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『metroに乗って』その16。今回は都営地下鉄大江戸線若松河田駅の周辺を訪れた。大江戸線は変形の環状線のため、代々木あたりから新宿方面の電車に乗ると都庁前駅で乗り換える必要がある。そこから2駅目、大久保通り沿いに駅はある。
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駅の歴史は2000年の大江戸線開通と同時に開業、駅名は当初(仮称)若松町駅であったが、隣接する河田町がフジテレビが台場に移転した時期でもあり、町の衰退を懸念して若松河田駅と2つをつなげたいわば『二階建て駅』。因みに若松町の起源は江戸時代に将軍家に正月用の若松を献上していたからその名がついた。河田町の河田は『田んぼ』を指しているらしい。
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駅を河田口にあがるとすぐ裏には『小笠原公爵邸』がある。通りからすぐではあるが、落ち着いた洋館が静かに立ち、すぐ横にある大木が印象的。
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さらに東新宿方面に歩くと坂になるが、これが団子坂、団子坂といえば谷中を思い出すが、その昔は急坂で降りる人や馬、荷車などが団子のようにコロコロと転げた様から付いた名前で転坂や胸突坂などと同様である。その坂を上り切ると『抜弁天』の交差点につく。
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抜弁天は今までに何回と通ったが、はじめて訪問する。正式な名前は厳嶋神社で歴史は古く、設立はじめて1086年前九年の役に向かう源義家がこの場所に宿営し、戦勝を祈願したが、その望みどおり勝利したため、神社を建て、厳島神社を勧請したと伝えられる。名前の通り南北の参道があり、通り抜けできるため、この名前が付いた。小さな祠があり、七福神のひととして信仰を集めているようだ。
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参拝の後、大久保通りを渡り、元来た道を戻る。すぐに第8機動隊、さらに統計局に向かう道を示す案内板が出てきて、左側には国立医療センターの立派な建物が見えるともう若松河田駅。
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その先の児童館には江戸時代5代将軍綱吉が犬の収容所(犬御用屋敷)跡の碑がある。(あとは四谷と中野)
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ここから次の牛込柳町駅まで近いので歩くが、それは次回。