hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

秋葉総本殿 可睡斎のお雛様

2024-02-27 12:35:00 | 日記
昨年、静岡県にドライブに行った際にお邪魔したお寺で飾られていたお雛様。なにしろ32段1200体のお雛様がほぼ天井まで飾られていた。こんな壮観は見たことがありません。どうやって飾ったのだろうと感心してしまいました。






ハート型に飾られていたお雛様も素敵でした。もしお時間があれば行かれるといいですよ。


関東三十六ヶ所霊場巡り①〜第20番深川不動堂

2024-02-27 05:00:00 | 霊場巡り
関東三十六不動霊場巡り①。霊場巡りというと皆思い出すのは四国霊場八十八ヶ所巡り、私はまだ巡ってはいないが、これは退職後の楽しみに取っておいてある。しかし、大阪に赴任していた時にお取引先の方に『こちらにいるうちに西国三十三所霊場巡りはせんとあかんわ』と言われて始めたのが1998年、西国三十三ヶ所巡りは大阪にいるうちに結願。

さらに2002年に東京に戻り、坂東三十三所霊場巡り、秩父三十四所霊場巡りを始め、2004年に遂に日本百観音を結願。それから気がつけば20年が経過していた。

20年の早さに驚くとともに、区切りよくそれではと思い立ち、今回『関東三十六不動霊場』を巡ることにした。不動明王は大日如来の化身とも言われ、人を煩悩より救い出すとも言われている。



まず最初にと選んだのは深川不動尊、正式には成田山東京別院深川不動堂、第20番となっている。



地下鉄東京メトロ門前仲町駅を降りて出口を出ると目の前に入り口の赤い門がある。ここから参道に入ると土産物屋や漬物屋、酒屋など渋い店が並ぶ。



参道の中に永代寺が右手に現れる。このお寺は江戸時代には富岡八幡宮の別当寺として栄えた名刹であった。しかし、明治に入り、廃仏毀釈により廃寺となり、その跡に深川不動堂や深川公園がつくられた。
1896年に旧永代寺塔頭の吉祥院が永代寺の名を引き継いだものである。(ちなみに門前仲町の門前とは永代寺のことである。)
深川不動との関わりは以下の通りである。江戸時代初期に歌舞伎役者市川團十郎が不動明王が登場する芝居を打ったことから成田山の不動明王を拝観したいという江戸の人の要望が強くなった。これを受け1703年に永代寺で第一回の出開帳が開かれ、大層な人が集まったのである。その後も江戸時代には12回行われたのだが、廃仏毀釈後永代寺は廃寺になるも不動明王の人気は高く、1878年に成田不動の分霊を祀り、深川不動堂が設けられた。



つまり、成田山の東京出張所のようなものだが、本堂は関東大震災、東京大空襲で2度焼失しており、今の本堂は千葉県印西市の龍腹寺の堂を移築したもの。旧本堂には大きな『お願い不動明王像』が安置されている。



旧本堂でお参りをしてお堂の中に入ると内仏殿1階に『阿の橋』がある。これは梵字の始まりで全てのことの始まりを意味する石橋で真ん中に阿の梵字がライトアップされている。

これを渡ると十二支に合わせた観音様が並び、自分の干支の阿弥陀仏に手を合わせた。新たに作られた壮大な護摩を焚く本堂はまるで舞台のようで圧巻であった。



旧本堂を出ると左側に梵字がたくさん描かれた本堂の外壁を見ることができる。その横に総合案内所も完備されている。



さらに護摩木授与所の隣に御朱印を頂けるところがある。ここで新たに始める関東三十六霊場巡り専用の朱印帳とそれにはるお不動様と童子の御影を求める。



話を聞くと36ヶ所の詳細が書かれたガイドブックもある言われ、もちろん購入した。朱印帳はバインダー式になっていて御朱印の裏に御影を貼っていく方式であった。



最後に手水舎の前を通ると花がたくさん浮いていて花手水(はなちょうず)となっており、これを見て深川不動堂のお参りが完了した。古いお札を納めるところにもお不動様がいらっしゃり、幾体の不動明王像があるのだろうと思う。



これから三十六ヶ所を巡るのだが満願はいつになるのだろうか。それまで健康で行きたいものである。