『東京の坂、日本の坂』その197。今回の坂巡りは泉岳寺駅周辺にある坂道を巡りである。泉岳寺駅は都営浅草線と京急本線が乗り入れていて京急本線の終点、また都営浅草線は西馬込駅まで続く中間駅だが、都営浅草線は直接京急本線に乗入れるものも多く、終着駅のイメージは少ない。
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駅を降りると泉岳寺に向かう坂とは反対側に高輪ゲートウェイ駅(山手線)が開業し、駅前に大きなビルが建設中、以前とは大きく風景が変わった。
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その向かい側には稲荷神社があり、ビルの1階が入口、中二階が社務所、2階が本堂となっていてここから第一京浜を挟んだ反対側がよく見える。
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階下に降りて泉岳寺方面に歩くと坂の上あたりに大きな石に『四十七士』と刻まれた大きな石がある。
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さらに中門、忠臣蔵グッズを商う商店が3軒ほどある。さらに右手には大石内蔵助の像がある。
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この銅像は有名な浪曲師桃中軒雲右衛門が寄進、大正10年に除幕された。内蔵助は連判状を手に東の方向を見ている。
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本来ならば3つ目の門が山門、大きく泉岳寺と書かれた額が目を惹く。山門は1832年に再建されたもので2階には十六羅漢が安置されているとのことである。
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本堂は太平洋戦争で焼失、1953年に再興されたもの。また、正面には『獅子吼』という額が飾らせている。ちなみに獅子吼とはお釈迦様の説法のことを指す。ただ、今回は寺を訪ねる訳ではないので四十七士の墓参りはせず、元に戻る。
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中門を出て、右に曲がる細い道を歩き、2本目を右に曲がるとだんだん上り坂となって行く。この坂が(高輪の)『幽霊坂』である。初めは緩やかだが、急に勾配が激しくなり、また左右に曲がりながら続く。最後は22%という急な坂道となり、高輪幼稚園の前に出る。
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高輪台から泉岳寺に抜ける道で今はマンションの中を通る道だが、以前は寂しい道で幽霊が出そうな場所だったのであろう。
少し歩くと少し広い通りに出る。右から左に下る坂道で左側には石垣が積まれているが、この坂道が『桂坂』である。名前の由来は蔓が蔓延っていたという説、かつらを被った僧が品川からの帰途にこの場所で亡くなったという説などがあるが、真実はわからない。
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桂坂を少し下ると右手に『高輪館』という洋館が出て来る。高輪館は元東芝山口記念館と呼ばれていた洋館で大正15年に朝吹常吉の私邸としてヴォーリーズの設計により造られた。但し、中には入れず遠くから眺めるのみであった。
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これを右に曲がると道は左に曲がり、急な下り坂となる。さらに道は乗用車は通過できないほど細くなる。この坂が『洞坂』、案内板によるとこの辺りの字の名前が洞村だったからである。
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洞村の由来はこの辺りで昔法螺貝が出たという説、窪地だったからとする説などあるとのことである。(以下、次回)
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(洞坂下から高輪館を見上げる)