hokutoのきまぐれ散歩

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豊川稲荷(愛知県豊川市)

2014-08-26 05:00:00 | 日記
古刹を巡る その23。今回は先日行った豊川稲荷(愛知県豊川市)について。本題に入る前になぜ『豊川稲荷』が古刹即ち寺院であるのかについて疑問を持つ方も多いかも知れない。というのは通常『稲荷』は神社というのが常識と思われているからである。小生も豊川稲荷をお参りするまでは、それこそ京都の伏見稲荷神社を始め、家の近所の久我山稲荷まですべてが神社に祀られているものと確信していた。そして、そのお使いが狐であると…。しかしここはれっきとしたお寺なのだ。
そこでそもそも稲荷の起源について探ってみる。その起源の物語は山城国風土記に記述荒れている。その抜粋であるが、秦氏(帰化人と考えられる)の祖先である伊呂具秦公(いろぐのはたのきみ)は富裕だったが、それをおごって餅を的とした。するとその餅が白い鳥になり山頂に飛び去った。そこに稲が生えたためそれが神名となったが、伊呂具がその稲のもとに行き、かつての過ちを悔いて、そこの木を根から抜き、自宅に祀った。これが稲荷の起源で、そのため稲生り(いなねり)が転じて稲荷になったもの。このため秦氏は稲荷神を大切に信仰したと考えられる。その後、秦氏はその勢力を増し、京都の東寺建立の際にも木材を提供するなどした経緯から稲荷神は東寺の守護神とみなされるに至った。一方、東寺では真言密教のダキニ天に稲荷神を習合させたこともあり、真言宗が広まるとともに稲荷信仰も広がったのである。
つまり神仏習合の状況で時は流れたが、明治の神仏分離の際に多くの稲荷社は神を祀る神社となった。ただ、一部はダキニ天を本尊とする寺になったというのが寺にも神社にも『お稲荷さん』がある経緯であり、伏見稲荷や祐徳稲荷は前者で豊川稲荷は後者に当たる。


豊川稲荷の正式な名前は『円福山 豊川閣 妙厳寺』であり、先ほどの長い前置きのとおり曹洞宗の寺院である。しかし、神社ではないものの商売繁盛の神として知られており、境内には鳥居がある。寺であるため本尊千手観音が有り、ダキニ真天と呼称している。寺自体が建てられたのは1441年、現存する諸堂は江戸時代のもの。ただ、狛犬の代わりに狐がいるのはなんとも稲荷らしい。



とにかくこの寺には狐にまつわるものが多く、霊狐塚といって1000体以上の狐の石像が置かれている塚もある。


しかし、山門もしっかりあり、この縁起を小生が聞いたお坊さんも寺と神社の関係はなかなか説明するのが難しいとのことであった。
なお、あまりお寺自体とは関係ないが、郵便趣味の小生として入口近くにある最祥殿という建物の前に置いてある赤い懐かしいポストはいま日本で使われているポストの中で最も古いというのは新たな発見で、確かに字は左からでなく、右から『便郵』と書かれていた。


その後、参道を歩いたが、昼下がりということもあり人がほとんどおらず寂しい状態だった。それにしても大駐車場から寺は遠いので皆様行かれる時はご注意頂きたい。とにかく、発見の多い豊川稲荷であった。