昨日インターネットカフェからカピニャハンに戻るとテンダーが流れて無くなっていました。 北東の風が強くて結んでいたいたロープが擦り切れていたのです。流れて居るのを地元の漁師三人が見つけて引っ張って帰ってきてくれて助かりましたが思わぬお礼出費となりました。とは言っても500ペソですが・・・
とにかく凄い風が吹いています。時に20メートルほどになるようで遂に二つ目のアンカーも入れました。 十年以上やっていますが海の上に住むのはいろんなことが起きますね。
前にも書きましたがヨット、ホロホロ3世は世界を巡りながら「日本人の楽園」を探していました。59カ国1000箇所の島や入り江に
アンカーを打って泊りその度に「ここはどうか??」と色々な角度から暮らすことを考え、また近くに日本人が住んでいると聞けば訪ねて
行って感想を聞きました。 そして得た結論は経済的になんとかなるなら「日本人は日本で最後の日を迎えるのが良いだろう」となりまし
た。ただそれはあくまでも最後を迎える地であってそれまでの数年間は「海外で暮らしたほうが良い」との結論も含まれて居ます。
今回紹介する男性は出身地を教えてくれなかったし、恥ずかしがる部分があったので近くの人が読んでも解らないように書きます。特に興
味深い考えかただったので二回あって話を聞きました。初対面の時に歳を聞くと62歳と言っていましたが正直なところ70歳近くに見えました。
特別にここに選んで書く人ですからかなり「飛んでいて」平均的移住者とは離れていますが参考として読んでください。ただ僕はこの人の場合ここに移ってきたことは「せいこう」だったと思っています。
氏は日本では高校の教師をしていたそうです。以外に教師退職者は海外に多く移っていますがこの人は特別と言っていいでしょう。一億3
千万人の日本人の中に何人がこのような体質なのかは知りませんが・・とにかく聖職と言える教師を職業と選んだものの氏は生徒も含め若い女性を見ると「やりたくてたまらない」「たってしょうがない」そんな精神と体質を持っていたそうです。しかしそれを苦しみながらも事件を起こさず定年まで耐え退職してすぐ奥さんは日本に置いて(まだ勤めている)噂を信じて単身フィリピンに来たのです。 リゾート地の海辺で家具付きの(冷蔵庫から鍋釜食器まで付いている)平屋を一ヶ月5万円で借りました。そして歩いて10分ほどのところにあるディスコに行って女性を見つける生活に突入したのです。
この人はとにかく「色々な女性」「多くの女性」とやりたいそうで「心のつながり」的な考えは全く持ってないそうです。ここで僕が興味を持ったのはどのくらいのサイクルで女性を変えるのか。それと何回ほどするのかです。
僕が感心したのはそれが良い事だとか悪いことと言う時点でなく、彼の場合僕が知る限りではフィリピンかタイ、中南米かアフリカの一部でしか出来ないことをする為にそれに適した場所に来て、「殆ど毎週女性を変え」「毎日2回以上する」と言う生活を守っていることでした。 これは非常に大切なことなのですがフィリピンが物価が安いからと一時的にせよ移って来たとしても目的が無ければどうもなりません。それは具体的であるに越したことはなく、彼の考えは極めて具体的でた。
その一般的代価は一日が千ペソで一週間が5千ペソですから一ヶ月の生活及び性生活費はおそらく15万円以内でしょう。しかし毎月四人として一年に48人、二年で96人となるとそんなに女性は居るんだろうかと聞くと200人ほど居て結構出稼ぎで人が入れ替わるのだそうです。
考え方によっては非難する人も多いと思いますが僕はこれも経済活動と同じく善か悪かの判定は難しく、自分の夢を自分が補える範囲
で誰にも負担を掛けず愉しくやっている「一つの成功の形」と見ました。ただ氏が年齢より老けて見えるのはもしかして過ぎているのでは
とも思いましたがそれも本人の選択ですから・・それから二年後にお会いした時は80歳かと思えるほどになってましたが毎週女性を変え
一日3回はやっていると答えてくれました。 山田風太郎のくノ一忍法「筒涸らし」の記述によれば出し尽くして死ぬときには凡そ30歳
も老けていた。と言うから出し尽くすまでするのかもしれません・・・ 今年も機会があれば訪ねたいと思っているのですが・・・涸れて
なければいいですが・・ それと同じ事をまだやっているとすれば7年、飽きずに続いているかも興味があります。
当時1ペソは2、5円で途中2円弱がありましたが今は2.5円でその値段にまだ変化はありません。
次回は「興味」について書いてみたいと思います。
とにかく凄い風が吹いています。時に20メートルほどになるようで遂に二つ目のアンカーも入れました。 十年以上やっていますが海の上に住むのはいろんなことが起きますね。
前にも書きましたがヨット、ホロホロ3世は世界を巡りながら「日本人の楽園」を探していました。59カ国1000箇所の島や入り江に
アンカーを打って泊りその度に「ここはどうか??」と色々な角度から暮らすことを考え、また近くに日本人が住んでいると聞けば訪ねて
行って感想を聞きました。 そして得た結論は経済的になんとかなるなら「日本人は日本で最後の日を迎えるのが良いだろう」となりまし
た。ただそれはあくまでも最後を迎える地であってそれまでの数年間は「海外で暮らしたほうが良い」との結論も含まれて居ます。
今回紹介する男性は出身地を教えてくれなかったし、恥ずかしがる部分があったので近くの人が読んでも解らないように書きます。特に興
味深い考えかただったので二回あって話を聞きました。初対面の時に歳を聞くと62歳と言っていましたが正直なところ70歳近くに見えました。
特別にここに選んで書く人ですからかなり「飛んでいて」平均的移住者とは離れていますが参考として読んでください。ただ僕はこの人の場合ここに移ってきたことは「せいこう」だったと思っています。
氏は日本では高校の教師をしていたそうです。以外に教師退職者は海外に多く移っていますがこの人は特別と言っていいでしょう。一億3
千万人の日本人の中に何人がこのような体質なのかは知りませんが・・とにかく聖職と言える教師を職業と選んだものの氏は生徒も含め若い女性を見ると「やりたくてたまらない」「たってしょうがない」そんな精神と体質を持っていたそうです。しかしそれを苦しみながらも事件を起こさず定年まで耐え退職してすぐ奥さんは日本に置いて(まだ勤めている)噂を信じて単身フィリピンに来たのです。 リゾート地の海辺で家具付きの(冷蔵庫から鍋釜食器まで付いている)平屋を一ヶ月5万円で借りました。そして歩いて10分ほどのところにあるディスコに行って女性を見つける生活に突入したのです。
この人はとにかく「色々な女性」「多くの女性」とやりたいそうで「心のつながり」的な考えは全く持ってないそうです。ここで僕が興味を持ったのはどのくらいのサイクルで女性を変えるのか。それと何回ほどするのかです。
僕が感心したのはそれが良い事だとか悪いことと言う時点でなく、彼の場合僕が知る限りではフィリピンかタイ、中南米かアフリカの一部でしか出来ないことをする為にそれに適した場所に来て、「殆ど毎週女性を変え」「毎日2回以上する」と言う生活を守っていることでした。 これは非常に大切なことなのですがフィリピンが物価が安いからと一時的にせよ移って来たとしても目的が無ければどうもなりません。それは具体的であるに越したことはなく、彼の考えは極めて具体的でた。
その一般的代価は一日が千ペソで一週間が5千ペソですから一ヶ月の生活及び性生活費はおそらく15万円以内でしょう。しかし毎月四人として一年に48人、二年で96人となるとそんなに女性は居るんだろうかと聞くと200人ほど居て結構出稼ぎで人が入れ替わるのだそうです。
考え方によっては非難する人も多いと思いますが僕はこれも経済活動と同じく善か悪かの判定は難しく、自分の夢を自分が補える範囲
で誰にも負担を掛けず愉しくやっている「一つの成功の形」と見ました。ただ氏が年齢より老けて見えるのはもしかして過ぎているのでは
とも思いましたがそれも本人の選択ですから・・それから二年後にお会いした時は80歳かと思えるほどになってましたが毎週女性を変え
一日3回はやっていると答えてくれました。 山田風太郎のくノ一忍法「筒涸らし」の記述によれば出し尽くして死ぬときには凡そ30歳
も老けていた。と言うから出し尽くすまでするのかもしれません・・・ 今年も機会があれば訪ねたいと思っているのですが・・・涸れて
なければいいですが・・ それと同じ事をまだやっているとすれば7年、飽きずに続いているかも興味があります。
当時1ペソは2、5円で途中2円弱がありましたが今は2.5円でその値段にまだ変化はありません。
次回は「興味」について書いてみたいと思います。