『気まぐれ酒蔵散歩 その7』今回は中埜酒造。所在は知多半島の半田市にあり、銘柄が『国盛』。近所には中埜酢店(ミツカン)があるが、蔵の人に詳細を聞くとミツカンがお兄さん、中埜酒造は弟さんと社長が兄弟同士のようであるが、いまはミツカングループには属していない。元々は1844年個人創業の蔵で江戸時代は藩が財政対策として酒造を奨励していたこともあり、知多半島には多くの酒蔵があり、そこから派生して味噌や醤油、酢など醸造業に携わる人が多くいたらしい。当時は灘五郷が有名であったが、防腐剤がない当時に大阪から潮岬周りで樽廻船が行くより知多半島から行くほうが数日早かったこともあり、江戸の住民からは支持されていた。しかし、明治維新後体制が変わると小さな蔵は醸造が難しくなり、大きな蔵に集約されていき、いまのすがたになったとのことである。
当社はその後1909年に法人化し、1990に今の名前になった。いまは本社そばで『国盛酒の文化館』という博物館を開き、中で当時からの酒造法や試飲、即売などをしている。当日は10時過ぎに博物館に到着、中で酒造りの方法や当時の様子などを丁寧に説明を受け、さらに実際の酒造りのビデオを見せてくれた。そしていよいよ試飲だが、当然ドライバーのため女房の舌に全てを託し、『生酒 活性にごり』と『純米吟醸 酒の文化館ラベル』の2本を購入した。
同じように見学に訪れる人も多く、まだまだ日本酒も捨てたものではないなあと一安心。試飲は諦めたが、勧められたので酒の少し入ったケーキを試食、まさに日本酒の入ったサバランのようでたいへんうまかった。
旅行を終え、つい先日、生酒を飲んだが、爽やかな少し甘みのあるなかなかの酒であった。
当社はその後1909年に法人化し、1990に今の名前になった。いまは本社そばで『国盛酒の文化館』という博物館を開き、中で当時からの酒造法や試飲、即売などをしている。当日は10時過ぎに博物館に到着、中で酒造りの方法や当時の様子などを丁寧に説明を受け、さらに実際の酒造りのビデオを見せてくれた。そしていよいよ試飲だが、当然ドライバーのため女房の舌に全てを託し、『生酒 活性にごり』と『純米吟醸 酒の文化館ラベル』の2本を購入した。
同じように見学に訪れる人も多く、まだまだ日本酒も捨てたものではないなあと一安心。試飲は諦めたが、勧められたので酒の少し入ったケーキを試食、まさに日本酒の入ったサバランのようでたいへんうまかった。
旅行を終え、つい先日、生酒を飲んだが、爽やかな少し甘みのあるなかなかの酒であった。