『古墳と遺跡巡り』東京編⑥、昼食後は『亀塚古墳』に向かう。再び携帯地図を頼りに歩くが10分ほどで古墳に到着。亀塚古墳公園となってはいるが、その姿は宅地開発が大きく変わり、残された徳富蘇峰揮毫の石碑のみくらいしか確認できるものはない。
説明板によると『5世紀末〜6世紀初頭に築造された帆立貝式前方後円墳で形状が亀の形に似ていたことから亀塚と名付けられた。』とある。昭和26年の調査では銅鏡や鉄剣、馬具などが発掘されていて金堂製金具に見られる人物や動物の像が高句麗の古墳石室内の壁画に似ていることから渡来人との関係が考えられている。
しかし、江戸時代後半から崩され始め、円墳部分も住宅地となっていて墳丘は削られ、殆ど残されておらず、やはり石碑のみであった。せっかくの帆立貝式前方後円墳は何も見れず、古い写真のみであった。
5分ほど歩き、山田橋の交差点に到着。すぐ横にあるむいから民家園に寄り道をする。
『むいから』とは狛江市の民家を葺いた麦わらの方言。小田急の複々線化で取り壊されることになった旧荒井家住宅主屋を10年以上の復元事業を経て2002年に開園。元の場所は狛江駅前の泉龍寺そばにあったとのこと。
中に入ると大きな鯉のぼりがはためき、隣には多摩川で使われていた川舟や屋形船も展示されていてとても東京とは思えないのんびりした雰囲気が残されている。
(川舟、屋形船)
他に旧高木家長屋門もある。こちらは1859年に作られたもので2010年に移築、狛江市最後の長屋門である。
新井家住宅の中には立派な武者飾りがあり、特に兜飾りは大きく、大リーグで大谷選手が被った兜を彷彿させる。
(むいから)
座敷では若いお母さんが畳の上で幼い男の子と遊んでいた。座敷に座ると気持ちの良い風が通り、太陽の元歩いてほてった身体には心地よかった。(以下、次回)