hokutoのきまぐれ散歩

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井の頭線トリビア(3)

2016-10-18 05:00:53 | 日記

『鉄道シリーズ』その156。井の頭線トリビア第三弾である。
トリビアその5、『井の頭線は朝のラッシュで先頭2車両が後ろ3車両に比べて大混雑するが、これはなぜか?』これは他の私鉄各線にもよくあることだが、ことに井の頭線は顕著である。その理由は単純で乗り換え駅である明大前、下北沢、渋谷は全て前側に改札口があるからである。(後ろ側にあるのは吉祥寺のみ、ちなみに改修中の下北沢駅は多少前後に移動することがある。)

それならば他の駅の改札口はどうなのか。(渋谷駅方向に向かって)井の頭公園、三鷹台、池の上、浜田山は後ろ側。久我山、富士見が丘、高井戸、西永福、永福町、新代田、東松原は真ん中、神泉は前側。一方、乗り換え駅以外で2つ改札口があるのは駒場東大前駅のみである。なぜ駒場東大前駅だけ2つの改札口があるのか。

これは駒場東大前駅の設立に絡んでいる。周辺にはかつて東大前と駒場の2つの駅であったが、1965年に駅間が近いという理由から両駅のほぼ真ん中に新駅を作ったものである。つまり、それぞれ元の駅に近い方に改札口を作ったため前後に改札口がある。ちなみに井の頭線開業時以来、廃止になった駅はこの東大前と駒場の両駅のみである。

トリビアその6。『井の頭線開業時、京王線との乗換えは同じ駅では行われていなかった。』
1913年に京王電気軌道が開業した頃は明大前という名前でなく、火薬庫前(1917年に松原に改称)駅で今から300メートルほど下高井戸寄りにあった。一方、1933年井の頭線開業時には西松原駅(現在の明大前の位置)として開業し、1935年に明治大学予科ができたことから明大前に改称した。(ちなみ駅名にあった『火薬庫』とは江戸時代に幕府の煙硝蔵があったことに由来、その後も日本陸軍が管理していた。関東大震災後、被災した築地本願寺の墓地が跡地に移転してきている。)

このため、京王線から帝都電鉄への乗換えは松原駅で下車して、300メートル歩き、西松原(明大前)駅で帝都電鉄に乗換えたのである。現在のように一つの駅になったのは2年後の1937年のことである。