hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

酒菜すずき~赤坂ランチグルメ

2014-08-21 06:55:20 | グルメ

先日の話。たまには赤坂でランチなどと考えた訳ではなく、昼少し前に赤坂を通った際に急に雨が強く降り出したの雨宿りではないが、思わず入った店の話。

店の名前が『宮崎料理 酒菜すずき』、場所は詳しくは説明できるほど赤坂を知らないが、赤坂通りから路地に入ったあたり。店づくりは古民家風だが、中は比較的新しい。宮崎の郷土料理の店らしく焼酎のキープボトルが並んでいる。

ランチは煮魚、鯵とトロロ、チキン南蛮(表記は、ちきん南蛮、1,100円)、冷汁の4種類の定食。気になったのはどれも1000円を上回ること。もしかして人形町と違い、赤坂ではこの程度が普通なのかもしれないが。

先客は2組、カウンターに座る。まだ12時にあと10分あるからこの時期ならまあまあか。よく考えてチキン南蛮を注文、すぐに鶏を揚げる音がする。少し経って板前さんがお膳をカウンター越しに持って来てくれる。チキン南蛮は大振りの3切れ、タルタルソースがたっぷりかけてある。

小鉢というか付け合わせは野菜盛り。ナムル風もやし、茹でたキャベツ、厚揚げと茄子の煮物がわりに沢山持ってある。あとは油揚げが4切れ浮いた味噌汁と漬物。まず、味噌汁を一口いくが、九州のやや甘口の味噌がなかなか。チキン南蛮は揚げたてでフワフワしていてやや甘め、もう少し酢が効いてもいいかな?野菜はそれぞれに美味く味付けされており、特に茄子が美味い。ご飯は麦飯だが、香ばしい。

ゆっくり食べようと心がけるが、結果10分足らずで完食。12時過ぎからは次々に人がやって来て帰る頃にはカウンターは満席。なかなか人気の店らしい。ただ、ランチのコスパがやや気になるが、なかなか美味しい。そして、夜のことも気になる店である。
酒菜すずき
港区赤坂6ー13ー3
0335849333

護国寺

2014-08-20 07:33:56 | 日記

古刹を巡る その21。今回は護国寺、真言宗豊山派大本山。お寺の横の学校が、日大豊山中学・高校。今は日大の直系の付属だが、その前身は1887年に設立された当時は護国寺により作られた中学林・大学林。そのため今も豊山の名前が残っている。


護国寺は1681年に5代将軍綱吉が母桂昌院の願いを受け建立したもの。本尊は如意輪観音菩薩で絶対秘仏。本堂の本尊も如意輪観音菩薩だが、こちらは毎月18日にご開帳されている。また、境内地5万坪のうち東側半分は豊島岡墓地として皇室の墓地になっている。


本堂の他に、室町時代に建てられ滋賀県の三井寺から移築された月光殿などが重要文化財である。

この寺は子供の頃にそばに住んでいたこともあり、親しみ深いが、当時に比べ整然と整備された気がする。東京メトロ有楽町線の護国寺駅を上がると仁王門の前に出る。振り返ると音羽通りが江戸川橋まで真っ直ぐ伸びているのがわかる。これはかつて桂昌院が通った参詣道路で、小生が小学生の頃は都電20系が走っていた。


仁王門をくぐるとベンチなどが並べられ、しばらく行くと右に立派な本坊、そこから階段になり、上がると不老門。前には桂昌殿が立派に立っている。德川氏の威光を表すようなたてものだが、意外に質素である。桂昌殿に入ると流石に中は高く、色々な絵が掛けられ、さらに左側には幾つもの仏像が並べられている。

ただ、詣でる人はだれもおらず、やや寂しい。

薬研坂・円通寺坂・三分坂

2014-08-19 05:25:15 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』 その6。今回は赤坂付近の坂を3つ取り上げる。赤坂はその名前の通り坂が多く、しかも急坂が多い。


青山通りを赤坂見附方向に歩き、赤坂総合支所の信号を右折すると目の前に下り坂、しかし、その先が上り坂、これが『薬研坂』である。名前の由来は漢方薬などを作る”薬研”(写真参照)

両側が高く真ん中が低くなっているその形状から付けられたもの。坂は下りるのは楽だが、上りはきつく、蒸し暑い気候の中、汗が吹き出す。やはり、あまりこの季節向きの企画で無いことを実感。


少し先に行き、左に曲がると『円通寺坂』。坂の途中、右側に円通寺があるが、これが移ってきたのは1695年のことらしい。つまり300年以上この名前で呼ばれている事になる。因みにこの坂はそれほど勾配は急ではない。


元の道に戻り、左手にTBSの裏門が出てくるとその先に右にカーブしている急坂が現れる。これが『三分坂』(さんぷんさか)。この坂は急坂のため、人力車で通る車賃が銀三分(三分・百円ほど)を増したためこの名前がついたもの。坂の途中には港区の文化財『報土寺の練塀』がある。そしてその先は坂は左に折れ、少し勾配が緩くなる。なお、この報土寺には雷電為右衛門の墓がある。



さすが赤坂、歩いた道はちょうど尾根のように高い所をいく道で、これに沿って歩くと左右・前後に坂のある地形となっている。下り坂ばかりでなく、上ったり下ったりする途中で写真を撮るのだが、東京とは思えない急坂の連続と夏の蒸し暑さに風景は素晴らしいが、体力的に負けそうな気分がした。あ~あ、情けない。

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稲荷町駅

2014-08-18 06:10:34 | 日記

『metroに乗って』シリーズ その2。今回取り上げるのは東京メトロ銀座線の稲荷町駅。駅自体の歴史は古く、日本初の地下鉄として上野~浅草が開業した1927年にできた4駅のうちの一つで開設87年になる。

稲荷町の駅名の起源は開業当時の下谷區南稲荷町からきている。銀座線の駅にはこの駅以外にも田原町、末広町、青山一丁目など今は地下鉄の駅だけに残された地名が多く、歴史を感じさせてくれる。稲荷町の『稲荷』とは駅下車5分の所にある下谷神社のことで同じ稲荷町の名前は近くのM銀行の支店の名前にも残っている。


駅自体はなかなかクラシカルで風情があるが、空調が効かずホームは夏は驚くほど暑い。駅を上がると周りには大小の仏壇、仏具屋が軒を連ねる。上野から田原町までは本当に多く、お盆の最中だからか、岐阜提灯が特売されていた。


下谷神社に向かうが、信号機の横に大きな赤い鳥居、暫く行くと突き当たりに神社がある。また、1798年に初代三笑亭可楽により境内で初めて寄席が開かれたので『寄席発祥地』の石碑がある。



上野から浅草に続く表通りはもう高いビルが中心になっているが、裏にはまだ銅板が貼られた防火住宅も残り,昔を忍ばせる。駅そのものは日中の平均利用者が7000人を切る銀座線では最少の駅ではあるが、付近はなかなか下町風情が残る場所である。




『新』『旧』のつく駅

2014-08-17 05:00:00 | 日記
鉄道シリーズ その73。鉄道の駅には『新』と『旧』のつく駅がある。『新』の付く駅は新幹線を始め沢山ある。新幹線で東京~鹿児島中央まで行く間でも新横浜、新富士、新大阪、新神戸、新倉敷、新尾道、新岩国、新山口、新下関、新鳥栖、新玉名、新大牟田、新八代、新水俣と14駅もある。



一般に新~駅は新しい線が開通してその接続駅になった場合、名前を改名したりした場合(小郡⇒新山口)などが比較的多く、またJR(国鉄)の駅の後に私鉄の駅が出来た場合(名鉄の新名古屋、新岐阜など)もある。また、同じ会社でも近所に同じ名前の駅がある場合、後から出来た方に新をつけるケース(JR中央線大久保・JR山手線新大久保、西武新宿線所沢・新所沢、小田急線百合ケ丘・新百合ケ丘)もある。場合によっては後にできたほうが大きくなっている場合も有り面白い。

では『旧』の方はどうであろうか。これは自分が調べただけだから別にもあるかもしれないが、『旧』を古いという意味の対比で用いた駅はJR石北本線の白滝駅唯一しかない。ただこの場合は北海道独特の開墾地で最初に居住を始めたのがこの旧白滝駅周辺で、いまは白滝駅周辺が中心になっているという意味ではあるが…。ちなみにこの辺りの駅名は『上白滝』⇒『白滝』⇒『旧白滝』⇒『下白滝』と白滝のつく駅が4つ続く。また、『旧』という字が付くのは神戸地下鉄の旧居留地・大丸前駅のみである。

道路や橋の場合、旧中仙道、旧早稲田通り、旧葛西橋など結構あるのに面白い。
最後に福井鉄道の駅名表示についてである。というのはJR北陸本線に並行して福井鉄道福武線は走っているが、他の私鉄同様新たに国鉄駅周辺に駅を作った際に通常ならば『新武生駅』と付けるところを『武生新駅』と付けていた。なるほどこうした駅のつけ方もあるのかと感心したが、2010年に『越前武生駅』改名されいていまはない。残念ながら!


盆休み雑考

2014-08-16 06:18:28 | 日記


只今、お盆の休み真っ最中である。小生の勤める会社は商売柄お盆に一斉に休みを取ることはないが、やはりクライアントが休みが多く、あまりこの時期電話もかからず、アポイントも少ない。

今年はカレンダーの関係で13~15日がお盆の休みでそれに土日が加わり5日の休みとするケースが多いようである。
しかし、ここで一つの疑問、というのは東京などはお盆は新暦でやるため、先月15日頃でお盆の行事は終了していることが多い。にも拘らず8月に旧盆に皆で休みをとること自体なぜなのか。

実は答えは簡単である。というのは東京の人のルーツの殆どは地方から上京した者であり、墓などは故郷にあることが多い。そのため、故郷で行なうイベントに参加するには、この時期に盆休みを設定しする必要があり、帰省ラッシュで高速道路が60kmも渋滞するのである。あまり、故郷に縁のない小生にわかりにくいは話であるが。

それにしても人形町の飲食店はチェーン店を除き、みんなお休みで、昼食でいつもお邪魔する店まで休んでいる。これでは生活にも結構往生してしまう。さらに近所のコンビニは改修とかで閉めているし、地下鉄の売店まで夏期休暇だし、居酒屋はいうに及ばずである。

ここまで来ると思い切って8月15日は祭日にした方がいいのではと思うのは小生くらいであろうか。


田舎のない小生にとっては京都の大文字焼くらいがお盆のの時期を思い出させるものだが。

嘉門(再訪)~神保町グルメ

2014-08-15 05:45:07 | グルメ

このところ、居酒屋のレポは再訪が増えているが、今回はお盆期間ということもあり、店に幾つか振られたことも一つの要因。ただ、神保町の『嘉門』に行ったのはお盆の休みも取らずに頑張って営業して事に加え、”夏のあて”を楽しみに再訪。前に伺ったのが3月末、今回はほぼ1年に1回飲んでいるA氏を誘って伺った。

まず、店はよく冷房が効いてホッとする。昔ながらの扇風機だけというのも風情はあるが、京の町家でもあるまいに東京のコンクリの建物はクーラーはこの時期必須であり、逆にこの時期に小生は汗をだらだら流すのが苦手で避ける店すらある。

親父さんに挨拶して、席に付くと生ビールで乾杯。最初のつまみは『蛸ぶつ』、茹でた蛸の足を塩とスダチで食べる。なかなか爽やかである。

つぎは『イワシクジラの刺身』、赤身を生姜醤油でいただくが、甘みのある身とキリッとした醤油がよく合う。この辺でお酒に移るが、始めは『屋守』(おくのかみ・東京)、これを”やもり”と読んではいけない。アッサリした辛口の酒、スタートにはいい。

ここで『アナゴの天ぷら』、一本あげしたものだが、塩も天つゆもいい。個人的にはアナゴだけは天つゆが好きだが。ここで『日高見』(宮城県石巻市)、震災から復興した蔵だが、昔と同じようにキレが良く、奥の深い酒である。

続いて『アサリの酒蒸し』、決め手の味付けのコツは分からないが、大振りの身がとにかくうまい。思わずツユまで飲み干す。酒は『雪の茅舎』(山形県)、大好きな酒で親父さんについつい”美酒の設計”の話をしてしまう。

さらに『マグロのぬた』、味噌と酒は大変よく合う。酒は『杉勇』(山形県)、酒米は雄町で、生酛作り、厚みのある芳醇な酒、これに『塩ウニと半熟玉子』を合わせる。定番だが、酒もツマミももったいないほど美味い。



つぎは『出羽桜』(山形県)安定感がある。ただ、ここでふとどうも今日は山形県の酒が多い気がする、まあ、好きだけどね。

次のあては珍しく親父さんが自信なさげに『ホヤの酢の物』を出してくる。小生はあまりホヤは得意でないが、自分としては磯臭くなく美味いと感じる。ただ、親父さん曰く、ホヤは磯臭くないと駄目だそうだ。

この辺で親父さんと酒談義。カストリ焼酎の話をしていたら、すかさず日本のワイナリーのグラッパ登場。よく冷えて美味くラッキー、ただ、足を取られそうな予感がする。このあたりでもう飲めず、食えず、後ろ髪を引かれながら、お会計。また、違う季節に来たい店。A氏とも再開を誓い、お盆の飲み会はお開きとなった。

嘉門
千代田区神田神保町3ー1ー19
0332883960

川崎大師

2014-08-14 06:19:44 | 日記

古刹を巡る その20。真言宗智山派金剛山金乗院平間寺(へいげんじ)と言っても分からないかもしれないが、『川崎大師』と言って知らない人はいないだろう。

このお寺は高尾山薬王院、成田山新勝寺とともに関東三本山の一つで初詣では全国3位、296万人(2012年)と大変な賑わいとなる。ただ、この数はどうやって計測するのかがいつも不思議である。
アクセスは京浜急行大師線で川崎大師駅か東門前駅から徒歩10分程度である。今回は川崎大師駅で降りて表参道を歩き、寺に向かったが、駅前の門をくぐると、ダルマの店や葛餅(久寿餅と書いてある)、佃煮の店などが立ち並ぶ。


更に5分ほど歩くと参道が右に、さらにまた右折すると仲見世になり、その突き当たりが大本堂だが、考えてみると参道を大回りさせられていることに気づく。



寺に近づくと大山門、潜ると大本堂が見えてくる。歴史はまだ浅いが、立派な建物で大きな赤い提灯と風鈴が沢山並べ吊るされている。靴を脱ぎ、中に入るがその天井の高さと広さに驚かされる。中には救世観音像など幾つもの仏像が安置されている。


お詣りのあと外に出ると目の前に中興塔(八角五重塔)、弘法大師1150年御遠忌として1984年に落慶された見事な赤い五重の八角塔。右には不動堂。広い境内に他にも多くの建物が立っており圧倒される。

仲見世通りには飲食店やダルマを売る店など100mくらいの両側にあるが、やはり何かイベントがないとあまりお客さんはこないみたいである。


プロ野球解説の楽しみ方

2014-08-13 05:18:39 | 日記

夏はやはり野球の季節、特に阪神タイガースの躍進があるとついつい野球中継に見入ってしまう。そんな中でプロ野球中継を聴いているとごく普通に聞こえる表現も改めてじっくり考えると不思議な表現も多いことに改めて気がつく。そんなのを少し集めて見ると、

(1)足の速い選手を1、2番に据えているチーム、例えば1番赤星、2番藤本の場合(少し古い?)に『この1、2番はなんでもできるんですよ』という解説者。だけど、何でもできるのならば、HRの連発だって、連打だって出来るはず、と切り返されたらどうなるの?

(2)さらに『この選手は足がありますからピッチャーは要注意です。』と解説者、そりゃ足がなけりゃ走れないよ。あとよくあるのが、『今の打球は気力だけで打ったものですね。』だが、バットがなけりゃ打てはしない。

(3)アナウンサー『この試合先制点が重要なポイントになりそうです。』解説者『こういう時はエラーかホームランが試合を決めることが多いんです。』まあ、接戦の場合でなくとも、常に先制点は大事だし、エラーやホームランは大量点に繋がりやすいからポイントというのは当たり前の話。

(4)解説者『この投手はスピードはないけど、キレが抜群なので簡単には崩れません。』だけど、この”キレ”をまともに解説したのは今まで聴いた中では桑田だけだ。ちなみにキレとは回転数と回転軸のことらしい。

(5)(デッドボールが出ると決まって)アナウンサー『この場面、当たった選手も痛いですが、ピッチャーはもっと痛いはずです。』 なるほどの表現だが、そりゃ当たり前? 

(6)解説者『(終盤になり1点差、無死1塁で)この場面は自分も生きようとするバントをする場面ではないはずですが。』自分が死ぬ位よく球を殺したバントに専念しろと言いたいらしい。だけどバントが上手くて共に生きるケースやセイフティバントしか得意でない選手(オリックス・平野佳選手など)だってあるのに、セオリーとやらに拘る解説者が多い。
と少し考えただけでもこれだけよく耳にする放送だけでも変な表現が次々と浮かぶ。

同じように野球特有の表現で語源もわからず使い続けられるものも多い。例えば先日のブログで『ボーン ヘッド』の語源について書いたように。

続け様にピッチャーがヒットを打たれることを『釣瓶打ち』というが、この語源を知る人は少ないのでは?『釣瓶』とは加賀千代女の句にある『朝顔に 釣瓶取られて もらい水』や『秋の日は釣瓶落とし』のように使われる井戸から水を汲む際に使われるいわば紐の付いたバケツのようなものだが、これはストンと落ちる表現によく使われる。しかし、どうも『続け様に』というのとは結びつかない。よく調べると、実はこの『釣瓶』は音が同じ『連べ』の当て字にしたもので、井戸の釣瓶とは何の関係ない。つまり、戦国時代に鉄砲隊が続け様に弾を撃つ様を『連べ撃ち』と言ったのが語源である。なる~ほど。それなら分かるな。野球も日本に入ってから100年を越す歴史があるが、その表現を調べて見ても面白い。


京浜急行大師線

2014-08-12 06:27:18 | 日記

鉄道シリーズ その72。関東の私鉄には大師線が2つある。うち一つは前にブログでも紹介した東武鉄道大師線(西新井~大師前)、もう一つが今回紹介する京浜急行大師線である。大師線は京急川崎~小島新田の4.5kmを10分程度で結んでいる。しかし、この線こそ京浜急行のルーツであることはあまり知られていない。

京浜急行のルーツは1899年に大師電気鉄道が川崎駅(その後、六郷橋駅、1949年廃止)~大師駅(現、川崎大師駅)間2kmの開業である。同年に京浜電気鉄道に改名、その後、1945年に今の終点より3.2km先の桜本駅まで延伸、大師線は全通した。しかし、1952年に塩浜~桜本を川崎市交通局に譲渡、1964年には塩浜駅を国鉄塩浜操駅建設のため、塩浜~小島新田を休止、今の路線になった。


京急川崎駅は本線が2階、大師線が1階から出る形になっており、1階の2つのホームを使い、大師線は往復している。運転間隔はラッシュ時は5分おき、通常時は10分おきである。


京急川崎駅を出ても、4両編成の2000系電車はあまりスピードを出さず、右に曲がって行く。暫くすると六郷橋(旧六郷橋駅跡)を通り、そのまま港町駅に到着。駅名は『みなとまち』でなく『みなとちょう』だが、港町13番地(歌・美空ひばり)の歌詞が書かれたオブジェがある。

次は鈴木町駅、町の起源は付近に工場のある味の素の創業者 鈴木三郎助に由来する。この辺りは直線で駅間が1キロないため、隣に着いた電車が見える。

次が川崎大師駅、両端の駅を除くと利用者は大師線で最大である。ここから川崎大師は歩いて10分、次の東門前駅も川崎大師からは近い。


産業道路駅までは600mしかない。名前の通りすぐ脇に産業道路が通る。その先で一旦、単線となり、小島新田駅に到着、周辺は混雑解消のための地下化事業が進行中である。従来は工場地帯であったが、立地の良さから大規模開発がよていされており、今の風景は大きく変わる可能性が大きい。終点の小島新田駅は出来た当初は途中駅だったからか、あまり終着駅の趣きがない。


大師線は各停のみが往復するのんびりした線ではあるが、意外に乗客数は多く、将来は地下化によりかなり変わるであろうが、線自体も工場労働者を運ぶ目的だったものが、ニュータウンの為の鉄道に変わりつつある。今のルート自体も見直される可能性もあり、このノンビリとしたはじからはじまで乗っても10分程度の支線も今のうちに見ておくべき路線なのかも知れない。