hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

瀧山寺(愛知県岡崎市)

2014-08-22 05:00:00 | 日記
古刹を巡る その22。今回は瀧山寺、場所は愛知県岡崎市にある1300年の歴史を持つ古刹で天台宗の寺院である。『瀧山寺縁起』によると天武天皇の時代(7世紀後半)に役行者がこの地に堂を建て吉祥寺としたのが開基と考えられる。一旦、廃れたが12世紀初頭に比叡山で修行をした仏泉永救上人がここに霊場を立て熱心に布教をして再興させた。また、荒廃したが江戸時代に亮盛上人が再興、3代将軍家光に見出され412石の寺領を得て、1646年には東照宮も造営され、明治に寺領を没収されたが、その後現在に至っている。

このお寺を知ったのは運慶仏を調べていたときに運慶の作品と言われている仏像は鎌倉を中心とした関東(称名寺など)と奈良・京都を中心とした関西に分かれており、それ以外はこの瀧山寺にある三尊像(聖観音、梵天、帝釈天)のみ(個人所蔵は除く)ということに気づいたからである。朝5時に東京を出発、丁度宝物殿の開く10時に到着した。夏休みだが、小生のような物好きはあまりいないらしく、駐車場も小生のプリウスが止まっているのみ。宝物殿まで短い坂を上がったが、予想通り宝物館には鍵がかけられたまま。しかし、これを押してくださいと書いてあるボタンを押すと住まいのある棟から背中に汗染みを作った作務衣を着た住職がやって来てくれた。そして東京から来たというと親切に宝物館を開けて下さり、じっくり見ていってくださいと説明していただいた。その話によるとこの三尊像は寺の倉庫に眠っていたものだそうだ。鎌倉時代に当山住職の寛伝上人(頼朝従兄弟)により頼朝の追善のため、惣持禅院(現在は廃寺)が建立され、その本尊として作られた。そのため身の丈が聖観音は頼朝と同じサイズに作られたものである。そしてその証拠となる古文書が発見され、昭和56年に重要文化財に登録され、一躍この寺は有名になった、とのことである。


宝物殿にはこれ以外に春に行われる鬼祭りの面や十一面観音(鎌倉時代、これは素晴らしい)などが残されてあり、興味を引くものであった。住職には他にもいろいろなお話を頂き、最後に見送って頂いた。

宝物殿を出て裏の坂を上っていくと立派な三門があり、さらに本堂(重要文化財)。奥には岡崎東照宮と神社とお寺が仲良く建てられている。特に本堂の茅葺き屋根は素晴らしい。また、鳥居から本堂が望める姿は日本らしくていい風景である。


しばらくすると近所の人達が草取りをするのか大勢で見えていてお寺が地域から大切にされていることを実感。しかし、みうらじゅんがこの仏像を痛く気に入ったとのくだりは面白かった(みうらじゅん氏の見仏記の表紙にこの仏像が載っている)が、よく見ると梵天や帝釈天のお顔は京都東寺にある国宝のモノとソックリで、なるほどこれだけのものを間近で、しかも裏からも見られたのはよかった。ただ、江戸時代に彩色されたことがアダになり国宝ではないが、作られた頃このように鮮やかだったのかを見るのもいいなと感じた。