『パスシリーズ』㉜、今回は日本橋から南千住駅北口まで東42系統に乗ってみた。東42系統と言っても全部で5種類ある。今回乗ったのは【東42-1-1】東京駅八重洲口〜南千住駅西口なのだが、ほかに【東42-2-1】東神田〜南千住駅西口【42-1】東京駅八重洲口〜南千住車庫【東42-2】東神田〜南千住車庫【東42-3】浅草雷門〜南千住車庫と細かく分かれている。
路線開通は1971年3月で『東京駅八重洲口〜南千住』都電廃止後の代替路線。それ以前は都電22系統(南千住〜通3丁目、通3丁目は現在の日本橋3丁目)であった。全線では7.147kmである。
今、中央通りを走る都営バスの路線はこの1路線のみで日中は1時間に1〜2本程度しかない。
「日本橋」バス停はCOREDO日本橋の斜め前、かつては西川ビルの向かい側にある。
始発「東京駅八重洲口」の次のバス停だが、空席は優先席1つのみ。乗ったのは私と東南アジアの人1人の2人のみであった。(1624発)
次は「日本橋三越前」、ここには、お買い物帰りのおばあさんが、列をなしている。若い(?)私が座っている場合じゃないと足の悪いご夫婦のお爺さんに席を譲る。するとおばあさんの方がいたく感謝してくれる。
中央通りは次の「室町3丁目」までで右折、国道6号線にはいり、昭和通りを越える。「本町3丁目」の次は「小伝馬町」、地下鉄日比谷線に乗り換えられる。つい先日はべったら市で賑わっていた。
さらに乗客はどんどん乗ってきて、ようやく「小伝馬町」「馬喰町」で数人降りたが、乗る人の方が多い。ただ、ここで幸い私の前の人が立ち、席を確保。何しろ終点までで先は長い。
「浅草橋」は交差点にバス停があり、JR乗り換えは次の「浅草橋駅前」が便利。通りも広くなるが、車の量も増えてくる。
「浅草橋駅前」ではどっと降りたが、同じくらいの人が乗り込む。並行路線で都営浅草線があるのだが、駅間が遠く、階段が多いのでお年寄りにはバスが人気である。ところで浅草橋駅前の『紐』とのみ書かれた看板は迫力満点。
「蔵前1丁目」「蔵前2丁目」「蔵前駅前」も乗る人が多い。「駒形橋」バス停からは有名なアサヒビールのビルや東京スカイツリーがよく見える。
「東武浅草駅前」では半分ほどの乗客が下車、乗るお客さんもいるが少しは車内が空いた。ここで席を譲ったおばあさんも下車、降りる時も御礼を言われ恐縮する。次は「花川戸」、粋な名前のバス停である。
右手にちらちら隅田川が見える。「浅草7丁目」「今戸」でも多くの人が降りる。道路沿いにはなかなか渋い呑み屋や簡易宿泊所、立ち飲み居酒屋など増えてくる。
次の「東浅草」のバス停では3人ほど降りたのだが、急にやや大きめの声で『東浅草ですよ。降りないんですか?』とそれまで丁寧で優しい語り口の若い運転手氏がやや怒気を含んだように叫んだ。するとジーパンを穿いたおじさんがふらふら席を立ち、大きな荷物を抱えて慌てて降りた。いつも同じバスに乗っているのだろうか、しかも東京でこんなことがあるのかと、少し驚いた。やはりここは下町なのである。
「清川2丁目」に着く頃にはもう10人ほど、「泪橋」でも1人降りる。いわゆる『山谷』のど真ん中であり、『あしたのジョー』の舞台である。
次が終点の「南千住駅西口」、国道6号線と別れを告げ、右折。駅前のロータリーを回り、バスは終点に到着する。このバスは東京駅から永代通りを走り、日本橋交差点を左折、この後は1回しか曲がらずに国道6号線に入り、そのまま道なりに。曲がるのは南千住駅前が3回目。昔の街道沿いを走るバスなのである。
南千住駅前には芭蕉像、こちらの銅像は立って筆をしたためている。日本橋から25分で浅草駅、45分で終点に到着した。本来ならば日光道中は歩くべきであるが、路線バスで行くのもいいものである。