2013.12.16(月)
申し訳ありません、パソコンのメンテナンスのため記事をお休みします。メンテナンス終わり次第再開いたします。
2013.12.15(日)雨 上林土喰庵(3)は2013.12.12
昨年は大根が巧く出来なかったので作ることがなかったのが柚大根である。今年はすこぶるできがいいので期待していたら、柚がまるで成らない。なんとも皮肉なものだと思いつつ、毎年順調に実を着ける一年柚で作ることにする。
大根、柚、鷹の爪は我が家の畑で出来たものである。砂糖、塩、酢は市販品である。
柚が不作で一年柚を使う。味は同様。
大根の出来がこんなに違うものかと感じたのは、今年の出来である。昨年の出来が悪かったのは種まきの時期が遅かったということにしているが、果たしてそれだけなのか大根は黙して語らない。6年作り続けた中で豊作は初年度であった。大体どのような作物でも初年度は出来がいい。これは単にビギナーズラックなどと済まされることではなさそうだ。わたしは土壌の養分が影響すると思っている。二十尺五畝の畑に年がら年中ありとあらゆる作物を作るわけだから、養分が減ってきたり連作障害を起こしても当然である。一種類の作物を一畝にしか作らないので、5年に一度の栽培という勘定になるが、これだけ他品種の野菜を植え付けた日には何時どの畝に植えたのか解らない。そんな意味で連作障害が出ているのだろう。
例え連作でなくてもその場所で栽培を続けていれば土壌の養分は失われていくわけで、豆類のように自分の力で土壌を肥やすことは出来ないわけだ。
先日テレビの番組で自然農法を実践しておられる方が、良い野菜を作っておられた。「山の木々を見てみなさい、何も肥料をやらないのにすくすく成長している」と言っておられ、周囲も感心していたが、どうも腑に落ちない。山の木の養分は自らが落としている枯れ葉などで、細菌がそれを分解して、養分として根から吸収されるわけである。それでもって成長したり、実を着けたりするわけだから、養分が生産されるところは、光合成ということになるだろう。
一年柚は柚風呂にも使う、香りはこちらの方があるみたい。
山の木はそれでつじつまが合うが、野菜は光合成で作られたり、根から吸収した養分を根、茎、葉、花、果実に蓄え、それを人間が持ち去るわけだから、土壌はやせ細っていくという理屈になる。その分を施肥なり土壌育成という方法で補わないと勘定が合わないことになるが、その辺は自然農法というのはどういうものか知りたいところである。山の木と同じようには考えられないと思うのだが、、、。
今年の大物、径は8cmあまり、2㎏近くある。これを畑から持ち去るわけである。
【今日のじょん】雨の中にみぞれが混じり初雪といえば初雪である。菅坂峠は真っ白になっていたとか、よくぞ昨日の間にシマトネリコの覆いをしたことか。
冷たいうらにしもじょんは平気で、ゲンタの匂いを嗅ぎ回っている。
2013.12.14(土)曇り
久理陀神社の参道を左に見て進むと右手に飯尾醸造という建物を見る。造り酒屋があるぞと思ったら、酢の醸造であった。蔵の見学も出来ると書いてあったのだが、連れの居る旅ではそうもいかない。すこしゆくと右手に酒屋さんがあった。ここで穴虫、穴虫ヶ谷の位置を尋ねてみる。「小字は解りませんねえ」と言うことだったのだが、小字一覧表の穴虫の周囲に書かれている小字を見せると、江頭というところがすぐ近所だった。もっとも確実である、その酒屋さんの小字を聞くのを忘れていた。
あの辺りが江頭と言われたが、、、。
店を出るとちょうど郵便配達の方が鏡ヶ浦に配達に行かれた。そのうち帰ってこられるだろうと待っていると、10分ほどで戻ってこられた。同じように穴虫を聞くと、「小字は使いませんから解りませんねえ」という返事だった。その代わり、駐在所の場所を教えてもらった。なんてことはない先ほど通ってきた中津の四つ角にあったのだが、ここも不在で聞くことは出来なかった。
まあ。こんな感じで地名の調査なんてのは遅々として進まない。そうこうしているうちに食事の時間も迫ってきたのでロイヤルホテルに急ぐ。
二階レストランから窓越しに見る天橋立。
雪舟の筆になる国宝「天橋立図」というのがある。雪舟晩年の作で世界的にも有名な大作である。この画が描かれたのは栗田半島に違いなく、ロイヤルホテルからも画と同様の景色が見られる。しかしそこからは冠島、沓島は見えないので、もう少し高い所から描いたものだろうと思っていたら、「天橋立をめぐる謎」に矢原のスが谷の峰(日輪山)からスケッチされたのだろうと書かれていた。この峰がどこか確定は出来ないのだが、栗田半島脊梁山脈の中の山だろう、ちょうど矢原と小田宿野の中間だろう。ロイヤルホテルの屋上から橋立を見ることが出来たらさぞかし雪舟図に似て絶景だと思うのだが、窓越しにしか見えないのは残念だ。
メインの食事、温泉を終えてじょんの散歩に出る。
田井海岸と寒そうなじょん。
北西の風が吹きまくり、丹後の山々は雪で見えなくなってきた。これがうらにしか、寒くて陰気で冬の到来を思わせる。澤潔先生も水上勉先生も好きだという、山陰の初冬の気候、うらにしとはよく言ったものだ。鼓ヶ岳から太鼓山へと連なる前衛の山でさえも白くかすんで見えなくなってしまった。おわり
はっきり見えていた山々もあっという間に雪煙の中に、、。
【今日のじょん】うらにしが吹いているのにゲンタが遊びに来た。自由に走れるのがいいんだって。じょんと一緒だと本当に楽しそうに走り回るので嬉しくなってくる。
2013.12.13(金)曇り
じょん連れの一泊旅行に懲りて日帰りの蟹食い旅行とする。と言っても予算に限度があるので、香住でも網野でもない、もちろん間人ではないおそらくロシアの冷凍と思われるカニである。
丹後の宮津でピンと出したキリンフリーで食うカニはこんなもんでいいだろう
ロケーションだけは一流の宮津ロイヤルホテルの昼食プランである。実はこのホテルの温泉は何度か入っており、凄く温まるいい温泉なのでこちらも楽しみである。
日置から栗田半島を見る(’13.10)白い建物がロイヤルホテル、その向こうの山が由良ヶ岳方面、右手の山が大江山方面。
いくみちゃんが昨日から来ているので、社員三名(人間2,犬1)と、4名の旅行となる。
現在読んでいる「天橋立をめぐる謎」(今澤美喜雄著)の中に、「神々の国「栗田半島」から由良へ」という章があって、気になる所もあって寄ってみたいと思っていたのだ。栗田(くんだ)半島は天橋立の影に隠れて知らない人もあるだろうが、マリンスポーツやフィッシングの人にはなじみかも知れない。
天橋立トライアスロン華やかりし頃、与謝野町周辺でのコース維持が難しいという理由で他のコースを探すべく、一市四町(宮津市、伊根町、岩滝町、野田川町、加悦町、いずれも当時)をくまなく走った。今だから話せるが、国際レースの候補にもなっていたのだ。ロイヤルホテルに本部を置き、海洋センターをスタート地点とする、栗田半島を周回して島崎公園をゴールとするコースは理想的なコースだったが、地域が宮津市一市に集中するということで実現できなかった。ちなみに天橋立トライアスロンの最終的なコースはわたしが設計したものであるが、無理矢理一市三町をめぐる、苦しいコースであった。(伊根町は主催自治体であったがコースは実現できなかった)
でもそれはそれで楽しい思い出としておこう。
さて12時の食事には随分早く宮津に着いたので、栗田半島をめぐる。本当は右回りに島陰、田井を回っていきたかったのだが、先の台風で道路が寸断され、島陰から先が通行止めとなっていた。
小田宿野(おだしゅくの、おだすくの)から越浜(おっぱま)に向かう切通し状の部分、越浜から島陰に向かう。
もっとも行ってみたかった所は小田宿野(おだすくの)で、今澤氏はここがこの地に於ける木地師の発祥の地だというのだ。また鉄の採掘に関わる地だともしている。その辺の根拠というものはさほどはっきりしたものではないのだが、その中に「穴虫、穴虫ヶ谷」という地名を見つける。従前からの研究課題の地名なので是非現地をこの目で見てみたい。地方で小字を見つけるのは、市役所、役場、支所が一番だ。次が駐在所、小字までは解らないケースがあるが、住居地図が備えられており、それでも解らない場合は何かと探してくれる。それでも解らない場合は、民家に飛び込み訪問するわけだが、酒屋さん、新聞屋さんなどは地理に詳しい。つづく
【今日のじょん】寒い朝だけどいくみちゃんが居るのでヒコヒコのじょん君、足を伸ばして堰のところまで散歩した。
2013.12.12(木)曇り
’13.12-(2) ジャガイモの焼き芋
今年の冬野菜は大根、白菜、ヤーコン、ブロッコリーは豊作だがジャガイモは植え付けが遅くて葉が霜にやられて充分に生育していない。いままでメイクイーンだのキタアカリだの有名な品種を作っていたが、この春からはオーソドックスな男爵を作っている。ところが植え付けの時期が遅くてどうもうまく育たない。この冬も霜で葉が枯れてしまって、やむなく収穫したがまともな大きさのは4,5個で残念な結果だ。
同じようにストーブで焼いたが、残念ながらベストではない。実は今日までに何度もジャガイモは焼いているのだ。一番うまかったのは、ストーブを買った京阪エンジニアリングさんにいただいた北海道直送のジャガイモを焼いたときだ。
遠い北海道のジャガイモに、地元の土を喰ったジャガイモが負けているのはなんとも辛い現実なのだが、栽培方法がまずかったといわざるを得ない。少なくとも今回の失敗は、植え付け時期が遅くて霜にあってしまったと言うことだ。
焼き上がった姿は美味そうなんだが、ほくほく感が無く、甘みも少ない。要するに熟成していない芋なのだ。
ここで妙なことに気づくのだが、「土を喰ふ日々」では来客は水上先生の料理を美味しい美味しいとぱくぱく食べているのだが、果たしてすべてが美味しく食べられたのだろうか。なかにはまずーい、とまでいかなくてもいまいちーってえのがあるんじゃないかと勘ぐるのだけど、さて。
とにかく来年は美味~いジャガイモ作るぞ。
おまけとして銀杏を紹介する。銀杏は、たまにはおでんに入れたりするのだが主に焼き銀杏で喰う。この地方で銀杏は11月が限界、12月に入ると焼いてもはじけない、薄皮がむけない、実が青くなくて黄色い、実が固いとなる。
この辺りではお寺でも神社でもいくらでも落ちているが、例年桜井さんに頂く、栽培種、久寿といったか、が粒が大きく味も色も良い。
焼くといっても、かつてはフライパンにふたをして焼いていたが、今では茶封筒に10個ぐらいを入れて、粗塩を少しかけ、二つ折りにふたをして、電子レンジで40秒~60秒かける。数を憶えておいて、ぽんぽんという音を数え8割ぐらいの所で停める。良い銀杏は2,30秒で焼ける。熱燗でちびりちびり秋の夜を楽しむのは一日の疲れが吹き飛ぶ瞬間である。
12月に入ると、色も黄色くなり、粘りも無くなる。焼き銀杏は旬が大事である。
【作業日誌 12/12】
芝生広場砂蒔き終了、次は薪割りだ。
【今日のじょん】今朝は今年一番の冷え込み、「真っ白やで」ってんで出てみるが雪ではなく霜。
デッキをじょんが歩いても足跡がつかない、水のもうとしたら凍っていてアレって感じ、それでも気温は0℃でまだまだだぜ。
2013.12.11(水)曇り
素材の味を活かすという意味では焼き芋は最高の料理である。
なんてったって土の中で育ってきたものに何を加えるでなく、細工するわけでなく、ただ火に放り込むというだけのものだから。
だけど火というのが何となく気になる。火ったって今日日の厨房ではそうお目にかかるものではない。
わたしが子供時分にには、土間にはおくどさんがあって、夕方になると火が着けられる。これが子供の仕事で、細い柴を適当に折ってその上に直径2,3cmの太い柴を置く。下に敷いた新聞紙に着火し、よく燃え上がったところで太い薪を入れる。
これを毎日やってるものだから、火の扱いには慣れている。これが学生時代の山岳部の夏合宿に役立つとは思わなかった。今ではおそらく禁止されているのだろうが、40年以上前の南アルプスでは幕場(キャンプ場)でのたき火は許されていたのだ。(北アルプスでは禁止されていた)
縦走していて、大体3時頃から薪を拾い始める。当然幕場の近くでは拾い尽くされていて薪どころか焚き付けも無い。従ってなるべく早い時間から拾い始めるのだが、そうでなくても重いリュックを担いで、2,3mにもなる薪を担いだり引きずったりするのは苦痛である。薪といっても生きている木は御法度であって、枯れて倒れた木に限る訳である。一枚だけ木を引きずっている写真が残っているのだがどうしたわけかクスクス笑いがこみ上げてくる。
話が飛んでしまったが、とにかく今日では火というものが生活の場から消えてしまった。都会の台所では火といえばガスコンロぐらいで、電熱器や電磁調理器(IH)に至っては火と呼べるものでは無い。
田舎の生活は、火を扱えないと成り立たない。おくどさんの利用は減っているが、草木を燃やすことは日常茶飯事である。その残り火で芋を焼くのは醍醐味である。
幸い我が家は薪ストーブを使っているので、その澳で焼くことが出来る。ストーブは釜のようなもので補熱の効果が大なので焦げることなくうまく焼き上がる。落ち葉焚きなどで芋を焼くと美味いのだが、半分ぐらいが炭になることがある。
田舎といえども安全のためドラム缶を利用している。右奥にかまど用もある。
’13-12-(1) ヤーコンの焼き芋
桜井さんに種芋をもらったので畑の隅に植えていたら随分立派に育った。食い方が解らないので調べてみると、サラダでも煮物でも天ぷらでも何でもある。ところが焼き芋だけは見当たらない。ひょっとしたら大発見で、とんでもなくおいしいものになるかも知れない。
ホイル、水上先生は銀紙(ぎんがみ)とおっしゃってるのでこちらの方がおしゃれな呼び方だ。この銀紙に包んでストーブでじっくり焼く。時々箸でつついてみるが、結構時間がかかる。35分ほど焼いて、ようやく箸が通ったのでぶつ切りにして粗塩をもった皿に無造作に置いてみる。水上先生の山芋の焼き芋があまりに美味そうに見えたのでまねてみたのだが、結果は失敗、すこぶるまずい。
あのほくほく感が無いのだ。炊いたリンゴのように透き通った感じで、味も芋の味はしない。なんとか一本無理矢理食べたが、二度と食う気はしない。
土喰メニュー第一号が却下で残念だが、ヤーコンはヤーコンできっといい食べ方があるに違いない。
【作業日誌 12/11】
薪とり、山内他軽トラ一杯半
【今日のじょん】今朝は薪取りに行く都合でいつもより早く起きたら、ちょうど陽が上がったところだった。秋分の頃と比べると随分南の方から陽が昇っている。冬至には約30度南に位置することとなる。
10月12日と今日のほぼ同じ時間、高さがかなり違う。じょんはかんけーなく走っている。
2013.12.10(火)雨
仏心の無いわたしにとって、感謝や有難みなどと言うことばは好きでなかった。生きるために必要な食べ物や物についても、自分が苦労して働いて手に入れているのだから当たり前だという不遜な気持ちであった。
ところが、年を重ねたせいか、いくつも苦労が続いたせいか、最近あらゆるものに有り難みを感じるようになってきた。特に畑で野菜を作ったり、野山で山菜を採ったりするととにかく食べ物は美味しくて、有り難いなあと思うようになる。
じょんが走っているこの画像の中だけで、フキ、スカンポ、セリ、大葉、ワサビ、ミョウガ、ミツバ、筍が自生しており、ラッキョウ、タマネギ、ネギ、ニンニク、シイタケが栽培され、柚が植えられている。
ストーブの薪だってそうだ。我が家の薪はすべて人の善意に頼っている。頂き物ばっかりなのだ。もちろん伐ったり運んだり、割ったりは自分でやるけれども。
そんなだから一本一本面が違う、一応広葉樹ばかりなんだがナラやクヌギといった上等な薪ばっかりじゃない。庭木もあれば藤の巻いた雑木もある。良い木もそうでない木もそれなりに燃えて温度以上の暖かさを与えてくれる。沸かした湯は湯たんぽに、残った澳(おき)で芋を焼く。燃え尽きた灰は畑に撒いて肥料とする。
昨冬まで大工さんでもらってくる廃材を細かく割って焚きつけにしていた。それを今年から柴に替えたのだ。昔なら一片たりとも落ちていなかっただろう柴が今ではその辺にごまんとある、しかもしっかり枯れてすぐに使える。そして柴を拾ったあとが随分ときれいになるのだ。この柴で火を着けるとなんか凄いいいことをしたような気分で、余計有り難さを感じるのだ。
残った澳で芋を焼く。
なんとなく禅の心ってこんなんかなと嬉しくなる。イライラカッカしていた自分が馬鹿みたいに見えてくる。
上林に住んで食べ物が美味しくなったのは、やっぱり土を喰っているからなんだね。水上先生みたいに土を喰うメニューを紹介していきたいと思う。
【作業日誌 12/10】窓掃除。湿気とカビの上林では窓枠が真っ黒になる。この黒いカビの上に島のように白いカビが浮いてきた日にゃあ気分悪くて吐きそうになる。こいつを雑巾と古歯ブラシ、ついには綿棒まで動員して磨き上げる。精進ですなあ。一日かかって4枚程度、正月までに終わるかしらん。
柚大根作り
【今日のじょん】今夜はなんか精神的に不安定のようで、寝ないで、カメムシを見つけては吠えまくっている。勘弁してくれ、部屋の中で吠えられたら頭に響くんじゃ。
2013.12.9(月)曇り
新聞がどれほど書こうと食の専門家が意見を述べようと、食材偽装のような事件はなくならいだろう。生産者も業者も消費者も食に対する見方考え方がそう簡単に変わるわけで無いからだ。特に消費者の態度が重要になると思うのだけど、どうもそこのところの動きは見られない。
だけど本物を見分けようとする意識というのが消費者の中に芽生えていることは確かである。新聞には連日食に関する本が必ず登場する。本屋さんにも食に関する本はどっさりあるだろう。
これは消費者の関心の高さの表れだろうと思うのだが、残念ながら食の本質を説いた本は少ない。簡単にきれいに美味しい料理を作る本、添加物などの害を批判する本、無農薬の野菜などを追求する本、グルメの有名店をめぐる本、スピリチュアルな内容で人を惑わす本など様々である。
「美味しんぼ」という食に関する漫画をご存じだろうか。雁屋哲氏の原作で長編の、グルメ漫画などと言われているが漫画と侮るなかれ、食の安全や食文化について鋭い視点で書かれており、参考になること大の漫画である。その中で、巷にあふれる料理本の中で読む価値のある本はこれだけだ、という本がある。
「土を喰ふ日々」水上勉著である。
この谷のこの土を喰い この風に吹かれて生きたい
「土を喰う」という意味がやっと解ったのだが、ぱらぱらとめくっただけで、「人にとって食ということがいかに大切か、食材はその土地で育ったものを食うことがいかに大切か」というようなことが書いてあるなと感じる。
上林に来て上林の水で炊いた米を食い、自らの畑で採れた野菜を食するとなんと美味いことかと思った。今まで食ってきたものは一体何だったんだろうとさえ思う。米のような物、トマトのような物、なすびのような物を食ってきたのだ。
これだけの畑でいろんなものが採れる
「都会の子が来て上林の米を食ったら、美味い美味いと言うのだが、持って帰って食べるとそうでもないと言う。不思議に思って、行って食べてみたら確かにまずいんや、あれなんやろ」亡くなった土井さんの言だったろうか。炊飯器は変わらないだろうから水が違うのかなあという結論になったのだが、食べ物というのは不思議なものである。信州から土産に買ってきた野沢菜がこちらではちっとも美味くない、ハワイで飲んだバドライトが日本では水くさい、これだって気温や湿度の違いなのだろう。
現地で食う食材が本物なのである。多くの消費者がそういう考えを持つようになったら、日本の食文化もよみがえるのではないだろうか。おわり
【今日のじょん】散歩の帰り、リードを外すと畑の法面に登り始めた。例の草でも探してるのかと思いきや、ニシクリを始めた。「オイオイ、ひっくりかえるで」と言ったが止みそうにない。
2013.12.8(日)曇り
話題が食材偽装から遠ざかっていくようだが、この際に食文化について論じていくのも意味があろうかと思い書き綴っている。特産物は現地に行って食べろというのはもっともな話だが、それでは米なんかはどうなるのだろう。
例えば新潟魚沼産コシヒカリは人気の品種だが、現実には魚沼で生産しているより多くの魚沼産コシヒカリが流通しているということだから意味深だ。このお米を魚沼に食べに来いといっても、ご飯だけ食べているわけにいかない。他の食材も作って、店舗を設け、魚沼に客を呼び込むには手間も資本も要る。そんな面倒なことより、いい値段で出荷した方が随分と楽だということになるだろう。
前回登場の大間だって同じ事である、大間の漁師にとっては、獲ったマグロがどこで消費されようが、高く売りさばければいいわけである。大間にはマグロ御殿がいくつかあると聞いたが、町全体に感じた淋しさは何だろう。大間のマグロという素晴らしい資源を所有しながら、その関係者のみが享受するという矛盾こそがその淋しさの原因では無いだろうか。
本物を食べたければ現地に行かないと食べられないとなれば、東京でニセモノを食べさせられることは無くなる。大体東京で大間産か〇〇産か味の見分けられる人がどれだけ居るのだろう。そこに偽装のつけいる隙が出来る。
調理人だって有名産地の名を挙げておけば、客はそれだけで美味しい美味しいと食べてくれるわけだから調理の工夫などしなくていい。だけど東京には練馬大根しかないとなれば、必死で工夫するわけだ。ちょうどかつての京都の調理人が材料の無い土地であらゆる食材の加工に苦心したように。
これぞ本当の食文化ではないだろうか。
食文化をはじめあらゆる文化が経済優先になって置き去りになっている。いくら経済的に豊かになっても文化の程度が低ければ、国民は幸せになれない。
食材偽装で明らかになった食文化の破壊を、今食い止めないと日本はさびしい国になってしまう。つづく
【作業日誌 12/8】スタッドレスタイヤ交換。自分でやることでタイヤの減り具合、傷みなど発見できる。それで浮いた工賃2,000円をおいしいものでも食べるとかすればなお豊かな気持ちになれるし、パンク時のタイヤ交換練習にもなるぞ。
【今日のじょん】最近おやつがイルマン棒から野菜ボーロに代わってちょっと面白いゲームが始まった。どちらかにボーロをにぎって、「どっち?」と聞くと手を出してどちらかを選ぶわけだ。最初左手ばかり出してたので、やっぱり分からないのかなと思っていたら、左手で右や左を選んでいるので、その賢さに驚く。そういえばじょんは左利きだったっけ。
「どっち?」「クンクンクン」
「こっち」
「ごめいとう」
2013.12.7(土)曇り
ロバートキャンベル氏のタイトルは「産地にこだわりすぎ」だ。今回の食材偽装の中にも産地を偽装しているケースが多くあった。そして彼らの言い訳は決まって、「品薄で産地から食材が入らなかったので他の産地のものを使ったが、悪気はなかった」というものである。なかには「他の産地のものを使ったが、仕入れ値は同じである」なんて言ってる所もあった。なんとも消費者を馬鹿にした答弁だ。
こうなると食材偽装の原因は単にコストの問題だけでも無さそうだ。
欧米でも食や食材に対するこだわりは同じようにあるそうだが、その土地を訪れた時に食べればいい、と言うような考え方のようだ。
確かに特産地の食材は美味い、それにはそれなりの理由がある。大間のマグロが美味いのは、津軽海峡の潮の流れとイカ、サバ、サンマなどの豊富な餌のためと言われる。しかし同じような条件の所は他にもあるだろうし、調理の仕方によってはより美味しくいただける法もあるだろう。つまり、マグロ料理は大間産でなければいけないというような風潮が今回の偽装問題を生み出した一つの原因かも知れない。
2006年、わたしは大間を訪れた。少々高価でも大間マグロを食することが出来るだろうと期待したのだが、訪れる店にあるのはイカばかりで、マグロは写真ばかりだった。「マグロは無いのですか?」「マグロはみんな築地に行っちゃうのでここでは食べられませんよ」「・・・・・・」
大間のマグロが大間では食べられなくて東京に行かなければならないなんて、ばかげた話だ。
大間では作り物のマグロにしか会えなかった。沢山の漁船が入り乱れ、無線の声が届くのはマグロ漁か、(竜飛岬から)
例えば今、大間マグロは大間でしか食べられないとすれば、飲食資本や優秀な調理人は大間に集まり、連日各地から大間に人が集まるようになり、築地に出荷しているより何十倍もの経済効果はあろうと思うのだがどうだろう。
その四日後に大間の対岸の戸井を通る。戸井漁港も大間にならってマグロ漁が盛んだ。考えてみれば同じ環境の漁場でとれるわけだから味も同等のものだろう。大間ほど名が売れていないから少しはリーズナブルかと思ったが、噂では結構高値になっているということだ。時間的に食事に合わないので通り過ぎてしまった。
この季節になるとやはりカニが恋しくなる。最も有名なのが間人ガニで、高値で我々庶民の口には入らない。なんでそんなに高価で美味いのかというと、嘘か誠か分からないのだが、小さな港で水揚げ量が少ないので京都や大阪に出荷できず、地元で消費するから新鮮で美味いのだという。つまり湯がいたり冷凍したりしないですぐに調理に回されるということだ。また、漁船も小さいので遠くに何日も漁に出られない、獲ったカニはすべてその日に港にあがるということだ。
この話が本当なら、産地のあるべき姿はこういうものだろう。食べたい者は現地に行って食べればいいわけである。
今頃丹後半島はカニずくし(写真は丹後町久僧)
水揚げが少ないために高価になるのが玉に瑕だが、その水揚げすべてを京都、大阪の市場に出せば、それどころじゃない値段になり、味はぐっと落ちることだろう。つづく
【作業日誌 12/7】
芝生広場サッチ掻き
【今日のじょん】これはおねだりポーズ、あごのせじょんのバリエーションである。このまんまいつまでもじっとしているのである。いつもおかーは負けてしまう。
今日は上林の土を喰らうシリーズ第一作のヤーコンの焼き芋を作ったのだが、これがすこぶるまずい。ところがじょんはぱくぱく食べるので、ひょっとしたらじょんの方が食通なのかも知れない。
2013.12.6(金)曇り 前回「食材偽装に思う」は2013.11.24
食材偽装のニュースが出尽くしたかと思ったら、偽装をした企業のトップが代わったり、偽装が確認されても公表していなかった高級ホテルのニュースが流れている。
ことの本質を追求する報道が無くなってしまった。今回の不祥事を期に企業も職人も消費者も食について見直そうといういい機会だったのに残念である。
読売新聞の記事「食材偽装 私の視点」は前回紹介した小泉武夫氏に続き、ロバート・キャンベル氏、三浦 展さんが書いておられる。
食材偽装問題は幕引きすることなく、食の問題を議論する場にして欲しい。
三浦さんは「本物親しむ人増やそう」というタイトルで書かれている。
子供の頃からファストフードや冷凍食を食べてきて、でも、それだけじゃまずい、と思っている。偽装せずに正直に言うことは当然だが、それ以前に、本物に親しむ人を増やすべきです。
と書いておられる。冷凍食品は保存技術で、本物か偽物かという意味では該当しないと思うが、氏の言わんとされることは理解できる。
例えば今回問題になった牛脂注入肉だが、精肉業者はこの方法は永年の工夫を重ねた正当な技術で、肉を柔らかくしておいしく食べられる画期的な加工だと言っている。まさにそのとおりで、一流ホテルでも使うぐらいだから素晴らしい加工技術なんだが、本物では無い。本物はそのようなことをしなくても柔らかくて美味しい肉のことだろう。消費者が日常の食生活で常に本物を食することは、経済的にも調理技術面でも時間的にも難しい。しかしニセ物ばかりの食生活では本物の味が分からなくなる。
前回に書いたように、本物を出す料亭なりレストランなり町の食堂ならなおいい、そういうグループなり認定などがあって、そこに行けば本物が食べられるというところが欲しいものである。そこに行けばきっとまずく感じるだろうけど、まずければまずいほど普段の食生活がインチキだと認識できるのではなかろうか。つづく
【作業日誌 12/6】
芝生広場草引き、とりあえず終了
【今日のじょん】本格的落ち葉の季節となった。ドッグランどのお客様はまだ在りそうなので、とりあえず芝の部分だけ処分したのだけど、ドラム缶2杯である。
11月29日、12月5日
2013.12.5(木)快晴
8月6日に亡くなられた森浩一さんの著作である。その先生の口癖は「考古学は地域に勇気を与える」であったそうだが、その口癖を如実に表している書が本書である。北海道から鹿児島まで各地での講演をまとめたものが本書である。
森さんは講演に際して原稿は書かれなかったという、その土地土地で聞きに来られた方々の顔を見ながら話されていたという。従って細かな数字は出てこないし、考古学的諸問題を論理的に解明しているものではない。
「古代史津々浦々 列島の地域文化と考古学」森浩一著 小学館発行 1993年12月1日初版第三刷 古書
研究論文やシンポジウム報告など各種の出版がある中で、反骨と言われた森さんの研究姿勢、ポリシーを余すところなく表現されているのが本書だと思う。
「地域に勇気を与える」とはいかなることか。
森さんがそのことを言われたのは、吉野ヶ里遺跡が注目を集め始めた時の鳥栖市でのシンポジウムの席と言われているが、それは単に吉野ヶ里遺跡が予想外に多くの人を集め、観光や地域振興に大きな影響を及ぼしたということだけではない。
考古学、歴史などの分野ではとかく大和や京都などが中心に考えられ、地方で発見された遺物は常に中央の政権の影響下にあったなどと推測される。また何か発掘されると大和でならマスコミも大騒ぎするが、地方でなら地方紙の隅に小さく載るぐらいだ。こういった見方、状況に真っ向から反論されている。
中央集権国家と言えども、実際に権力を及ぼすのはわたしたちが歴史の授業で習ったよりも随分後のことと思うし、地方の小国家とも言える豪族達が常に中央と接触、関連を持っていたとは考えられない。地方で発見される遺跡や遺物を中央の従属物、下賜品とばかり見ていたのでは本当の歴史は見つからない。
というようなことではかなろうか。
ある新聞社が戦後の十大発掘を選んだ際に、森さんは北海道の有珠モシリ遺跡を入れるために高松塚古墳を外したという。北海道の人は勇気が出たことだろう。
また森さんの素晴らしいところは、真実を探求するために民俗学的な伝説や神話、地名などを遠慮無く参考にされるところである。それは専門的な考古学者には珍しいことでは無いのだろうか。本書の中にも記紀、風土記、万葉集はもちろんのこと、中世、近世の書も沢山登場し、浦嶋伝説、徐福伝説などもおおいに参考にされている。真実にたどり着く近道でもあり、なにより考古学をより分かりやすく、親しみやすいものとしている効果が大なのでは無いだろうか。
森さんの魅力的なところはいくらでもあるのだが、それはこれから読み続けるだろう森さんの著書の紹介時に少しずつお目にかけよう。
【作業日誌 12/5】芝生広場草引き
あらゆる雑草が生えているので用具もこんなに増えてしまった。
【今日のじょん】新じょん語録 おもむろじょん
うどん犬じょんは、昼ご飯に麺類があると寝ていたサークルから何事もないかのように出てくる。そしてストレッチをして、「あっ昼ご飯か」と今気がついたような態度をして、おもむろにおかーの横に座る。そして「べつにええねんで」というような顔をしつつ目は麺類に釘付けである。
2013.12.4(水)晴れ
優れた紀行文学は既訪の地であれ未訪の地であれ、その地を訪れてみたくさせるものである。丹波生まれのわたしにとって丹後は物理的にも精神的にも異国であった。何度も何度も訪れているのだがなにかよそよそしいものを感じるのである。それはひとえに丹波人の閉鎖性によるものかも知れない。
丹波の人も文化も丹後や若狭からやってきたと思うし、丹後ったって元々は丹波国であった訳なんだが、わたしの感じる違和感は一体何だろう。
例えば古代の遺跡を見ても、丹後の古墳の数と規模において丹波の比ではない。過去の優れた文化人だってスケールにおいて丹後は圧倒している。わたしにはチマチマ丹波、豪快丹後という気がしてならないのだ。
とまあここまではわたしの感想であり、本書とは関わりは無い。本書で丹後は与謝、与謝再訪、丹後路、短かい旅ー峰山の四編である。
水上先生は丹後半島を与謝半島と呼ばれている。すべての作品においてそうなのか分からないのだが、わたしは至極気に入った。学術的な文には「丹後半島」を使うべきだろうが、文芸的な文には「与謝半島」を使おうと思う。もっとも文芸的な文を書くことがあるか否か難しいところだが。
水上作品には与謝半島がよく出てくる。「五番町夕霧楼」の夕子の故郷は世屋ではなかったか。「金閣炎上」の林養賢君は世屋から東に見える成生岬の出だそうだ。
日置から成生岬、手前は栗田半島、黒崎。成相山からは青葉山も望めるという。
その与謝半島をめぐる道路が無い時分に、難波野から発動機船に乗って半島をめぐる旅が記されている。現在不可能な旅だけに興味深く読んだのだが、半島一週道路が開通した後にもバイパスが沢山出来て、この間走った際にも伊根の舟屋の狭い道路を通ることもなくなっていた。せめて旧道をめぐる旅を実現させたい。
「ちりめん物語」という小説も書いておられる。大江山はつまり、律儀なちりめん運搬人夫の涙の谷だと思えたのである、という文章からはやはり哀しい物語なのかと思う。
水上先生は常に弱い者、貧しい者、虐げられた者を題材とされるが、報われることなく死んでゆくので余計に哀しい。
「あゝ野麦峠」の山本 茂実が松本の生まれなので「女工哀史」の作者も関東方面かと思いきや、細井和喜蔵は与謝の生まれなのである。おわり
※フリーライブラリー設置本
【作業日誌 12/4】柴刈り
【今日のじょん】ラブちゃん改めラブ子ちゃんが来じょん。飼い主さんが決まって、何となく落ち着きが出てきたみたい。じょんとも遊べて嬉しいのだが、若いコと遊んでるとじょんが老けて見えてくるから不思議だ。また、てんちゃん達とも来てよね。
2013.12.3(火)快晴
水上作品について書いている最中の今日、先生の故郷であるおおい町岡田に寄った。一滴文庫の向こうの谷と聞いていたので、集落に入っていったのだが、モダンな家が建ち並び貧しい生活を送った面影はみじんもない。それもそのはず水上先生が生まれてから八十年以上の歳月が流れているのだから。
水上作品に「故郷」というのがある、その表紙の画こそこの岡田ではないだろうか。原発にも関連するこの作品是非読んでみたいと思うのだが、とにかく話を本題に戻そう。
岡田の谷を望む、「故郷」の表紙にそっくりの風景なんだが。
海から2Kmあまりのこの岡田にもウラニシは吹いただろうし、水上先生の作品の中にもウラニシは表になり裏になり存在する。それにしても山陰に住む者にとって決してありがたくない、むしろ忌み嫌うべきウラニシ、ウラニシ気候が好きだというのは尋常でない。実はそこのところが水上作品を読んでみたいという動機でもあったのだ。
わたしにしたって、憧れるところといえば白浜や瀬戸内のような温かくて明るい所だった。ところが人知れず苦労を重ねたり、人間のきれいな面や汚い面を見たり聞いたり、とにかく人生の経験を重ねてくると、単に美しいもの、明るいものに憧れるということが無くなってくる。むしろ暗い、寒い、厳しいといった一見ネガテブなものに惹かれるという奇妙な現象に落ち込むのである。澤先生も水上先生もウラニシの気候が好きであるというのは本当はよく理解できることなのだ。
それにしても水上作品は暗くて重いので、とりあえずは軽いのを読んでみようと選んだのが本書である。
ところが冒頭の「丹波周山」から打ちのめされる。仕事として満蒙開拓義勇軍を募り、少年を満州に送り出すのである。そして敗戦と共に彼らの多くが不帰の人となるのである。
福知山は長安寺の昔ながらの禅寺を紹介して心安らかに読むことが出来たが、「山寺」では実は綾部の寺のことで、このストーリーは実に哀しい。哀しいからこそ実名を出さずに表現されているのだがそれが余計哀しさを増幅させる。わたしはこのお寺に行ってみようと思う。もちろん現在の住職やその家族が「山寺」に登場する人々とは無関係だろうし、時代も随分変わっている。でも、長い石段に立つ加奈子の姿をわたしは見ることが出来るのだ。つづく
【今日のじょん】おおい町うみんぴあに連れてってもらったワン。いつもどおりあの広い芝生でウロウロしていたら、ほのほのDog12月号にマック隊長とマウイちゃんの写真が載ってるでねいかい。さすがにどこでもいっとるなあ。
これおんなじとこだよね。
2013.12.2(月)晴れ
「うら西、ウラニシ」と言っても何のことだか解らないだろうけど、「寺泊」の中の「短い旅ー峰山」のなかに出てくる。
運転手に急に峰山にゆくというと、向うはうら西だ、といった。
「うら西って何かいね」
「丹後は、うら西の季節ですよ。このごろはめったに晴れた日はありません。西の方から、吹く雨風ですわな」
ウラニシを初めて知ったのは、「探訪丹後半島の旅」(澤潔著)の中である。澤さんも水上先生もウラニシが好きである、という風に書いてあるのだ。
「丹波・丹後 日本の風景を歩く」水上勉著 河出書房新社 2000年4月初版 古書
ウラニシというのは元々冬の丹後に吹く西風のことと思うのだが、柳田國男の「風位考」の中にも見当たらない。もっとも風に関する言葉は2,000以上あると言うことだから出てこなくても無理はない。大辞林などでは浦西と書いて、秋、冬に吹く北西風とある。どうやら山陰地方で晩秋から吹くにかけて吹く、西および北西風のことをいうらしい。
冬の日本海へ行くと信じられないような波が立ち、肌を刺す雪交じりの北西風が吹く、これぞウラニシかと思うのだが、どうもそれだけでもないようだ。つまり、ウラニシとは山陰の海岸縁に特有の風かと思ったのだが、海岸縁だけではなさそうなのである。
綾部市史上巻の地理編、気候の性質に、この地方の風として「アイノカゼ」「ニシカゼ」「ウラニシ」と書いている。
「アイノカゼ」は暑い夏を過ぎて涼しさをもたらす秋口の風である。年間を通じて吹いている西寄りの風が北に廻り、寒さと吹雪を運んでくるのが「ウラニシ」である。
アイノカゼにせよウラニシにせよ、本来は風と生業が直結している海岸線での事なのだと思っていたが、実は海からいくつも山を越えた内陸であっても生きているのである。これは予想外のことだったのだが、はたしてこの丹波の地に「ウラニシ」という言葉が残っているものなのか疑わしい。しかし、この冬を象徴する「ウラニシ」が好きだというのは一体どのような心境なのだろう。つづく
【作業日誌 12/2】
ジャガイモ、ヤーコン収穫終了
夏野菜を完全にかたづける。
ジャガイモは植え付けが遅くて最悪、ヤーコンは豊作。
【今日のじょん】気温は随分下がってきたが、天気は良くて九時半頃になると霧も晴れてまぶしいほどの陽光が射す。散歩して、一遊びして、朝飯食って、仕事前のこの一時が至福の時である。なにっあんたのことかいなって?じょんのことですよ。