『鉄道シリーズ』その290。スタンプ散歩もいよいよ大詰め、今回は中央線に乗ってまずは阿佐ヶ谷駅まで行く。
阿佐ヶ谷駅は改札口は一つだが、出口は北口、南口、東口と分かれている。スタンプは南口側に。
スタンプは『佐』の文字に七夕祭りの飾りとジャズフェスのトランペットを添えた意匠である。
せっかく来たのだからと北口にまわり、けやき通りの紅葉を鑑賞。ただ、これだけの葉っぱが落ちたらさぞかし掃除が大変だろうとつい考えてしまう。
再び電車に乗り、高円寺駅に向かう。甲武鉄道が中央線を敷設した当初は中野駅と荻窪駅の間に駅はなく、最初は馬橋に駅を造ろうとした。しかし、反対が出て、賛成した阿佐ヶ谷に駅を建設することになったが、駅間が遠いため、高円寺駅を作ったらしい。その後の発展は関東大震災後に多くの住民が便利な高円寺駅周辺に移住、駅を作らなかった馬橋は地名さえ残っていない。
高円寺駅のスタンプは『寺』の字をベースに阿波踊りの傘、楽器屋、気象神社のてるてる坊主があしらってある。
せっかくなので駅名になった『宿鳳山高圓寺』とスタンプにある『気象神社』を訪ねる。南口を出て、左手に坂を降りていくと左手に氷川神社に到着。氷川神社は1189年源頼朝が奥州征伐の際に安藤藤九郎盛長に命じて作らせたもので明治には村社となった。
また、気象神社は1944年旧陸軍の気象部(当時の馬橋4丁目)に造営された社で気象の的中を祈願するため作られた。戦後氷川神社の境内に遍座し、今でも多くの人の信仰を集める。
祈願の際にてるてる坊主を吊るす習慣があり、色とりどりの小さなてるてる坊主が吊るされていた。今では気象予報士の合格祈願などにも訪れる人が増加した。
次に5分ほど歩くと『宿鳳院高圓寺』は1555年に開山された曹洞宗の寺院で徳川家光との知遇があり、村の名前も高円寺村とした。
本堂の彫刻が素晴らしい。ただ、本堂の入口は閉められていて中の様子はわからなかった。(以下、次回)