昨年暮れに年賀状を書こうとして送られてきた喪中葉書の数の多さに驚かされた。もちろん本人ではなく、主にご両親のご不幸が殆どだが、それでも20枚ほどになる。さらにショックな出来事として学校時代の同級生に何気なく年賀状を出したら、返信にお母様から喪中連絡をもらい、彼が前年の夏に亡くなったことを初めて知ったこと。しかも、私と生年月日が全く同じ友人なのだ。
毎年何気なく書いている年賀状だが、年賀状を自分の意思で初めて書いたのは1966年、正確には1965年の年末のことである。なぜ覚えているかというと年賀切手が馬の民芸品で、この小型シートが年賀切手コレクション第一号のためである。また、意匠は図工の授業で作った干支の馬の版画を年賀葉書に刷って送ったのだが、名前の『し』が反対を向いていて恥ずかしかったことだけ覚えている。それから今年で55回目、早いものである。
2020年元旦に頂いた年賀状を読んで、顕著だったのは、かつての上司や取引先でお世話になった方から高齢のため、年賀状を卒業するとか、今年の賀状が千秋楽だとかが増えてきたこと。その一方で30年以上前のお取引先の方で、もちろん年賀状の付き合いしかない人からもこまめに頂く方も多くいる。その年賀状を貰うたびに彼との良い思い出に浸り、今年の健在を慶ぶのも年賀状の醍醐味である。
私はピーク200枚以上書いていた年賀状も、今はせいぜい170枚くらい、さらにその数も減る一方であるが、毎年面倒だと思いつつも『干支の坂』や『干支の駅』などを探し歩いたりして、翌年の年賀状の題材を考えるのも楽しみの一つとなっていることに気がついた。(因みに今年の年賀状の写真は鼠坂、子神社など4種類である。)
まあ、私の子供の代はせいぜい十数枚しか書かないというから年賀状の制度自体も無くなってしまうのかも知れないが。私自身はもう少し続けて行きたいと感じているが。