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流鉄小金城址駅は橋上に駅舎があり、これを左手に降りる。近くには信金の支店やレストランが数軒あるくらいで駅前を右に出て少し行くと田園風景となる。左側に少年野球のグラウンド、これをは左に曲がると城址のような平らな地形が現れるがここには『大谷口馬屋敷緑地』と書かれている。
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多分この辺りには馬屋敷があったのだろう。小金城は1537年に高城胤吉により築かれたもので千葉氏の家臣であった高城氏が3代にわたり居城とした。その後、豊臣方に攻められ開城、徳川家康の五男武田信吉が入城したが、佐倉城主となり出て行った跡は廃城となっている。
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城址はこの馬屋敷緑地に沿ってしばらく行くと右手に公園として残されている。大谷口歴史公園の入口から階段を登ると金杉口の虎口門、その先には土塁の跡がある。さらに階段を登ると広場となっている。
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少し低くなっているのが畝堀の跡、また、広場は小高くなっていて周囲が見通すことができる。
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少し戻ると屏風堀の跡、多分、この公園は1つの櫓跡のようである。広場にあった航空写真と照らし合わせるとかなり広い城であったが、現在はほとんどが宅地開発されてしまっているようで全体はよくわからない。
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階段を降りると鬱蒼とした森ばかりが目立つ。見にくる人も少なく、ひっそりとした城址であった。周囲は最近宅地化されつつある農地といった風情で小春日和の中を駅まで歩いた。
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