hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

ジジ&ババ〜日本橋ランチグルメ

2022-05-21 05:00:00 | グルメ
日本橋には色々なネーミングのお店がある。丸善近く、通りから少し入ったビルの2階に『ジジ&ババ』という洋食屋さんがある。11時半に店に入ると私が最初の客、4人席と2人席がある。壁側の2人席に座り、メニューを見る。

この店は山形県出身のジジと山梨県出身のババが始めた洋食屋で山梨県のワインが楽しめるらしい。ランチはオーソドクスなメニューばかり。ハンバーグドミソース掛け、カレー、ハヤシライス、チキン南蛮、グラタン4種である。悩んだが、王道のハンバーグにして見る。



店はワンフロアで周りには色々なものが飾ってある。特徴的なのは大きなジャーがどしんと置かれていること。

注文と同時にサラダがサーブされる。レタス、キャベツ、トマトに胡麻ドレがかかっている。メニューは1150円均一でサラダ、コーヒーなどの飲み物が付く。

サラダを食べ終わり、ぼんやり入口を見ていると1人客が多いのだが、雨にも関わらず次々と入店してきて、気がつくとほぼ満席状態。周りの人の注文を聞いていると、『ハンバーグ、ご飯大盛』『カレー大盛、メンチカツ(300円)トッピング』と大食漢が多い。

ハンバーグとライスが運ばれてきたが、ハンバーグは珍しい長方形。たっぷりとドミソースがかかっている。付け合わせはポテトサラダ、マカロニとツナの和物、パスタである。これはいずれもこだわりのある付け合わせでトマトソースが少しかかったパスタはドミソースと食べると美味い。



ハンバーグは肉の割合が高く、なかなか本格的なもの。しっかり肉の旨味を感じさせ、ご飯のおかずに適している。量も150gくらいはあり、大盛りのご飯でも大丈夫な量である。時間をかけてゆっくりと頂く。

最後にコーヒーを出してもらうが、もうその頃には完全に満員。周辺のサラリーマンばかりでいっぱいである。なるほど、ビルの2階とロケーションはあまり良くないが、知る人ぞ知る店なのである。これを2人で全て捌いているのにもやや驚いた。ご馳走さまでした。


ジジ&ババ
中央区日本橋2ー2ー15日本橋テイトビル2階
0332741797



久我山歳時記⑬〜花の香りに誘われて歩く

2022-05-20 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』その13。連休明けは久我山の街を歩いていていい香りがしてくる季節である。まずはニオイバンマツリという植物。名前の通り強い香りがしてかなり遠くからその存在を知ることができるが、花の方もかなり目立ちたがり屋。

少し変わっているその生態はまず紫色の蕾を付けて濃い紫の花を咲かせる。しかし、2日ほどで花の色が薄紫色に変わり、もう少し日付が経過すると真っ白な花に変わる。

これは花弁の紫色を構成するアントシアニンの色が徐々に薄れていくからとされている。この不思議な特性のため、一本の木で白と紫の2種類の花を楽しめる不思議な木である。花の色が変わるからか、花言葉は『浮気性』らしい。



ナス科の多年生低木で熱帯アメリカ大陸原産、ブルンフェルシアともいう。また、漢字で書くと『匂蕃茉莉』、つまり外国から来たジャスミンのような香りのする植物という意味である。食べることは滅多にないが、実や花には毒性があるため、子供の手が届くところには置かない方が良い。

もう一つがジャスミン、久我山周辺では網でできたフェンスなどに這わせている家が多い。花の色は白色、ただ、香りは強いが、種類により好きな香りとやや違うのがある。


写メにあるのはハゴロモジャスミンという種類で初夏に花が咲きはじめ、次々と咲いていくため、比較的長く香りを楽しむことができる。

同じジャスミンとついているが、黄色い花を付けるカロライナジャスミンはゲルセミウム科に属する全く異なる品種。小型のラッパ状の花を付け、ジャスミンより早い春に花を付ける。名前の通り北米原産であり、こちらも塀やフェンスに巻き付いている。

春の街を香りに誘われて散歩するのもいい。早春のモクレンや秋の金木犀の香りもいいものだが。

ヤクルトvs阪神11回戦観戦記〜こんな試合が見たかった

2022-05-19 05:00:00 | 阪神タイガース
今年の阪神タイガースはとにかく競り負ける試合が多く、見るとイライラ。それでもヤクルトvs阪神11回戦のチケット交換券を娘からもらったので勝ち負けを気にせず、気楽な気分で観に行くことにした。因みに阪神の試合に行くのも2年ぶりである。



当日は半休を頂き、3時から神宮球場外野チケット売り場に行く。かなりの人を予測したが、列は10人ほど、すぐに外野指定券を2枚ゲット。ちなみに席はヤクルトファンの連れ合いに遠慮して1塁側です。

天気はよく、日中は暑いくらい。一度家に戻り、服を着替えて、弁当を買い、17時半に球場に到着。着いてすぐにお弁当タイムにしたが、ビールの旨いこと。たまらんです。


その間も気になっていたのはホームからバックスクリーンに向かって吹く強い風。ヤクルト先発の高橋投手を意識して阪神は右打者にポイントを置いた布陣(糸井に替えて陽川)。特に投手の西純矢の打力を考えて8番に据えた打線にした。一方のヤクルトは長岡を山田・村上の後ろ5番に抜擢していた。両監督の目論みが当たるかどうかをじっくりと見ることにした。



まずは1回表、最近元気のない近本(左)があえなく三振、中野(左)も凡退したが、私は右のマルテに期待。すると見事にレフトスタンドに先制1号HR。


1回裏は西純矢のストレートが冴えて1、2番は簡単に仕留めたが、3番山田にはヒット、さらに2塁の盗塁を決められる。落ち着いて村上を落ちるボールを振らせて三振に片付ける。
ムードがいい中で2回はエラーで出場した糸原(左)を1塁に置いて8番に抜擢された西純矢(右)が2ランホームラン。

3回表は近本凡退のあと中野(左)が粘って四球、マルテ(右)がヒットで1死1、3塁。ここで佐藤(左)だが、予想通り高橋を攻略できない。しかし、5番大山(右)はしっかりとレフトスタンドに3ラン。この後は西純矢も余裕が出てきた。

6回には変わったヤクルト木澤から佐藤がホームラン、その裏にはヤクルト山田にソロホームランを浴びるが、その後は抑える。8回は佐藤2塁打の後、久しぶりに出場の北條が長打で打点をあげるなど見ていて楽しい試合。ヤクルトのチャンスは悉くダブルプレイで潰し、西純矢は初の完投。



ホームランが4本、今日見にきた阪神ファンは溜飲が降りただろう。打線の組み替え、さらに右打者を増やしたことは功を奏した。



しかし、喜んでばかりはいられない。近本は5の0、大山もHR以外はタイミングが外された内野フライやファウルフライ、さらにスタメンに起用した陽川は2三振。まあ、打線が大丈夫とは私には思えない。ただ大勝の今日はまあいいか。試合は3時間足らずで終了致しました。


日本橋〜宿場町を歩く④

2022-05-18 05:00:00 | 宿場町
『宿場町を歩く』その4。今回は五街道の始点である日本橋周辺に行く。と言ってもほぼ毎日通っている場所だが、日光道中御宿場印は日本橋の南詰にある観光案内所で販売しているのである。日本橋には観光案内所が2ヶ所あるが、こちらはまさに橋の上、中央区観光協会が運営している。



日本橋が初めて作られたのは1603年と言われている。翌年には江戸幕府が日本橋を起点に各街道に一里塚を築かせることに関する記載がある。今の日本橋は1911年に架橋された20代目にあたる。

親柱には唐獅子が設置されているが、この唐獅子が抱えているのが東京市のマーク、また中央の麒麟の像は『麒麟現れば聖人生まる』という中国の故事に因んだものである。

北詰にある東京市道路元標は1911年に日本橋の中央に置かれ、都電・本通線の架線柱として使われていたものを1972年に現在の場所に移したものである。今の道路元標は新たに50cm四方の『日本国道路元標』が埋め込まれている。この文字は当時の内閣総理大臣佐藤栄作の書であるが、なにしろセンターライン近くにあるため、写真を撮るのが難しい。(写メはレプリカ)



また、里程標には『千葉市37粁(キロメートル)、宇都宮市107粁、水戸市118粁、新潟市344粁、仙台市350粁、青森市726粁、札幌市1156粁』と書かれている。ここを始点とする国道は1号(〜大阪府大阪市)、4号(〜青森県青森市)、6号(〜宮城県仙台市)、14号(〜千葉県千葉市)、15号(〜神奈川県横浜市)、17号(〜新潟県新潟市)、20号(長野県塩尻市)の6本である。



因みに日本橋の下を流れている川の名前は意外に知られていないが、実は日本橋川。川より橋が有名であるからなのか、神田川から分かれて隅田川に柳橋付近で注ぐまでの部分の名前である。

プラットスタンド酛〜吉祥寺グルメ

2022-05-17 05:00:00 | グルメ
久しぶりに『コの字』カウンターのお店に入った。吉祥寺のビルB1にある『プラットスタンド酛』という店。京橋に『京橋もと』という高級店があるが、その流れを汲むお店で酒の種類も豊富である。

しばらく行かなかったうちに馴染みの店員さんも居なくなったが、相変わらずお酒に詳しく、感じの良い人ばかりで女性客も過半を占める。システムが少し変わっていて日本酒のメニューが無くなり、『フルーティ』『ふくよか』『旨味』などが書いた図が置いてある。お客はこれに従い、このイメージの酒と注文する方式。

しかし、目の前に一升瓶が並んだ冷蔵庫を見るとつい、酒の名前を言って注文してしまう。



お通しのやや酸っぱめのもずくと小さめな生ビールで乾杯。続いて燻製ポテサラが到着、茹で卵を崩しながら頂く。スタートは『メガネ専用日本酒〜萩の鶴』(宮城県)を小グラス(65ml)で注文。

なかなかフルーティだが、辛口のこの酒は萩野酒店でメガネを掛けた人だけで醸した酒からスタート。

続いて鯵のなめろう、これをちびちび舐めながら、篠峯(奈良県)超辛口を頂く。奈良県の南部にある御所市で醸された酒で確かに辛いが鼻に抜ける香りが素晴らしい。



ここで揚げたての厚揚げ、もちろん店で豆腐を油で揚げ、ネギ、生姜、鰹節をかけたもの。とにかく熱い、フーフー言いながら口に入れ、冷えた日本酒を合わせる。



森嶋(茨城県)純米酒、ラベルは石の写真。これを作った酒蔵は『従来の酒造りに一石を投じる』というコンセプトで作ったとのこと。スッキリした飲みやすい食中酒に仕上がっている。

鰻の肝串を一本頂き、最後にフィッシュ&チップスをお願いする。と言ってもイギリス料理にあるようなデリカシーの無いものではなく、白身魚と新じゃがのフライ。これにタルタルソースとケチャップを添えて頂く。




最後は店の入り口のショーウィンドウに沢山の酒瓶が並んでいる十九(長野県)という蔵のMorgenretという青い瓶の酒。富山県の雄山錦という酒米を33%まで磨いた上品な味。さすが純米大吟醸という爽やかなものであった。



他にも相方が頼んだ『雨だれ石を穿つ〜萩の鶴』(滋賀県)、しっかりしていながらも食中酒として食べ物にあう素晴らしい酒など十分楽しむことができた。
プラットスタンド酛
武蔵野市吉祥寺本町1ー9ー10ファミリープラザB1
05055967257

『東京の町をぷらっと』⑦〜日本橋大伝馬町

2022-05-16 05:00:00 | 日記
『東京の町をぷらっと』その7。今回は日本橋大伝馬町を歩く。地下鉄日比谷線の駅があるため、現在では小伝馬町の方が有名だが、ちゃんと大伝馬町もある。

名前の由来にもなる『伝馬』は馬の背に荷物を載せて宿場間で運ぶことを言い、江戸時代初期は千代田区の呉服町あたりにあり、伝馬を司る役所があったと言われている。1606年慶長年間に浜町一帯の埋立が終了したため、この地に『大伝馬町』も移ったのである。代々天馬役を務めた馬込勘解由の屋敷があり、配下の町人は三河木綿の売買を行った。周辺に繊維関連の問屋が多いのもこの影響があるためで、現在の宝田稲荷も勘解由の屋敷内にあったものである。

また、現在の大伝馬町大通りは旧日光道中のことであり、日光例幣使の宿泊所となった。南側を通る通りを大丸新道というが、これは江戸時代下村正右衛門が営む木綿問屋が繁栄していたことを示すもので因みにデパートの大丸がその後進である。

明治時代までは室町から本町、大伝馬町を通る鉄道馬車が通るなど繁栄は続いたが、一本外の通りに1904年市電が開通すると小伝馬町に移っていった。さらに関東大震災、太平洋戦争と2回灰塵と化し、木綿問屋は無くなってしまった。



日本橋大伝馬町の町巡りスタートは旧日光街道の標識から。すぐに江戸屋という昔ながらの刷毛屋さんが暖簾を構える。

創業は1718年、屋号の江戸屋は将軍家から与えられた歴史ある店で当時この周辺には木綿問屋などがあり、染物屋も多かったため、江戸刷毛を扱ったのであろう。



その先にはHarioガラスの工房があり、アクセサリーやグラスなどを職人が作っている姿を外からも見る事ができる。



また、これ以外にも時代がかった居酒屋や3軒並ぶ看板づくりの2階屋などもある。ただ、偶然一軒の古民家から荷物を運び出すところに出くわし、こうして昔からの建物が失われて行くのかとやや寂しい気持ちとなった。





人形町通りに出る手前には静岡おでんの店や天ぷらや定食屋、立ち食い蕎麦屋などが軒を連ねている一帯がある。全てとは言わないが、それぞれ特徴があり、うまいものを安く出してくれるサラリーマンの味方のような店も多い。(ただ、さかばやしは通りを挟んで小伝馬町側にある。)



もちろんこうした古くからの家屋は少数派であり、三菱UFJ銀行大伝馬町支店に代表されるようなオフィスビルが林立していることは否めない。



隣の日本橋横山町の境あたりは繊維問屋もまだ健在だが、徐々につまらない町となってしまうような気がした。

何せ狭い町のため、すぐ域外に出てしまうので注意が必要な街歩きとなった。


蕎麦割烹 稲田〜日本橋ランチグルメ

2022-05-15 05:00:00 | グルメ
コロナ禍の影響は色々なところに及ぶ。日本場室町の中心にあるCOREDO室町のレストランも店の入れ替わりが激しくなってきたように感じる。人通りの多いB1はさほどでもないが、人通りの少ない2階や3階は閉店して中々新たなテナントが決まらないところもある。さらに別の場所で手広くやっていた店が小さくなってオープンするのもある。

かつて日本橋さくら通りに面したスペースの広い所で居酒屋を展開していた『稲田屋』。鳥取県米子市に本店がある造り酒屋が経営する居酒屋だったが、1年前に閉店、昨年12月にCOREDO室町1の3階に『そば割烹 稲田』として再オープンした。

『稲田姫』は正式には『くしなだひめ』と読む。出雲が舞台になったヤマタノオロチ伝説でスサノウノミコトが助けた出雲美人の女神に因んだものである。

かつての店には何度も行った事があるので新しいお店にまずはランチを食べに行く。店は細長い構造でランチは蕎麦がメイン。



リーズナブルなセットは『天丼+そば(かけorもり)』(1630円→1330円)、同じく『カツ丼+そば』(1530円→1330円)がお得そうなのでカツ丼セットを注文、かけそばにしてみる。

店内は半分ほどのテーブルが埋まっていて女性客が多い。あまり待たされずランチが到着。蕎麦は丸い丼だが、カツ丼は四角い器に入っている。



まずは蕎麦から頂くが、二八蕎麦はつゆの香りが良く、量もそれなり。あまりコシは強くない。カツオなのか、ちゃんと取った出汁は美味い。

続いてカツ丼、厚めのロースカツを斜めに削ぎ切りにしたカツを甘めのタレでとじてある。削ぎ取りでも十分肉汁が楽しめ、脂身が甘い。これはかなり美味い部類に入る。



丼を食べながら、蕎麦つゆを飲む。少し安めで提供されているところも嬉しい。ただ、夜は少し値段が高めなのかもしれない。ご馳走さまでした。


蕎麦割烹 稲田
中央区日本橋室町2ー2ー1COREDO室町1 3F
05054923425


根津・千駄木の坂②

2022-05-14 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その154。団子坂下まで降りて不忍通りを行くと左側に千駄木駅、その先を左に曲がると講談社発祥の地がある。現在はマンションのような立派な社宅となっている。



すぐに須藤公園が出てくるが、南に沿って上る坂道が『アトリエ坂』。以前には『アトリエ千駄木』があったのでこの名前がついた。



須藤公園に入ってみる。真ん中に池があり、こんもりと高くなったところに滝がある。須藤公園は元々加賀大聖寺藩の下屋敷があり、池のある庭園は当時から小ぶりながら美しいと有名であった。



維新後、品川弥二郎の屋敷、さらに1889年に実業家須藤吉右衛門が所有。1933年に公園用地として東京市に寄贈されたもので須藤家の名前を付け須藤公園としたもの。

それほど規模は大きくないが、素晴らしい景観を維持している。ただ、補修工事のため、滝近くまでは行けなかった。



再び不忍通りに戻り3つ目の角を曲がると細長い坂道が現れる。これが『大給坂』(おぎゅうざか)、坂の上にある児童公園がかつて子爵大給家の屋敷があったことからこの名前が付いた。大平元総理大臣も住んだことがあった。



坂の上の道(保健所通り)を右に曲がると『半床庵』という茶室が現れる。この茶室は江戸時代中期に久田流4世の久田宗也が間宮家(名古屋藩士)の依頼により作られた。元は名古屋市中区にあったが、大正10年にこの地に移築された。都指定の茶席としては最も古いもの。



その先を左に下る坂が『狸坂』、昔は千駄木山という雑木林の多い山であった。俗に狸山と呼ばれていてそこに上る坂のため名前がついたもの。

少し坂を降りて左に行く。2つ先の通りも狸坂に平行した坂道だが、これが『きつね坂』、同じように次の坂が『むじな坂』とつけられていて狸・狐・狢が並ぶと面白い。

さらに先に行くと白山通りと交差するが、この広い坂が『動坂』である。江戸名所図絵によると不動坂を略したもの。



江戸時代初期の元和年間に万行上人が伊勢の赤目山で不動明王像を授けられ、諸国を巡ったが駒込村のこの地に庵を結んだ(後の南谷寺)。その後、寺は家光の命で本駒込に移されたが、坂の名前は残されたものである。



それにしても江戸っ子は短く略するのが好きらしい。不動坂→動坂、あんまり変わらないきがするのだが。


魚真吉祥寺店(再訪)〜吉祥寺グルメ

2022-05-13 05:00:00 | グルメ
GW期間に突入、少しコロナによる制限が弱くなった中で週一回くらいは外食をする様になってきた。それでも若者などで大入り満員の店は中々足が向かないが、吉祥寺ならばということでコロナ前には度々行っていた『魚真』に久しぶりお邪魔した。

この店は昨年コロナ禍の規制が外れた際にも最初に訪れた店で、10年以上通っている。何しろ、当時のHPには何と私が載っていた事もあるくらいである。店を18時に予約して丁度に入店、8割くらいの入りである。いつも目玉商品が楽しみで行くが、この日は『のどぐろ塩焼or煮付(2980円)』『キンメ塩焼or煮付(1980円)』『桜鯛塩焼(2980円)』のようである。もちろん早い者勝ちでボヤボヤしていられない。今回は相方のリクエストに応えてキンメ煮付に決定した。



まずは生ビールで乾杯、取り敢えず頼んでおいた骨せんべいも到着。主にアジの中骨を乾かし、揚げたてを頂く。カリッとした食感が冷えたビールにベストマッチ。



続いてやってきたのがカレイの薄造り。ちゃんと身が4切れ、縁側が4切れ乗っている。これはお酒だとまずは新政(秋田県)を注文、この店のスペシャル銘柄である。上品でやや酸味のあるキレのいい酒とポン酢・紅葉おろしでいただくヒラメが美味い。特にコリコリとした縁側は塩でも美味い。



1合などあっという間にに空になり、続いて紀土(和歌山県)の純米吟醸を注文、揚げたて厚揚げが到着。豆腐の水を切り、揚げただけだが、これは家庭では味わえないカリッと感。熱々と冷え冷えが口の中で混じり合う。

いよいよメインのキンメが到着。身がそりかえり、生きの良さがわかる。まずは中骨を外して食べやすくし、相方と2人でつつく。この店が凄いのはこの煮汁、一瞬甘いかなと思うが甘くない。

新鮮な魚を手数を加えすぎず、酒によく合うように工夫されている。ここに鳳凰美田(栃木県)、ふくよかな味わいが肴を盛り立てる。



いよいよ終盤、だし巻きやカニクリームコロッケなどを注文し、上喜元(山形県)で楽しむ。

締めは鉄火巻、巻き簾で製作中の板さんと目が合ってしまうが、魚を得意とする店の鉄火巻は秀逸。お茶を頂き、お開きに。今日もよく食い、よく飲んだ。ご馳走さまでした。
魚真吉祥寺店
武蔵野市吉祥寺本町2ー18ー8
0422232039

根津・千駄木の坂①

2022-05-12 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その153。今回は地下鉄千代田線根津駅で降りて千駄木駅の先あたりまでの坂道を歩くことにした。実は根津・弥生あたりの坂道を2014年10月に訪れたことはあるのだが、不忍通り方面は今回が初めてである。



駅を降りて千駄木方向に不忍通りを歩く。かつては20系統の都電が通っていたころと基本的に変わっておらず、古いビルも多い。途中、根津神社に行く道は越えて千駄木2丁目の信号を左に行く。



始めはごく緩い坂であるが、根津神社の裏門あたりからははっきりと坂であることがわかる。この坂が『根津裏門坂』である。



向かい側の日本医大病院の建物と建物の間の道を右に行くと左側に階段と坂道が並んであるが、これが『解剖坂』。病院の横を通るために付いた名前なのだろう。



細い坂道を上がって行くと右側に汐見小学校の校庭が下に見えてくるが、この坂が『汐見坂』。かつては海が見えたのだろうか。



不忍通りと中山道の真ん中、本郷台地の中腹を行く薮下通りだが、右側には文京八中もあるが、グラウンドは遥かに眼下。すると左側に森鴎外記念館が現れる(休館中)。



鴎外が観潮楼と名付けた自宅跡であり、ここから東京湾が見えたようだ。



広い道に出るが、団子坂上の交差点。左側にさらに登って行く。



団子坂の由来は悪路で急坂であったため、雨が降るとコロコロ団子のように転がったからとも、団子屋が坂の下にあったからだとも言われている。

せっかくだから坂道を降りてみる。今は舗装されているが、昔は未舗装かつ悪路で大八車や馬などで荷物を運んだりしたら転んでしまうかもしれない急坂である。(以下、次回)