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『江戸の坂、東京の坂』その79。今回も前回に引き続き目白台付近の坂道を歩く。豊坂を登るとまだ目白通り、日本女子大の前に出る。これを左に曲がり、しばらく行くと護国寺からくる不忍通りとの交差点がある。
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その少し手前を左に曲がると急坂となるが、これが小布施坂。細い坂道だが、途中から階段となる。坂の名前は明治時代にこの辺りに屋敷を構えた小布施新三郎の苗字からきている。
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元に戻り。少し先を左に曲がると二股になり、これが共に急坂となっている。(真ん中の三角地帯には以前から廃屋がある。)
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向かって左側にある方が『日無坂』、日陰の坂から付いたのだろうが、この坂が文京区と豊島区の区界になる。
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もう一つの右側の坂道が『富士見坂』、名前はかつて富士山が望めたからだろう。今はビルが建って見えないが、ある本には東京では数少ない富士が見える富士見坂と書かれていたので最近までは見えたのかもしれない。
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この富士見坂を下るが、中々いい風景である。坂を降りてすぐに右に丁度V字のように登る坂が『稲荷坂』。坂の途中には小さな稲荷が今もある。
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坂の下の道を少し歩くと目白不動金乗院の前に出る。これを右に曲がると坂道となるが、この坂道が『宿坂(しゅくざか)』。
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中世には『宿坂の関』があったとされるが、この坂道を言っていると思われる。宿坂は長い坂で昔は樹木が生い茂り、狸や狐が飛び跳ねて人々をたぶらかしたといわれている。
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音羽の谷からの坂道もきつい勾配の坂道が多いが反対の早稲田側に向かう坂道も負けてはいない。富士見坂に着いた頃には日が傾いて太陽がよく見えたが、ここからの眺めは素晴らしかった。