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『江戸の坂・東京の坂』その21。今回は番町の坂を2回に分けて巡る。
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まず、そもそも『番町』の名前であるが、江戸時代の旗本のうち将軍を直接警護するものを大番組と呼び、大番組の住所があったことから『番町』と呼ばれたのが起源。一~六番町まである。また、元は更に堀端一番町・新道一番町などと分かれていた。この名前は『番町皿屋敷』などで有名なのはご存知の通りである。
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今回は半蔵門線半蔵門駅で下車して番町側に上がる。すると目の前が坂であるが、平河町方向に向かい、新宿通り向けて登る坂が永井坂である。江戸末期には永井勘九郎と永井奥之助という旗本の屋敷が向かいあっていることが、坂の名前の由来と思われる。
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次は反対側に向かい坂を降り切ったところから大妻学院に向かう登り坂が袖摺坂である。この坂は昔は通りが狭く、坂道を行き交う人の袖が触れるほどだったため、この名前が付いた。また、『袖摺坂』はよくある名前の1つで同じ名前の坂は新宿区横寺町などにもある。
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袖摺坂の頂上付近には滝廉太郎の旧居跡の碑がある。
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右に折れると五味坂になる。比較的急な坂だが、元の上二番町と五番町の境にあった。このため、この坂の名前の由来は多分『五ニ坂』が転じて『五味坂』になったのではないかと思われる。
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五味坂を下りて真っ直ぐ行くと内堀通りにぶつかり、そのまま行くと千鳥ケ淵戦没者霊園を回る道に出る。しばらく遊歩道を行き、左手のビルの間にあるのが、鍋割坂。
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かつては隣にフェアモントホテルの横を通る坂だったが、今はきんでんになっている。この坂は伏せた鍋を割った形に似ているため、この名前がついたようで、千代田区隼町にも同じ名前がついた坂道がある。
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鍋割坂を登り、再度内堀通りを渡ると桂宮邸がある。
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その先を右に曲がり、大妻女子大の方に曲がったところに御厩谷坂(おんまやだにさか)がある。緩い上り坂だが、江戸時代に徳川家の厩があったため、この名前がついた。
流石に番町は古くからある町であり、また道幅は変わっているものの区画は変わらないため、その名前も江戸の香りのするものが多い。