 今日は久々に雨が降らなかったので半日作業に勤しむ。
 まず以前に書いていた水糸による直角、寸法の出し方であるが、結果はこれは無理。なぜなら純綿の水糸といえども伸縮性があり、3:4:5の比率で張ったとしても伸び縮みの誤差が大きすぎるということだ。寸法を出すのも同様に無理、結論は伸縮性の無い紐を使うべしということだ。
 面倒なので1×4材を使って直角定規を作る。そしてせっかく作った純綿水糸の張ったものに合わせてみる。完璧とは言えないがまあまあ合っている。家建てるわけじゃ無いしこの辺でいいか。とまあきっちり寸法合わせるのがばかばかしくなってきたのだ。少々歪んでいても床板の調整でなんとかなるし、構造上危険性がどうこうというものでもないからだ。せっかく雨が止んだのに、いつまでも寸法出しにかかってられないわけだ。
 ウッドデッキづくりのサイトを見ていたら、「(床板が)合わなくなったら見た目には解らないように少しずつずらして最後に合わせます」などと書いてあった。まあそういうこともありかと納得する。P1030394
 問題は基礎の高さである。現在とりあえず穴を掘ってバラスを入れ、突いて水平を出し、根太を置いて総ての高さを合わせている。さて次にはそこにコンクリートを入れると少し高くなるのだが、たかが知れていると思っていたら2,3cmは高くなるでという村上さんのアドバイスである。
 これは困った、規準となる北側の根太は一方が杉丸太でしつらえてあり高さが決まっているのだ。コンクリートを入れた分だけ隙間が空くわけだ。杉丸太の高さに合わせるとなると、入れたバラスをその分削らなければならない。どっちがうまくいくかハムレットの心境である。まあDIYなんてのはこういう困難をクリアしていくところが楽しいんだろうけど。P1030393
 天気の良い日に一気にコンクリート打ちが出来るように準備しているのだが、西側半分は沓石に柱を立てて、高さ調節しなければならない。柱の長さで調節できるので沓石の高さは適当でいいわけだがそうなると、柱の高さをいちいち出さなければならない。低いなりに沓石の高さを合わせておけば同じサイズの柱でいいわけだ。とまあ色々と考えていると中々前に進まない。

【晴徨雨読】125日目(2006.12.3)浜名湖~伊良湖
 東海道五拾三次を意識して廻った訳では無いが、必然的にいくつかの宿を通っている。白須賀宿もそのひとつなんだが、実はここで仁和寺の法師をしている。東海道でも有数の絶景と言われる潮見坂を登っていないのだ。Img_2040Img_2039




東海道は新居宿から海沿いに進み、ここ潮見坂で右に直角に曲がる、この急登じゃ登る気はしない。

 広重の画では汐見阪図となっており、遠州灘の絶景が描かれている。なぜ登らなかったって、下から見ると妙に急そうで嫌だったからだが、広重の画を見ていたらきっと登っていただろう。傾斜は無いけれど面白くも無い国道を登り、すぐに潮見坂の合流点に着いたときには後の祭りだった。P1030400


東海道随一の絶景は広重の図で。


【今日のじょん】:侵入口発見。じょんが嗅ぐので見てみると、ネットの下に掘った跡がある。イノシシにしては小さいので、アナグマとかヌートリアとかの小動物みたいだ。P1030392

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新居宿と舞阪宿 12/2

2012-12-02 | 旅行記

2012.12.2(日)曇

【晴徨雨読】124日目(2006.12.2)新居宿と舞阪宿
 浜名湖にもう一泊逗留して、東海道五拾三次新居宿と舞阪宿を彷徨する。
 こののち渥美半島を廻るので東海道ともお別れになり、じっくりと見ておこうというものである。詳しくは本文を見て頂ければよいが、きょうは広重の画で二つの宿を見て頂きたい。
 舞阪と新井の間一里は舟で渡ることになっていた。これは政策上の事といわれているが、橋を架けるとしても当時の技術でどうだろうかと思わせる。P1030387
 



 新居の画は向こう岸に新居の関所が見え、その左手に新居宿の家並が見え、地理のとおりである。船頭の腕が不自然だという意見が多いそうだが、「おっとっと」というのを表した洒落ではないかと思う。舳先の旗の丸に竹の字も保永堂の竹内を表す洒落である。
Img_2001Img_2010   



新居の関所は出女に特に厳しかったそうである。難所今切も今日では、、。


舞阪の画は舞坂(今切真景)となっている。新居も荒井であったように舞阪も舞坂と書かれたようだ。今切というのは1498年の明応大地震による大津波で浜名湖と遠州灘を分けていた陸地が決潰して、淡水湖が汽水湖になった、その切れたところをいう。近き淡海を近江、遠き淡海を遠江(遠津淡海)と呼ばれ地名語源となっている。P1030388
 



 さてこの舞坂の画を見て、一体どの方向から見ているのだろうと考える。今切には潮の流れを押さえるため多くの杭が打ち込まれたという。
 左が遠州灘と思いがちだがそうすると富士山の位置が合わない。やはり右手の弯が庄内弯で左手に拡がっているのが浜名湖なのだろう。Img_2019
 



舞阪宿北雁木(きたがんげ)、諸侯用の船着き場。

漁師が捕っているのは鰻であろうと説明文にあるが、なるほどこの頃から名物であったようだ。「鰻の舞坂」はこの地が発祥なのだろうか。

【作業日誌 12/2】
ウッドデッキ基礎作り

【今日のじょん】:アレルギー反応でチキンが食べられなくなったじょん君、ちょこっとだけもらう竹輪が唯一の楽しみとなってきた。なんでも塩気が多いので沢山はあげられないそうだ。お座りもお手も言わないうちから、お座り、お手、ハイタッチ、フセ等々知ってる芸をみんな出してねだっている。そのうち動画におさめたいが、シャッターチャンスが難しい。P1030384  

 

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