『鉄道シリーズ』その280。昭和39年9月の時刻表で机上旅行をするのももう4回目。現在では寝台車というものは臨時列車を除きほとんど全滅した。これは新幹線網の整備、スピードアップ、飛行機運賃の低下など色々な要因はあるが、定期列車で残っているのはサンライズ出雲(東京〜出雲市)、東京〜岡山を併結して走るサンライズ瀬戸(東京〜高松)の2つしかない。
ところが昭和39年9月の頃には東海道本線だけで霧島、雲仙・西海、高千穂、さくら、みずほ、あさかぜ、はやぶさ、出雲、伊勢・那智、安芸、銀河、能登、すばる、瀬戸、明星、ぶんご・筑紫、彗星、あかつき、月光、金星、大和と24の列車・電車に寝台車が併結されていたのである。
さらに驚くべきは当時は普通列車(当時は愛称もない)にも寝台車を併結していたものも複数ある。まずは、大阪発2156の浜田行普通列車(717レ)、寝台車は出雲市までB寝台を併結している。大阪を出て、福知山線で福知山0049、そこから山陰本線に入り、ほぼ全駅に停車しながら上井(現、倉吉)0540、松江0817、出雲市0919、ここで寝台車を切り離し、浜田には1232に到着する。
九州にも2本。一本は門司港発2234長崎行(411レ)、これには2等寝台車を併結、鹿児島本線を行く。博多0040、鳥栖0132、ここから長崎本線に入り、肥前山口0251。ここから佐世保線に入り、早岐0415、さらに大村線に入り、諫早0551、長崎には0653に到着する。
もう1本が門司港駅2125発日豊本線回りの西鹿児島行(511レ)。これにも2等寝台車が併結されていて小倉2150を経由、日豊本線を延々と走る。大分0129、佐伯0307、宮崎0604、西鹿児島には0940に到着する。
もう1本が北海道を走る。小樽駅2059発釧路行(421レ)で2等寝台車を併結している。はじめは函館本線を北上、札幌2159、滝川0027。ここから根室本線に入り、富良野0219、帯広0555、釧路0938に到着する。
その後の改正で多少の経路は変わっているが、福知山線〜山陰本線の夜行普通列車には『だいせん』、門司港〜長崎は『ながさき』、門司港〜西鹿児島は『みやざき』、小樽〜釧路は『からまつ』という愛称をつけられた時期もあった。(寝台券を発行するのに名前がないと不便であるためらしい。)
私が高校生の頃、貧乏旅行をしていた時は『ながさき』や『みやざき』、ほかに鹿児島本線経由の急行かいもんなどに乗り、当時の九州均一周遊券では急行の自由席までは乗ることができたため、宿代わりに使わせてもらった。(もちろん、寝台車ではなく、普通車利用)とにかく座席が硬く、腰が痛くなるのが難点で長崎駅や西鹿児島駅のホームにある洗面台で顔を洗ったことを思い出す。
今の若者にはなぜそんなことまでしてと言われるかもしれないが、未知の街や駅に憧れていたのかもしれない。