『東京の坂、日本の坂』その167。今回は毎年恒例の『干支の坂』を歩いてみた。来年の干支は『うさぎ』、都内にも動物の名前が付いた坂道は結構ある。きつね坂、狸坂、鼠坂、牛鳴坂、馬坂、へび坂などがそうだが、残念ながら都内には『うさぎ坂』はない。
調べていくと川崎市高津区に『兎坂』があり、早速訪れてみた。田園都市線溝ノ口駅で下車、南口に行く。
県道に沿って西に向かって5分ほど歩くと『久本薬医門公園』がある。まずはここに寄り道。
ここは明治22年(1889年)に近隣8村が合併し、高津村となり、初代村長に医師の岡重孝氏が就任した。この辺りは岡家の持ち物であったが、平成にはいり、道路が計画され、岡家が土地を供出した際に道路とならなかった南西部を公園として平成15年に整備したものである。
公園内には薬医門と蔵が残されている。薬医門は矢の攻撃を食い止めるとも、医師の家の門に使われていて閂で門を閉めた後も木戸から中に入れるようにした門とも言われている。
門の前には庚申塔、慶應4年に作られたもので『右面、影向寺薬師 加な川道』『左面、溝口府中道、庚申塔、小杉川崎道』と彫られている。
蔵は江戸時代後期のもので関東大震災では壁が剥がれ落ち、太平洋戦争の空襲では屋根が燃えて無くなるなどの被害は受けたものの、今もちゃんと残っている。
門の前の道を行くと道が二又に分かれて真ん中に道祖神が祀られている。右に登る坂が『兎坂』、由来はウサギが逃げ込んだ坂とのこと。
何とかバイクが行ける程度の細い坂道で鬱蒼とした木の間を登る。左に少し曲がったあたりに石製の境界があり、よく見ると『陸軍』とあった。
さらに登ると人1人しか歩けない道幅になり、突き当たる。右に行くと小さな神社があるようだが、扉に鍵がかかり、中には入れない。
左に行くと階段になり、少し開ける。その先は蛇行する坂道の途中に出たので已む無く右に曲がる。
マンションが立ち並んでいるが、左側に崖があり、それに沿って下り坂となる。これが『馬坂(まさか)』、勾配が26%とかなり急である。
グネグネ曲がりながら降りて行くが、眺めもいい。こんな急坂の斜傾地でも駅から近いからか、左右にマンションが建っている。歳を取ったら登り下りできなくなるだろう。
降って行くと先ほどの道祖神のところに出た。干支でもないとなかなか来ない坂道、まだ午年は先だが、馬坂も発見した。