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『江戸の坂・東京の坂』その19。前回の続き。靖国通りに出て、外苑東通りまで行き階段を上る。四谷3丁目に向かうと右手に曲がる坂が現れる。この坂が新坂、よくある名前だが、江戸時代に全勝寺の地所の一部を削って新たにできた坂のためにこの名がついた。
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坂を下まで降りるとまた靖国通りにもどるが、左手に曲がるとすぐに弧を描きながら登っていく坂が出てくる。右側は階段、先は坂となっているが、この坂が暗闇坂(暗坂)である。この辺りは片側の全長寺墓地の樹木が茂り薄暗かったためにこの名前があるが、今はそういう雰囲気はない。ただ、4時近くなってきたため、この辺りで坂の名前の通り周囲が暗くなってきた。
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また、靖国通りに戻り、新宿方面に行くと靖国通りが上り坂になるが、この坂が 安保坂(あぼざか)。由来は比較的新しく、1944年に都道になった際にこの辺りに安保男爵(安保清種海軍大将)が住んでいたためついたものである。
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坂の頂上が市谷富久町の交差点でこれを左手に曲がり、寺が見えて来るがその手前を左手に行く坂が茗荷坂。今もそうだが、源慶寺と東長寺の間を通る坂で昔は茗荷畑があったためにこの名前がついた。文京区に茗荷谷という地名がかつてあり、今も地下鉄の駅にあるが、この辺りにも同じ名前の坂がある。(文京区小日向1ー26ー5辺り)
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茗荷坂を下り、右手に行くと大木戸下、更に外苑西通りを行くともう新宿通りまではすぐで四谷3丁目駅までも僅かなものである。
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今日のエリアには寺と墓地が多く、昔は更にあってこれが坂の名前の由来になったものが多いことに気づく。今も昔も変わらずあるのは坂道と寺社である。実はもう少し坂もあるが暗闇坂あたりで日が暮れて写真も撮れなくなり、あとはまた次回ということにした。