hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

第50回元祖有名駅弁と全国うまいもの大会(1)

2015-01-11 05:12:01 | グルメ

今年もこの季節がやって来た。毎年恒例の『元祖有名駅弁と全国うまいもの大会』が京王百貨店で8日からはじまった。


例年同様に9時過ぎに家を出て新宿には9時40分に到着、すぐさま1階の入口に並ぶが先客は20人程度、昨年より少し多い位である。10時まで並んでまつが、其れ程寒くない。1階から7階の会場までは直通のエレベーターで行く。エスカレーターは走れないので確実にこの方が早い。

7階に着くと先ずは輸送駅弁コーナーへ。もう、結構並んでいるが、この人たちはどうして上がって来たのかが、毎年不思議である。それでもすぐに順番が来て売り場に入る。

京王百貨店のチラシに載っているのはほんの一部で弁当は100種類以上ある。それでも予習をしているのであまり迷わず、松江駅『境港水揚げかにみそ かに寿し』米沢駅『黒毛和牛まかない牛めし弁当 』、平泉駅『わたしの好きな金色うにめし』の3種類を購入。

さらに、今回は50回目のためにかつての包み紙の復活駅弁が数多く並ぶ別の輸送駅弁コーナーに並ぶ。そしてお目当ての東京駅『元祖有名駅弁と全国うまいもの大会50回記念弁当』をゲット。しかし、3人で4つの弁当は確実にうちに帰って怒られるのを覚悟して購入。

その後、売り場を見て回るが、今年の人気はうにめし(三陸鉄道 久慈駅)、50回記念の丼入りの抹茶ひつまぶし日本一弁当(名古屋駅)、世界文化遺産 姫路城弁当(姫路駅)、佐賀牛三昧ステーキ&すき焼き弁当(武雄温泉駅)などである。

あといつも気になっていたが、『全国うまいもの大会』の方も見てみたが、長崎の角煮まんや博多の明太子などかなり名産が並んでいるが、やはり駅弁には押され気味。小生は信玄餅で有名な桔梗屋の桔梗信玄生プリンを購入してしまった。


ともかく、今回は50回目ということもあり、かなり人気も高く、人出もすごい。これなら駅弁大会の将来は明るそう。ただ、なぜかデパートの地下で普通に売ってる『シウマイ弁当』やスーパーの催事でよく見かける『峠の釜めし』なども大人気で人が並ぶのは小生には理解が出来ない。(買った駅弁のことは次回また)

大根~茅場町グルメ

2015-01-10 05:00:53 | グルメ

茅場町周辺にはいい店が多くあり、今日はネットで評判の高いお店に行く。店の名前は『大根』と書いて“おおね“と読ませる。場所は丁度、日比谷線八丁堀駅と茅場町駅の真ん中あたりである。

店はカウンターとボックスの4人席が2つだが、比較的ゆったりしている。今日は飲み友達のSくんと2人カウンター、初めてということもあり、コースを予約する。

まずは生ビールで乾杯、最初の一皿は蕪のミルク煮、蕪がほっこり煮えて美味いが、僅かに添えてある柚子胡椒を加えると味が変わるのが面白い。

次は肴3品、クレソンと干しイチジクの白和え、イチジクのサクサクとした食感と豆腐の柔らかな味付けが良く合っている。カマスの燻製は温かく、あん肝と共に酒が進む。

このあてならばと慌てて『風の森』(奈良県)を注文、酒は蕎麦猪口で供される。特記すべきはあん肝の旨さ、これは秀逸である。

刺身は鰤・ヒラメ・しめ鯖・イカ・バフンウニが少しずつ盛り合わせ、何れも美味いが、やはり旬の鰤、さらにウニは美味い。特に気に入ったのはその丁寧な仕事ぶり、鰤は厚すぎず薄すぎず具合のいい厚み、また、イカも細かくそうめん作りになっている。

酒があっと言う間に空いて、『不老泉』(滋賀県)を注文。まったりして美味い。

焼き物は鮭の西京漬、鮭も美味いが、付け合せの炭火で炙ったスナップエンドウ・セロリ・エリンギが甘くていい。鮭の西京漬はしっかり味付けされ、大根おろしと食べると丁度良い。

酒は『酔右衛門』(岩手県・正しくは『酉与』)。地元の酒米吟ぎんがを使ったしっかり系。煮物は穴子の煮付け、酒はぴったり。穴子の味付けはもちろん、合わせて炊いた牛蒡、豆腐もいい。

〆はタコご飯とアオサの味噌汁。しかし、呑み足らず『奥播磨』(兵庫県)を注文、あては鯖のへしこ。


充分満足したところにデザートはほうじ茶のアイスクリームとほうじ茶。いや満腹、酒飲みにはコースはやや多過ぎる気がする。価格はコースで5400円、まあこんな値段かなと思うが、酒はやや高いかな?

まあ、居酒屋というより割烹、接待に使えるレベルでご主人が丁寧にタイミングよく料理を作り、奥様が接客、大変心地が良いお店。お二人の抜群のコンビに魅了された夜であった。


大根
中央区茅場町3ー8ー10
0336666979

曙橋付近の坂(2)

2015-01-09 05:00:05 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その19。前回の続き。靖国通りに出て、外苑東通りまで行き階段を上る。四谷3丁目に向かうと右手に曲がる坂が現れる。この坂が新坂、よくある名前だが、江戸時代に全勝寺の地所の一部を削って新たにできた坂のためにこの名がついた。


坂を下まで降りるとまた靖国通りにもどるが、左手に曲がるとすぐに弧を描きながら登っていく坂が出てくる。右側は階段、先は坂となっているが、この坂が暗闇坂(暗坂)である。この辺りは片側の全長寺墓地の樹木が茂り薄暗かったためにこの名前があるが、今はそういう雰囲気はない。ただ、4時近くなってきたため、この辺りで坂の名前の通り周囲が暗くなってきた。



また、靖国通りに戻り、新宿方面に行くと靖国通りが上り坂になるが、この坂が 安保坂(あぼざか)。由来は比較的新しく、1944年に都道になった際にこの辺りに安保男爵(安保清種海軍大将)が住んでいたためついたものである。

坂の頂上が市谷富久町の交差点でこれを左手に曲がり、寺が見えて来るがその手前を左手に行く坂が茗荷坂。今もそうだが、源慶寺と東長寺の間を通る坂で昔は茗荷畑があったためにこの名前がついた。文京区に茗荷谷という地名がかつてあり、今も地下鉄の駅にあるが、この辺りにも同じ名前の坂がある。(文京区小日向1ー26ー5辺り)



茗荷坂を下り、右手に行くと大木戸下、更に外苑西通りを行くともう新宿通りまではすぐで四谷3丁目駅までも僅かなものである。

今日のエリアには寺と墓地が多く、昔は更にあってこれが坂の名前の由来になったものが多いことに気づく。今も昔も変わらずあるのは坂道と寺社である。実はもう少し坂もあるが暗闇坂あたりで日が暮れて写真も撮れなくなり、あとはまた次回ということにした。

ラクウショウ(落羽松)

2015-01-08 05:00:40 | 日記

セコイヤというと高さが200mにもなる世界有数の大高木である。カリフォルニア州レッドウッド国立公園のセコイヤは樹高が世界1位~ 3位を独占するほどで高さは平均80m、ヨセミテ国立公園ではセコイヤをくり抜いたトンネルがあることでも知られている。

実は我が家のそばにもセコイヤの仲間のラクウショウ(落羽松)がある。高くなりすぎたため、先端が大きく切られたが、物ともせず、今も元気で春には葉をつけ、葉が茂ると先端が切られたことが分からないほどである。切られる前にはかなり高木だった。もちろんアメリカのセコイヤほど高木ではなかったが。特色は名前の通り、落葉樹、秋になると特に枝ごと落ちることで井の頭公園にも多くある。

(11月19日撮影)
ラクウショウと思われるこの樹木は11月頃までは青々としているのに12月になると葉が茶色になり、今頃には殆どの葉が落ちる。その様子を撮ってみたが、見事に落葉する。

(12月2日撮影)

(12月23日撮影)
木の根元の周りには落ちた葉が山のようになり、木の大きさを感じる。この木の葉が落ちるといよいよ寒さが増すのである。
ただし、次の春に新芽が出るのもなかなか美しく、今はひたすら木とともに春が来るのを待ちたい心境である。

(12月30日撮影)

早稲田駅

2015-01-07 05:00:50 | 日記

『metroに乗って』その15。今回は東京メトロ東西線早稲田駅、言わずと知れたW大学のお膝元である。

今回は馬場下町の出口を出て穴八幡に向かう。神社の由来は1062年源義家が奥州征伐の凱旋の途中、この地に刀と兜を埋めて八幡神を祀ったことらしい。その後1641年に社僧良晶が庵を作るため横穴を掘ったところ金銅仏が出てきたので『穴八幡』と称するようになった。その後も徳川の歴代将軍がお詣りに来るなど発展した。庶民からも蟲封じにご利益があると言われ信仰を集めている。


この神社は冬至から節分までは冬至祭を開催しており、一陽来福という御守を頂くために善男善女が遠くからお詣りに来る。小生も長い列に並びご利益を頂くべくお詣りした。

小生は早稲田通りまで戻り、早稲田南通りを歩くと先に大隈講堂が見えてくるが驚いたのは遥かに高い校舎も作られていること。

その後、W大学のキャンパスを歩くが、人もまばら。昔は立ち入り禁止であったキャンパスも今は自由に歩く事が出来る。


中に入ると中央には大隈重信の銅像、その奥には会津八一記念博物館や坪内逍遥記念演劇博物館などもある。受験以来だから40年近く来たことがなかったが、早稲田も綺麗になっていた。

外に出て大隈会館の裏には大隈庭園だが、公開はされていなかった。新早稲田通りまでは出たが、都電は最近乗ったのでUターン、早稲田高校の前を通過し、東西線まで戻った。

やはり40年が経つと色々と変わることを実感した。因みに早稲田通りを高田馬場方向に行くともう数少ない名画座、早稲田松竹が今も健在である。

曙橋付近の坂(1)

2015-01-06 05:00:41 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その18。今回は曙橋付近の坂道を2回に渡りレポート。都営新宿線曙橋駅で降りて、地上に出るとすぐ前に駅名の『曙橋』が見える。

下を行くのが靖国通り、上を行くのが外苑東通りである。


靖国通りを市ヶ谷方向に歩き、陸橋を越えた先の階段を上ると外苑東通りに出る。その先の交差点に『合羽坂』とある。合羽坂はこの交差点を右に降りて、靖国通りと結ぶ下り坂である。合羽坂の由来は『昔、坂の東南に蓮池という池があった。雨の夜などにカワウソが出たのを周りの人が河童といい、それが転じて合羽坂となった』とのことである。

一方、外苑東通りをまっすぐ行く上り坂は機動隊や防衛省に沿っており、新五段坂という。これは昔防衛省の敷地は尾張藩の屋敷で藩内の藩士が住む五段長屋があったため、その前の坂は五段坂と言われた。この坂は旧陸軍士官学校の敷地となり、一旦なくなったが、その後敷地の西側に作られた道に坂が出来たため、この名前がついたらしい。

今度は合羽坂を降りて、合羽坂下の交差点を靖国通りの反対に渡ると津の守坂(つのかみさか)の麓に出る。緩い坂だが、津の守坂と書いてあるから分かりやすい。この坂の名前の由来は坂上西側に松平摂津守の屋敷があったため、略してこの名前となったとのこと。



しばらく登り、坂の中腹の標識を左に曲がると道が急に狭くなり、新宿歴史博物館前に出る。今は『50~60年代の新宿』の展示をやっていてかなり惹かれるが、日も傾きかけてきたため断念する。

左折して細い道を下り、右に曲がって行くと坂町坂の中腹に出る。この坂は段々勾配が急になるが、町名にちなみこの名前となったらしい。坂の幅はそれほどないが、100mはある。それにしても坂が多いからストレートに坂町とついたのであろうか。その町の名前にまた『坂町坂』と付けるのはなかなか面白い。


坂を下っていくと左側に稲荷社が見える。この小さな社が枡箕稲荷社で年末には神事があり、福米が貰える。

その奥を右に行くと靖国通り、目の前に防衛省の建物がそびえ立つ。なかなか立派である。

この辺りは旧陸軍時代に新たに広げた道と周囲の細い道が絡み合っている地域で名前がないものも含めて昔ながらのくねくねとした坂もまだまだ残る地区である。

銀座NAGANO

2015-01-05 05:00:23 | 日記

久々のアンテナショップ巡り、その12。友人が長野県庁に勤めているせいか、なぜか長野県は好きな県である。しかし、今までアンテナショップはなかなか作られなかった。有楽町の交通会館には昔から観光事務所はあったが、長野県の特産品を集めて売る店はなかった。

それが、新たに今年10月に銀座みゆき通り、つまり銀座のど真ん中に堂々登場。中はアンテナショップの域を超えた造りの素晴らしいお店。名前はずばり『銀座NAGANO』。


1階は特産品で地ビールやワインなどが充実、立食だけど食べられるコーナーも併設。もちろん、栗鹿の子やみすず飴、善光寺門前の七味トウガラシなど定番商品も充実。小生は長野で以前購入して美味かった七味入りのポン酢を買ってしまう。


2階はイベントスペースと観光ガイドがあり、色々なイベントを行うようである。あと4階もあるみたいだが、今回は未訪問。とにかく長野の物産ならばここは便利。ぜひみんなで行きましょう。



銀座NAGANO
中央区銀座5ー6ー5
0362746015

三朝庵~早稲田グルメ

2015-01-04 05:00:52 | 日記

三朝庵はB級グルメファンなら一度は聞いたことのあるカツ丼とカレーうどんの発祥の店と言われる蕎麦屋。また、新宿区馬場下町にあるW大学の学生や先生などの行きつけの店で、さらに100年を超える歴史を誇る老舗蕎麦屋。わざわざ地下鉄に乗ってやってきた。
いそいそと地下鉄早稲田駅を降りるが、出口にやたら穴八幡の方向を示す案内板が目につく。その時にも一体何を穴八幡出るやっているのかなとは気にはなった。

少し、高田馬場方向に歩くが、目の前に見えてきたのは三朝庵の看板と人だかりのする穴八幡。入口の注意書きも読まず、まあいいかと店に入るが、この段階ではやや人が多い程度。そして何を注文するかなと貼られているメニューを見て驚いた。『穴八幡の行事のため、限定メニューのみ』とかかれており、そばと天丼、そしてそのセットのみであり、もちろん、手間のかかるカツ丼もカレーうどんもない。そうか、早稲田の学生にも支持されているが、その前から穴八幡の門前の蕎麦屋だったんだと気づくがもう遅い。

仕方なく『たぬき天丼セット』(1000円)の食券を買って席に着く。すると次から次に人が入ってきて時計を見ると11時45分。周囲を見渡すと有名人が来訪し、サインや寄せ書きがガラスケースに雑然と飾られ、テレビ番組でもかなり扱われているのがわかる。

4人掛けの席に一人座ったが、すぐにおばさん2人と相席に。まあ、静かな人たちで助かったが。


5分ほどでたぬき天丼セットが到着。天丼はエビ天1本とピーマンのてんぷらが2つの小ぶりなもの。食べるとツユの味は悪くないがご飯が柔らかすぎる。たぬきそばはまあ普通、東京の蕎麦屋にしては味は濃くない。腹は膨れたが、ただの蕎麦屋である。わざわざ地下鉄で来るほどのことはない。
ただし、救いは店員が愛想がいいこと。7分ほどで食べて席を譲ったが、出る時にも『どうもありがとうございます。良いお年を』と明るく挨拶してくれた。まあ、それにつけても次回は落ち着いて元祖カレーうどんを食べたいものだ。因みに普通のメニューに戻るのは1月10日頃とのことである。(12月30日往訪)

三朝庵(さんちょうあん)
新宿区馬場下町32
0332036208

ラグビー大学選手権準決勝観戦記

2015-01-03 05:00:53 | 日記

本当に久々のラグビー大学選手権準決勝観戦。今回思い切って見に来たのは国立競技場から秩父宮に会場が移ったことが大きな要因。国立競技場もいいが、トラックがあるのでラグビー専用競技場の秩父宮がすきである。

天候も朝は曇っていたが、ラグビー開催時間には青空、バックスタンドは1時頃から太陽の光が降り注ぎ暖かくなった。まあ、日差しが眩しく見にくいこともあったが。やはり、人気の早稲田・明治が出ないため、観客席もバックスタンドはほぼ満員だが、メインは7分くらいであった。

第一試合は筑波大vs東海大、FWが持ち味の東海を筑波がどう対応するのかが焦点と思っていたが、それよりもまず筑波のハンドリングミス、ラインアウトやスクラムの正確性の欠くプレーが最初は目に付いた。前半2つ、後半1つのDGをFB野口に決められ、前半の東海大のトライもDGを囮に使ったサインプレー。

後半は3点ずつ取り32分、殆ど東海大ペースだったが、筑波はようやくNo8山本がトライ、ゴールも決まる。しかし、この時点で時間がないが、トライ直後のリスタートからHO村川のビックゲインを息も切らせず攻めて38分に正面にトライ、ゴールも決めて逆転というなかなかスリリングな試合。たが、言い換えるとDGを狙わず、トライに拘れば東海大は勝っていたかもしれないゲームだった。


第二試合は帝京大vs慶応義塾大、対抗戦48対0、昨年の大学選手権45対14と大敗している相手。しかし、スタートから相手ボールのスクラムをターンオーバーするなどFWの頑張りが見られたが、個人の速さと強さ、特に相手SO松田、CTB金田などの個人の力を返し切れず、さらに慶応の主将FL木原が負傷退場するアクシデントが響いた。さらにゴール前の反則繰り返しでシンビンも取られ、慶応No8森川の1トライはあり、盛り上がったが、前半26vs10で折り返し。


後半の最初からミスを突かれ、帝京がトライを量産。慶応が飛び込んだトライもレフェリーが見逃し、トライにならず、観客席がレフェリーにブーイングすることもあり、その後も相手のコラプシングの連発にもシンビンも出さず、ベナルティトライも出さないジャッジには疑問も感じたが。さらに控えメンバーに変えた頃からはスクラムも押され、最後はミスの連発で4トライされるなど、結果は53vs10で力負け。折角、スクラムでFWが勝ってもラインアウトから十分な球が供給できなかったり、ハンドリングミスが出たため、リズムに乗り切れず、後半の最後には切れてしまったように見えた。特にキャプテン不在が昨年同様響いた気がした。

ただし、今年の慶応、特に大学選手権では昨年以上にセカンドステージで3連勝、特に流通経済大戦では粘ってリーグ戦優勝チームに勝つなど対抗戦の時に比べて格段に良いチームになった。今日は負傷者が多く出たため、十分な試合ができなかったのかもしれないが、ラグビー名門高校出身者が少ない中でよくやったと言えよう。さらに残念ながら御所実業に惜敗したが慶応義塾高校も花園で頑張ったこともあり、慶応義塾大のラグビーは今後も十分期待できるものと思う。ただ、毎年、準決勝で帝京ばかりと当たるのは若干きつい気もするが。


新井薬師

2015-01-02 05:00:52 | 日記

『古刹を巡る』その26。今回訪れたのは新井山梅照院薬王寺、といっても新井薬師のほうが通りがいい。

中野駅で下車、江古田行きのバスで5分乗り、『新井薬師梅照院前』バス停で下車、すると境内の入口に到着。周辺は門前町がそのまま商店街になったような所。この寺は真言宗豊山派の寺で西新井大師や護国寺などと同じ宗派である。

新井薬師の名前は『新井』が新たに井戸を掘ったことからきており、本尊の薬師如来からこのように呼ばれている。寺の創建は室町時代後期(戦国時代)の1586年、本尊は薬師如来と如意輪観音、秘仏で12年に一度寅年につまり8年後に開帳される。その霊験は徳川秀忠の5女が当時薬師如来に眼病平癒を祈願したところ回復したことから目にご利益があると言われている。(目のお守りや絵馬もある。)

入口から少し奥には山門があり、新井薬師の提灯が下がっている。その奥には本堂、さらに不動堂などが並ぶ。縁日にはかなり露店も並ぶようだが、まだ、お炊き上げのテントがあるくらいでのんびりとした雰囲気、武蔵野の面影を残す。



アクセスは中野駅以外に西武新宿線新井薬師前駅までは500m足らずで交通至便な薬師様である。余談だが、駅は昔ながらの西武鉄道の駅、これは聞いたところ中井~野方は地下化の計画があるらしくそのままになっているが、この駅の姿もそれほど長くは拝めないようである。