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『メトロに乗って』その41。今回は東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅の周辺を歩く。実は小生に取って46年前から3年ほどこの駅が最寄り駅(その後1974年に有楽町線護国寺駅ができた。)であった。今から46年前の話をしても仕方がないが、当時はまだ16系統大塚駅〜錦糸町駅の都電が春日通りをコトコト走っていて、まだ、駅近くには東京教育大学があった。
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茗荷谷駅は後楽園駅同様丸ノ内線では珍しい地上駅でトコトコ階段を上がると地上に出る、普通の私鉄の駅のようである。ただ、駅全体が再開発され、昔あった2階建ての教育ビルとは雲泥の差がある。目の前には紫山堂という薬局があるが、これは変わらない。目の前の信号を渡ると当時に比べて遥かにビルが高くなっている。因みにこの茶色のビルは昔の女子アパートの跡に建てられたものである。
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向かいに渡ると隣にはかつて東宝パーラーがあった建物が空き家のまま残り、右に曲がると筑波大学と放送大学に変貌した東京教育大学の跡がある。その奥は今は教育の森公園として区民に解放されている。
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駅前まで戻り、大塚駅駅方面に歩くとつい最近まであった都バスの車庫が広大な更地になっている。
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その先には小学校の同級生の実家が経営していた食品店や大盛り焼きそばで有名だった天米、食堂のたぬきなど商店が並んでいたが、これも立派なビルに変貌。わずかにバンビという洋食屋と中華料理店がビルの中で生き残っている。
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さらに進むと跡見学園、茗渓会館。その先には古谷一行の実家である写真店があったはずだが、見当たらない。向かいの窪町小学校は見違えるほど新しい校舎、今年90周年らしい。
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次の角を左に曲がるとお茶の水女子大や筑波大附属などもあるが、その手前の教育センターを潰して音羽中学がつくられた。
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実は小生が卒業した文京七中と江戸川橋近くにあった文京五中が生徒数の減少から合併してできた新設校である。それにしても母校がなくなるのは寂しいものである。
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少し戻り、跡見学園の裏門を右に曲がると拓殖大学国際教育会館があるが、これもかつては外務省研修所。外から見ると寺院のような歴史のある建物は変わっていない。
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そしてその先を左に曲がると貞静学園、さらに拓殖大学の正門と続く。
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ノスタルジックに町巡りをしたが、学校がひしめき合っている地区は変わらない。ただ、かつて住宅地や空き地だった土地を学校が買いましてさらにその規模が大きくなっているような気がした。今や学生街というより学校とビルだけの町であり、かつてののんびりした茗荷谷はどこに行ってしまったのであろう。これならばお茶の水の方が遥かに面影を残している。