2013.4.11(木)曇り、雨 大唐内のこと(82)は2012.8.24
「丸山とイモリ村」の稿が進んでいないのは丸山(イモリヶ嶽)についての検証が進んでいないからだ。この545mの特異な山は丸山、生守山、イモリヶ嶽、猪森ガ岳、三俵山、サントラ山などと文献によって様々に言われているがいずれが正しく、いずれが間違いというものでは無い。しかし筆を進めるに当たって様々な呼び方では不都合もあろうかと思うので、丹波負笈録にある「イモリガ嶽」に統一しておこう。
府道一号線からこの山の山容を見たとき、この山には何かあるぞと思わずにいられなかったのだが、そこには宗教的な遺跡も伝説も残っていなかった。ただサンドラ岩といわれる巨大な枕状溶岩の帯が8合目あたりに鉢巻きのように巻いている。丹波側は風化が進んでいるが、そこには鬼の岩屋と呼ばれる洞窟がかつて存在した。
イモリガ嶽の丹波側はサンドラ岩の風化が進んでいるが、鬼の岩屋という洞窟はこの付近に実在した。
イモリガ嶽という山名についても、イモリ村についても一向に見通しが立たないのだ。付近の胡麻峠、猪鼻峠などについても地名の意味について検討する。別所探訪や日吉地名散歩、盃状穴の研究も実はイモリガ嶽、イモリ村へのアプローチとして研究、記述しているのである。
にもかかわらず杳としてイモリガ嶽の姿は現れない。盃状穴や別所地名を調査していて、加古川の飯盛山に登ってみたいと地図を広げると、加西市、福崎町、多可町にもイイモリ山があり、古代祭祀の山であったり、金属関連の山なのである。
若狭の小浜や京都北山に飯盛山があるのは知っていたし、全国にもあちこち飯盛山があるのは感じていた。何かあるとは感じていたがそれが何かはわからなかった。
小浜の市はサンドラ岩を見ると繁盛するという(丹波負笈録)これは小浜の飯盛山のことでは無いかと思うが、フィシャーマンズワーフでは飯盛山は見えないと言われた。(2013.2.15)
そんなときイイモリ山を研究されている方が突然現れた。つづく
【晴徨雨読】197日目(2007.4.11)山口滞在
自転車の整備とタイヤ交換をする。オンロード用が無くてオフロード用のタイヤをはく。これでまた一段と重くなった。愛車初恋号6世は今回の旅行のために作ったフルオーダーのBIKEなんだが、そのコンセプトは堅牢である。従って軽量化は何も考えていない、ただし軽くても丈夫なパーツは使用している。おそらくロードレーサーの4,5倍の重量はあるだろう。その上オフロードの太いタイヤをはくのだから堪らない。
中也記念館に行く。おしゃれすぎてつまらない。高田公園の帰郷の詩の碑は30数年前訪れたときからある。こちらが好きだ。
「心置なく泣かれよと 年増婦の低い声もする」という部分が省かれている。センスの無い碑である。
【今日のじょん】ここ数日寒い日が続いている。先日綾部温泉に行ったときにコゴミが売られていた。こんなに寒いのに出てるのかなあと朝の散歩時に河原を覗く。あるある、しかも育ちすぎている、早くとって食べようぜ。
じょんの首のあたりの下方、河原に生えているコゴミ。