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『江戸の坂・東京の坂』その18。今回は曙橋付近の坂道を2回に渡りレポート。都営新宿線曙橋駅で降りて、地上に出るとすぐ前に駅名の『曙橋』が見える。
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下を行くのが靖国通り、上を行くのが外苑東通りである。
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靖国通りを市ヶ谷方向に歩き、陸橋を越えた先の階段を上ると外苑東通りに出る。その先の交差点に『合羽坂』とある。合羽坂はこの交差点を右に降りて、靖国通りと結ぶ下り坂である。合羽坂の由来は『昔、坂の東南に蓮池という池があった。雨の夜などにカワウソが出たのを周りの人が河童といい、それが転じて合羽坂となった』とのことである。
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一方、外苑東通りをまっすぐ行く上り坂は機動隊や防衛省に沿っており、新五段坂という。これは昔防衛省の敷地は尾張藩の屋敷で藩内の藩士が住む五段長屋があったため、その前の坂は五段坂と言われた。この坂は旧陸軍士官学校の敷地となり、一旦なくなったが、その後敷地の西側に作られた道に坂が出来たため、この名前がついたらしい。
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今度は合羽坂を降りて、合羽坂下の交差点を靖国通りの反対に渡ると津の守坂(つのかみさか)の麓に出る。緩い坂だが、津の守坂と書いてあるから分かりやすい。この坂の名前の由来は坂上西側に松平摂津守の屋敷があったため、略してこの名前となったとのこと。
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しばらく登り、坂の中腹の標識を左に曲がると道が急に狭くなり、新宿歴史博物館前に出る。今は『50~60年代の新宿』の展示をやっていてかなり惹かれるが、日も傾きかけてきたため断念する。
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左折して細い道を下り、右に曲がって行くと坂町坂の中腹に出る。この坂は段々勾配が急になるが、町名にちなみこの名前となったらしい。坂の幅はそれほどないが、100mはある。それにしても坂が多いからストレートに坂町とついたのであろうか。その町の名前にまた『坂町坂』と付けるのはなかなか面白い。
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坂を下っていくと左側に稲荷社が見える。この小さな社が枡箕稲荷社で年末には神事があり、福米が貰える。
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その奥を右に行くと靖国通り、目の前に防衛省の建物がそびえ立つ。なかなか立派である。
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この辺りは旧陸軍時代に新たに広げた道と周囲の細い道が絡み合っている地域で名前がないものも含めて昔ながらのくねくねとした坂もまだまだ残る地区である。
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